何もない家

 2年生になって最初の日曜日午後、おれは久々に父と母がいる家に向かった。電車とバスを乗り継ぎ、1時間くらいかかる。

 月曜日に学校に提出しなければならない書類にサインをもらうためだ。いつもは郵送でやりとりするのだが、おれが送るのを忘れていたため、家に行かなければいけない。

 足が重い。気分が悪い。バスや電車に乗っている間、本を読む気持ちにもなれなかった。

 あの家には何もない。おれの居場所も、愛情も。

 もう、あきらめた。そう思っていてもどこかで期待してしまう。「おかえり」と声をかけてくれるのではないか、と。

 家の前に立つ。呼吸を整える。ドアを開けた。リビングに父と母がいた。

「おかえり」を言われないから「ただいま」も言わない。

 おれは黙って書類を差し出す。会話をすることも父も母も望んでいないだろう。

 母は書類をちらりと見ると、黙ってサインをした。そして、おれに渡した。もう、帰らなければいけない。

 でも、その日はなぜかその場から動けなかった。何か、言葉がほしかった。せめて、おれを見てほしかった。

「父さん、母さん」

 父と母はこちらを見ない。でも、おれは続ける。

「おれ、友達ができたんだ。その友達には、事件のこと全部、話した。友達はおれが事件の犯人じゃないってことを信じてくれた。嬉しかったよ。血のつながっている2人にも信じてもらえなかったのに…」

 部屋の空気が重たい。その時、理央と杉原さんの言葉を思い出す。川上さんが死んだことはニュースになっていたと言っていた。父と母はそれを知っているのか。

「父さんと母さんは知ってる?川上さんが自殺したこと」

 時計の音が響く。その時、父が口を開けた。

「知っている」

 久々の父の声だ。

「母さんの友人が教えてくれた。驚いたよ。そして、申し訳ない気持ちになった」

「えっ」

「たぶん、お前にされたことが忘れられなくて、トラウマになったんだろう。お前は人も殺したんだ」

「ちがう!あれは」

「何も言うな。もう、お前を息子ではない。早く、帰ってくれ」

 頭が真っ白になった。2人はそこまでおれのことを信じてくれないのか。

 もう、何を言っても無駄だ。何も言えない。おれは、ふらつきそうになるのを耐え足を動かした。やっとの思いでドアを開けた。


 翌日、部室で理央と話していると、理央が「春原君、何かあった?」と言った。

「何で」

「なんか、いつもより元気がないみたいだから」

「そんなことないよ」

 理央が真剣な顔をしておれを見る。

「何かあったのなら、言って大丈夫だよ。私、いつも、春原君に頼ってばかりだから。もし、春原君が悩んでいることがあったら、少しでも役に立ちたい」

 理央の言葉に思わず昨日のことを言いそうになる。でも、言えなかった。言ったら泣いてしまいそうだったから。あんな両親のために泣きたくはない。

「昨日、ちょっと遅くまで本、読んでて寝不足なのかもな。心配かけてごめん」

「それなら、良いんだけど」

 理央の顔を見ていると落ち着いてきた。

 信じてくれている人がいる。それが心の支えになっていた。

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