謝罪
土曜日の夜、いつものように部屋で一人、本を読んでいると電話がかかって来た。母からだった。
「健人、久しぶりね。元気?」
「何の用?」
「健人、ちょっと時間ある?もしあったら明日、家に来てほしいんだけど良いかしら」
「何で?おれは別に用はないけど。最低限の用の時しか会わない約束だったよね」
「あなたに会いたいという人が来ているの。そして、私達もあなたに話したいことがあるの」
「わかった。行くよ」
母はまだ何か話したさそうだったが、おれは電話を切った。
翌日、家に行き、リビングへ行くと両親と川上さんの両親が待っていた。おれは身体を固くした。あの日の思い出が一気によみがえる。一気に地獄へ落とされたあの日を。
そして、同時に疑問が浮かぶ。どうしてこの2人がここにいるんだろう?
おれが来ても、誰も何も言わない。ただ、重い空気だけが漂っている。リビングの照明が白々しく、温かみが感じられない。母が何かを喋ろうとした時、川上さんの父親が「春原君」と言った。あの時と同じ声だ。一瞬、身震いがした。
川上さんの父親はあの時よりも低い声だった。
「娘が死んだことは知っているかな」
「はい、川上さんの友達から聞きました」
「杉原さんかな。では、自殺ということもわかっているかな」
「はい、杉原さんはきちんと話してくれました」
おれの返事を聞くと、川上さんの父親はおれの前に来た。そして、頭を下げた。
「すまなかった」
川上さんの母親も立ち上がり頭を下げた。
「娘の部屋から遺書が見つかった。そこには、それまで自分がしてきたことが全て書いてあった。高校だけではない。中学の時、君に対して行ったこともだ」
遺書?杉原さんはそんなこと言っていなかった。
「娘が死ぬ前、同級生に対してしたことや、杉原さんの言うことを聞いても、私達はまだどこかで娘のことを信じていた。あんないい子がそんなことするはずがないと。でも、娘自身の言葉を書かれた遺書が見つかって、娘がしてきたことが全て本当のことだったということがわかった。娘は私達の知らないところで多くの人を傷つけてきた」
川上さんの父親は目をつぶった。娘のことを思い出しているのだろうか。
「本当はもっと早く君に謝るべきだったのだが、君の怒りを考えると怖くなってしまい、行けなかった。妻も精神が不安定になってね。でも、君が高校を卒業する前に謝らなければと思って、今日、ここに来た。娘のせいで君は地獄の日々だっただろう。本当に申し訳ない」
おれはその言葉をどこか他人ごとの様に聞いていた。自分のことを言われている実感がまだわかない。
黙ったままのおれに母が言った。
「健人、私達も謝らせてちょうだい。あの時、あなたを信じなくて本当にごめんなさい」
「二人とも気が動転してたんだ。頭に血がのぼってしまって。冷静に考えたらお前がそんなことをするはずがないのにな」と父も言った。
本当ならば誤解が解けたことを喜ぶべきなのだろう。しかし、なぜかそんな気持ちになれない。おれは、川上さんの両親の方を向いた。
「僕は、お二人に対してあまり怒りはありません。自分の子どもが被害にあったと聞けば、誰だって冷静さを失うでしょうし、加害者に怒りを感じるのは当たり前です。確かに、僕はあの日から多くのものを失いました。友人も離れていき、教師からの信頼も失いました。でも、それをもうごちゃごちゃと語りたくはありません。だから、僕には許すという権利はないように思います。川上さんが亡くなって一番辛いのはお二人です。その中で来て頂いたのには感謝します。けど…」
おれは両親に向き合った。
「申し訳ないけど、父さんと母さんのことを許すことはできないよ。信じてくれなかったこともおれに向き合ってくれなかったこともショックだった。おれの全てを否定したんだ。生きている意味がわからなくなって、自殺することも考えた。信頼できる友達と出会っていなかったら、正直、おれは心が壊れていたかもしれない。なんで、もっとおれを見てくれなかったんだよ…。叔父さんは、遠く離れていてもおれのことを信じてくれた」
喉元が苦しくなる。辛かった気持ちがよみがえってくる。
「おれ、高校卒業したら、福岡に行く。叔父さんのゲストハウスを手伝いながら、福岡の大学に通う。もう、叔父さんには伝えているし、学費も出してくれるって言ってくれた。叔父さんの家の家族になるよ。だから、まだ、おれには関わらないでほしい。あれを許せるほど、おれは大人になれないよ。だから、おれのことはこれまで通りほっといてほしい。もう、家にも帰らないと思うから、そのつもりでいて」
父も母もその言葉に目を伏せた。
「わかった。お前が好きなようにしてくれ。何か言う権利はない…。せめて、学費はこちらで出す」と父が消えそうな声で言った。
「それは、叔父さんと相談して」
そのやりとりを見ていた川上さんの父親が「申し訳ありません。親子の関係まで崩してしまって」と言った。隣で川上さんの母親が泣きだした。あの時のようだ。
「こんなことを僕が言うのはおかしいかもしれませんが、川上さんは川上さんなりに辛い思いをしてたと思います。だから、もう、川上さんのことを責めないでください。僕は、信じてくれる友人がいて今は幸せですし、杉原さんにも言いましたが、前を向いて生きています」
そう言い、軽く頭を下げて家を出た。後ろから母の声が聞こえたが、振り返らなかった。
その夜、叔父から電話がかかってきた。
「姉さんから、言われたよ。健人の事よろしく頼むって。学費のことも言われたんだが、おれが出すって言ってやったよ。健人はもうおれと妻の息子だ。美香もお前が来ることを喜んでいるしな。姉さんも義兄さんもさすがに落ち込んだ様子だった。まあ、自業自得だけどな」
「…おれ、人間が小さいのかな。父さんと母さんの事、まだ、許せないんだ」
「小さいもんか。あれだけ辛い経験をしたんだ。許せないのは当たり前だ。永遠に縁を切られても、あっちは文句言えないだろうよ。ところで、松野さんには福岡に行くこと言ったのか?」
「言ったよ」
「どんな反応だった?」
「いいんじゃないかって。福岡はきっと良いところだろうからって」
「寂しそうじゃなかったか?」
「…え」
「お前、好きだろ。松野さんの事」
顔が熱くなる。
「どうしてそう思うの?」
「どうしてって…。お前の松野さんに対する態度を見れていれば、一目瞭然だ」
ため息をつく。ごまかすことはできなさそうだ。
「叔父さんだから言うけど…。好きだよ。理央のことは」
「告白はしたのか?お前なら大丈夫だよ。自信を持て」
「友達からも同じ事言われた」
「覚悟を決めて、福岡に来る前にけじめをつけろ。今までの分、お前には幸せになってほしいんだ」
「それも、友達から言われた…」
その後も、叔父は励ましの言葉を繰り返した。おれは「ありがとう」と言い電話を切った。
月曜日、理央に昨日あったことを話した。
「良かったねって言っていいのかな」
「うん…。なんだか微妙な感じだけど、誤解が解けたことは素直に喜んでいいのかなと思っている」
「そうだよね。ずっと誤解されたままじゃ辛いもんね。私もなんだか安心しちゃった」
理央はそう言って微笑んだ。
おれが本当の気持ちを伝えても理央は笑っていてくれるだろうか。
もし、おれの言葉がきっかけで理央の笑顔が消えたとしたら…。そう思ったら自分の気持ちを押し込めた方がいい気がした。
「けじめか…」
「どうしたの?何か言った?」
「いや、何でもないよ」
このままの関係でもおれは幸せなんだ。これ以上を望んでもいいんだろうか。
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