OBの話

 夏休みが始まる3日前の授業の終わりに入間先生から呼ばれた。

「どうだ、最近は何か嫌なことはないか」

 入間先生はいつもおれのことを心配してくれた。

「大丈夫です。ありがとうございます」

「そうか、何かあったら遠慮なく言うんだぞ。それとな、今日、部室に行くか?」

「はい、松野さんも来ると思いますけど」

「今日、文芸部OBの楠田さんという方が部室に行きたいそうだ。楠田さんは昔、文芸部の全国大会で優秀賞をとられた人でな。話を聴いたら良いと思うのだが…。松野と相談して会うかどうか決めといてくれ」


「OB?」

「ああ、なんでも、ここを10年前に卒業した生徒だそうだ。この賞状見て」

 2人で壁にかけられた賞状を見る。

「この楠田隆って人が今度、来るそうだ。入間先生いわく、仕事の関係でここらへんに来ることになって、そのついでに文芸部の部室を見たいんだってさ。懐かしくなったんだろうな?その人が書いた小説が、この本にあった」

 全国大会で最優秀賞、優秀賞をまとめた作品集を理央に見せた。

「春原君はその作品、読んだの」

「読んだ。簡単に物語を要約すると、両親の離婚によって無気力になった女子高生が、昔の友人や病気の少年と出会うことによって再生されていくという内容だった。設定自体に弱さは感じたが、物語を作り上げようとする気持ちは感じた。上から目線で申し訳ないけど、嫌いな作品ではない」

「そうなんだ」

「入間先生は、OBと話すのは勉強になるから話を聴いておいた方がいいぞって感じだったんだけど。どうする?」

 理央は迷っているようだったが「せっかく、入間先生が言っているんだし、会ってみようかな。意外と外部の人とだったら話せるかもしれないし」と言った。

 おれと理央は話し合い、楠田さんに会うことになった。


「こんにちは。楠田隆です。部室を開けてくれてありがとう」

 楠田さんはスーツ姿だった。

「営業でこの地区の担当になって、たまたま時間が空いたから懐かしくなって」

 おれと理央は簡単な自己紹介をした。そして、現在の文芸部の状況を説明した。

「残念ですが、今は部員数も少なくて、楠田さんが居たころのように活発に活動できていません。僕自身も本を読むのは好きですが、創作活動はしていません」

「それは、入間先生に聞いたよ。それは仕方がないね。時代によって学生の価値観も違うだろうし…。運の問題もある。僕らの時はたまたま、文芸に対して情熱をもった生徒がいたんだろうな。部長や副部長が中心に、小説に関していっぱい語り合ったよ。先輩方の情熱に僕ら後輩は引っ張られていた」

 楠田さんは理央のほうを見た。

「さっき、間違えていたら、と思って言わなかったんだけど、松野理央さんって、あの『アキの友達』の作者かな…?」

 理央は少し戸惑ったようにうなずいた。

「そうか、僕もあの小説読んだよ。素晴らしい物語だ。なんて、才能のある子なんだろうって思ったよ。今でも小説は書いているの?」

 それは、理央が一番されたくない質問だ。楠田さんにその理由を説明するわけにはいかない。

「楠田さんは、今も小説を書かれているんですか?」

 おれは話をそらすように言った。

「今でも、書いている…って言いたいんだけどね。今は、物語らしきものは書いていない。書いているものは仕事関係の書類ばかりだ」

「お忙しいから、仕方ないですよね」

「忙しいのもあるんだけど、ちょっといろんなことがあってね」

 楠田さんは立ち上がり一冊の本を手に取った。

「この本、読んだことある?」

 おれと理央はその本の表紙を見た。『いつかこの日の花を見る』という本だ。

「はい、時代小説ですよね。浪人が好きな女性を守るために死を覚悟で仇討ちをするといった…確か、映画化されましたよね。その時、あまり読書興味なかったんですけど、若い人気俳優が出演するというので話題になっていたので題名は覚えていました。じっくりと読んだのは最近です」

「そう、5年くらい前に出版されて、時代小説としては、大ヒットした。若い人が買う時代小説として脚光を浴びたよ。どこが良かった?」

 おれは、少し考え「展開やラストが他の時代劇とは違っていて面白かったです。登場人物たちが活き活きとしていて、心情が丁寧に描かれていました。仇討ちがテーマでしたが、敵が完全に悪ではないところも考えさせる面がありました」と言った。

 楠田さんはそれを聞くと微笑みながら「ありがとう」と言った。

「え…」

「この小説は、僕も書いたものなんだよ」

 おれは意味がわからず、理央の方を見た。理央もおれの方を見ていた。理央も同じ気持ちなのだろう。

「ごめん、混乱させてしまったね。ここまで話してしまったら、しょうがない。信じるかどうかは君たち次第だが、少し話を聴いてくれるかな」

 おれはうなずいた。

「高校で文芸部に所属した僕は、文芸創作の楽しさに目覚めていった。結果も残すことができたしね。大学に入ってからも文芸サークルに入り創作活動を続けた。コンクールや賞にも応募したけど、高校の時のように結果はでなかった。当たり前だ。プロの世界だから。それでも、自分の書きたいものを書いている満ち足りた時間だった。気に入った言葉があれば、それをメモし、創作のために多くのことを経験しようとした。山のように本も読んだ。僕の大学生活は充実していた」

 おれは楠田さんを少し羨ましく思った。おれも本を読むのは好きだが、書いたことはない。夢中になれるものがあった青春時代はきっと楽しかっただろう。

「そんな時、文芸サークルで彼女と出会った」

 楠田さんの顔が少し暗くなった。

「彼女は小説家を目指しているのだと言った。理由を尋ねると『見返したい』と言った。よく聴いてみると、彼女は幼い頃からいじめられていて、友達が一人もできなかった、ということだった。自分は可愛くもないし、勉強もそこそこ、でも、物語を作ることは上手だった。だから、有名になっていじめた奴らを見返したい、と。僕は、そんな方法で見返せるのかと少々疑問を感じたが、明確な目標があるのは良いと思った。だが、彼女の小説はお世辞にも上手いとは言えなかった。発想に光を感じるものの、そのあふれ出る想像力を書ききれていないように感じた。でも、振り返ってみると僕の作品には彼女にあるものがないような気がした。高校生の時からだが、僕の作品は文章にまとまりがある分、発想力が足りないという弱点があった。徹底的に悪くもないが、人と比べて個性がない」

 小説は文章力も必要だが、発想力も大切だ。どちらか1つが欠けた作品は魅力が足りないだろう。

「そこで、僕は彼女に提案した。二人で作品を書かないか、と。彼女の発想力と自分の文章力があれば、良い作品が書けるのではないか、とね。彼女も乗り気になり、創作を開始した。ジャンルはまだ書いたことがない時代小説に決めた。まったくしたことのない分野の方が、かえって良いのではないか、と思ったからだ。二人で資料を集めたり、博物館に見学しに行ったりして江戸時代の雰囲気をリアルに描こうとした。日本史の教授に、話を聴きに行ったりもしたよ。僕は今までよりも、さらに充実した時間を過ごした。小説を書くということは孤独な作業だと思っていたけど、こんな風に分かち合いながらするのも良いものだった。彼女の顔も生き生きとしてきて、明るくなった」

 楠田さんは少し黙った。彼女のことを思い出しているのだろう。

「その中で、僕は彼女のことが好きになっていった。うぬぼれる訳じゃないけど、彼女も僕のことを好きなのではないか、と思っていた。動作や仕草でそれが何となくわかったからだ。ようやく作品が完成した。『いつかこの日の花を見る』だ。二人で何度も読み返して、細かいチェックもした。彼女はあるコンクールにこれを応募したい、と言った。僕はそれを彼女に任せることにした」

 楠田さんはため息をついた。その様子におれは身を乗り出し「まさか、その彼女さん、作品を」と言った。最後までは言えなかった。

「そうだ、彼女はその作品を自分だけが書いたものにした。コンクールの結果が発表された時、僕は驚いた。彼女を問い詰めようかと思ったが、コンクールの発表後から彼女は大学を休んでいた。体調不良のため休学届を出したということを人から聞いた。連絡をとっても返事はなかった。作品は色々なメディアで紹介されて、彼女のことも紹介された。女子大生が書いたということもプラスしたのだろう。大学でも在学生が、栄えある賞を受賞したということで、盛り上がった。そんな中でとてもじゃないが、あれは僕と彼女の合同作品なんだとは言えなかった。大きな波の中で個人の力はないに等しい」

 そうだ。その通りだ。大きな力に立ち向かっていくのはとても勇気がいるんだ。おれだって立ち向かえなかった。

「僕は、しばらく、何もする気が起きなかった。絶望とかではない。どうしてこういうことになってしまったんだ、という疑問だった。彼女を憎む気持ちも沸いてこなかった。就職活動もする気になれず、ただ生きているだけという状態が続いた。そんな時、彼女からメールで連絡が届いた。そこにはこう書かれていたよ。『こんなことをしてしまってごめんなさい。でも、私はどんなに後悔しても、あいつらを見返したかったんです』とね。僕は彼女と一緒に小説を書いている時、彼女はもう復讐のことなんて忘れていると思っていた。でも、違った。僕は彼女の思いに気付けなかった。それ以来、彼女から連絡は来ていない。僕はそのメールを読んで、踏ん切りがついた。就職活動を始め、今の会社に就職した。先ほど、言ったように、もう小説を書いていない」

 おれは彼女の気持ちを考えた。確かに彼女は名声を手に入れた。しかし、大切なものを失ってしまったのではないか?

「すまないね。こんな暗い話をして。なんだか君たちなら僕の話を信じてくれるんじゃないかと思ってしまって。まあ、彼女みたいな人はめったにいないと思うから、安心して創作活動をしたらいいよ」

 理央の方を見る。理央もおれと同じことを考えているかもしれない。

「本を読むのは今でも好きだよ。さっきも言ったけど『アキの友達』はこれまで読んだ小説でトップ10に入る。君の将来が楽しみだよ」

「楠田さん…」と理央が言った。

「私、ある事情で、本を読めなくなりました。今でこそ、少しずつ読むよう努力していますが、昔のように楽しんで読むことはまだ、できません。小説だってそうです。書くことはもうやめています。私の書いたものが誰かを傷つけるのではないかということが怖いんです」

 おれは驚いた。初対面の楠田さんに対して正直なことを言うとは思っていなかったからだ。

 楠田さんは「そうなのか」と言った。

「松野さん、事情も知らないで色々なことを言ってすまなかったね。でも、これだけは言っておきたい。一度、好きになったものは自分の心から消えるわけではない。忘れたつもりでも心の奥底にあって、ある時にまた戻ってきてくれるものだと、僕は思う。それにね、物語は確かに人を傷つけることもあるかもしれない。ペンは剣より強しとは良くできた言葉だ。剣も多くの人間を傷つけるかもしれないが、ペン、書き物はそれ以上に、人の心を傷つけることもあるからね。だけど、少なくとも僕は君の小説に癒された。それはまぎれもない事実だ。僕もいずれ気持ちが戻ってきたら物語を書いてみようと思っているよ」

 そう言いながら立ち上がり「長居してしまったね。そろそろ仕事の時間だ」と言った。そしておれたちに礼を言って部室を出ていった。


「理央が突然あんなこと言うなんて思わなかった。でも、楠田さんに話せて良かったな。楠田さんも色々な経験をして、今があるんだろうな」

「私も、また、しっかりと本読める日が来るかな」

「来るよ」

 おれは力強く言った。理央が自分の気持ちをしっかりと言ってくれたことが嬉しかった。誰かを好きになることは傷つくことでもあるけど、与えてくれる幸せは確かにあるのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る