叔父
夏休みが明け9月になった。理央と出会って1年だ。理央のおかげで、最近、悪い夢を見ていない。学校へ行くことも面倒だと思わなくなった。理央と本の話をすること、それが生活の一部となって、読書がますます楽しくなった。楽しそうに聴いてくれる理央の姿が嬉しかった。
いつものように理央と一緒に学校を出ると、ラフな格好をした男性と目があった。おれは立ち止まった。
「…叔父さん」
「健人、久しぶりだな」
叔父、関崎俊介は笑いながらおれに近付いて来た。
「姉さんからなんとか、お前の学校だけ聞き出してな、不審者扱いされるのを覚悟で、校門で待ってたんだ」
叔父は母の弟にあたる。叔父さんと呼んでいたが、見た目が若々しいので兄のようにも思っていた。細かいことは気にしないおおらかな性格の叔父のことがおれは好きだった。
福岡でゲストハウスを経営しており、おれも何回か遊びに行った。最後に会ったのは14歳の夏休みだ。それ以降はあの事件のこともあり会えなかった。
「とりあえず、ゆっくり話したい。お前の家まで行っていいか?」
おれは少し迷ったがうなずいた。
「邪魔になりそうだね。春原君、私、帰ろうか?」
理央が心配そうに尋ねた。
「いや、理央も一緒に来てほしい。友達を叔父さんに紹介したいから」
嘘だ。本当は一人じゃ心細いんだ。きっと叔父はあのことを聞く。その時、一人では絶対に耐えられない。そんな自分がふがいない。
おれの家に着くと、叔父と向かい座った。叔父は大きくなったな、元気にしてたかとしばらくあたりさわりのないことを言っていたが、一呼吸置いて真剣な顔になった。
「姉さんから、その…。事件のことを聴いた。本当のことなのか?」
そう言いおれのことを見つめた。
記憶が蘇ってくる。激しい怒りの言葉、信じてくれない大人の目。話しかけても無視された時の心の痛み。
おれは、大好きな叔父からも嫌われてしまうのだろうか。大好きだった人に嫌われるのは苦しい。
理央が黙っておれの顔を見ている。何かを言わなければ。
「叔父さんはどう思う?おれがそんなことすると思う?」
変な言い方になる。していないとはっきり言えば良いのにそれができなかった。
叔父は身を乗り出して言った。
「そんなこと思うはずないだろ。じゃあ、やってないってことでいいんだな」
「信じてくれるの」
「お前をずっと見てきたわけじゃないが、お前が女の子を傷つけるようなやつじゃないことぐらいはわかる。優しい子だったもんな。おれの娘の面倒もよく見てくれた。姉さんから聞いた時も、絶対嘘だと言ったんだ。でも、姉さんは昔から強い者に逆らえない性格だったから、義兄さんの意見に同調してしまったんだろう。おれは怒ったよ。なんで自分の息子信じてやらねえんだってな。おれだったらお前を全力で守っている」
身体が震える。自分で抑えることが出来ない。自然と涙が出て来た。
「辛かったな。今までよく耐えた」
その言葉で肩の力が抜けた。もう、涙を止めることができない。
背中が温かい。理央がなでてくれている。それで、ますますおれは涙が出て来た。全てを話しても大丈夫だろう。
「…事件の犯人にされて、教師も友達もおれのことを見放した。父さんも母さんもおれのことをもう息子だと思っていない…。だから、一人暮らしをしている。同級生からも何度も殴られた。『死ね』『犯罪者』って机に書かれて、ひどい噂も流された。もう何も信じられなくなった」
おれの言葉を叔父は一つ一つうなずきながら、聴いてくれた。その様子に安心して話すことが出来た。
「高校でも噂は流れて、逃げることはできなかった。誰も、おれのことを信じてくれなかった。死にたいって何度も思ったけどできなかった」
「そんなひどい目にあったのか。申し訳ない。姉さんに代わって謝らせてくれ」
叔父はそう言い頭を下げた。
「叔父さんが謝ることじゃないよ。確かに大変だったし、一時は誰も信じられなかった。でも、おれのことを信じてくれた本当の友達にも出会えた」
そう言って理央を見た。理央は少し恥ずかしそうな表情をした。
叔父はその様子を見て笑った。
「もう、暗くなってきたな。何かうまいもんでも食べに行くか」と空気を変えるように言った。
「じゃあ、私、帰りますね」
「いや、松野さんも一緒に行こう。一人でも多い方が楽しいからな。健人もその方がいいだろ」
おれはうなずいた。
3人で焼肉店に入った。
叔父は色々な話をしてくれた。
「健人は初めて聞く話かもしれないけどな。最近、息子が生まれたんだ。名前は聡太だ」
「え…。そうなんだ。全然、知らなかった」
「やっぱり、姉さんたちそういうことも話してなかったんだな」
「うん…。おめでとう。おじさん。美香ちゃんもお姉ちゃんだね」
「ああ。ゲストハウスのこともあるし、大忙しだよ」
「そんなに忙しい中、どうしておれのところに…?」
「久し振りに姉さん連絡して健人の事を聞いたら、なんだか歯切れが悪くってな。心配になって来てみたらこんなことになっていてびっくりしたよ。健人、お前も悪いぞ。何でおれにもっと早く相談しないんだよ」
「ごめん、あの時は頭がパニックになっていて、正直、そこまで考えられなかったんだ」
叔父は「そうか」と言うと、話題をゲストハウスのことに移した。おれの気持ちをさっしてくれたのだろう。
「おれの経営するゲストハウスにはな。本当に色々な人が来るんだ。海外からも来るから英語はなんとか喋れるようになった。でも、英語を話せないお客さんもいてな。でも、一生懸命コミュニケーションを図っていくうちに、なんだかんだで、仲良くなることもある。それが楽しい。福岡は食べ物もおいしいからな。仕事が大変でもうまいものを食べた疲れが吹き飛ぶよ」
「福岡って言ったらラーメンとかが有名だよね」
「ああ、それ以外にもうまいものはたくさんあるぞ。ラーメンだけではなくうどんもうまい。ごぼうの天ぷらがトッピングにあったりしてな」
叔父の話におれは何度も笑った。こんな風にご飯を食べるのはいつぶりだろう。
隣を見ると、理央も笑っていた。理央も久しぶりなのだろう。
だいぶ時間が経ったころ、叔父は改まった表情で「健人」と言った。
「何?」
「お前、福岡に来ないか?」
「え…。福岡に?」
「もちろん、高校を卒業してからでいいんだが、お前のようなのが、ゲストハウスの手伝いをしてくれると非常に助かる。妻もお前のことが好きだし、娘だって今でも兄のように思っている。まだ、小さい息子もお前のことを気に入るだろう。お前はしっかりしているから一人でもやっていけるとは思うけどな。お前を家族の一員として受け入れたいんだ」
叔父の言葉に少し驚いた。叔父はこんなにもおれのことを考えてくれていたのか。
「ありがとう。そう言ってくれるのは嬉しいけど、進路のことはまだ、よく考えていないから」
「そうだな、すぐに決められることではないだろうし。まあ選択肢の一つとして頭に入れといてくれ。どこか大学に行きたい場合もおれに言ってくれ。学費は全て出す」
「それは、申しわけないよ」
「いや、これは、お前に対するつぐないだ。おれができることは何でもやるつもりだ。遠慮なんてするなよ」
おれは、少し迷ったがうなずいた。また涙が出てきそうになる。2回目はさすがに恥ずかしい。
「トイレに行ってくる」と言い、おれは席を立った。
叔父はホテルに泊まるとのことだったので、店の前で別れ、理央と一緒に帰った。
「良かったね、信じてくれる叔父さんがいて」
理央が優しく言った。その言葉に少し気恥ずかしさを感じる。理央の前であんな風に泣きたくなかった。
「うん、ごめんな。あんなに泣いてしまって」
理央が「大丈夫」と笑顔で言った。
「もっと、広い視野でものごとを見ればよかった。早く叔父さんに相談しとけば良かった」
「どうするの?福岡に行くの?福岡はいいところに感じたけど」
おれも叔父の話を聴き、福岡は魅力的なところだと思った。でも、福岡に行ったら理央と離れてしまう。
「理央はもう進路とか考えているの?」
「私もまだかな…。将来、何になろうとか考えたことは…考えてないし」
「小説家は?昔なりたかった…というか、半分なっただろ」
「確かにそうだけど、今はろくに本も読めないんだよ。無理だよ」
「無理じゃない」
立ち止まり、理央の目を見た。
「おれの勘だが理央は絶対に、また、小説を読んで、物語を書けるようになると思う」
そうだ、理央は強いんだ。過去を乗り越えていける。そのことに理央が気づいてほしかった。
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