青い空

 春休み、商店街を歩いていたら後ろから声が聞こえた。

「春原君」

 振り向くと、セーラー服を着た女子が立っていた。おれの学校の制服じゃない。しかし、その女子は見覚えがあった。

「もしかして、溝口さん?」

「そうだよ。嬉しい。覚えていてくれたんだね」

 溝口さんは、小学6年の時のクラスメイトだ。大人しい性格で本が好きだった。いつも教室で本を読んでいた姿を思い出した。

「春原君、中高一貫校に行ったよね。でも、その制服…」

「ああ、色々あって、別の高校に行ったんだ」

「そうなんだ」

 溝口さんは、おれがあまり話したくないことを察したのか話題を変えるように「懐かしいから、そこのベンチで話さない?」と言った。


 ベンチに座り、溝口さんは色々なことを話した。生徒会と部活の両立が大変だと言うこと。勉強の時間がなかなかとれないこと。

 おれは意外な感じがした。溝口さんがこんなに喋るのを小学生の時は見たことがなかった。生徒会に入っているのもあの時の姿からは想像できない。

 おれがそんなことを考えていると、溝口さんは「ごめんね、私ばっかり、喋ってしまって」と言った。

「いや、大丈夫。すごいね、色々なこと頑張ってて」

「春原君のおかげかも」

「何で?」

「小学生の時、私、すごく大人しかったよね。だから、友達もあまりできなかった。そんな私に、春原君はすごく気をつかってくれて、グループを決めなきゃいけない時も積極的に誘ってくれたりした。それが、きっかけでだんだんクラスメイトと打ち解けられるようになって。少し自分に自信がついたの」

「そうなんだ…」

 おれには気になることがあった。

「溝口さんは塾とか通っている?」

「通っていないよ。なんで?」

「おれの噂とか聞いてないかな?」

 溝口さんは首を横に振った。

「実は、私、中学1年の夏に転校したんだよね。北海道に行ってたの」

「北海道!それは遠いな」

「でしょう。でも、父親の仕事の都合でまたこっちに戻ってくることになって、高校はここになったの」

 溝口さんにとっておれは昔のままなのだろう。

「春原君は、何か部活とかやってるの?」

「文芸部に入っている」

「え、以外。運動部かと思った。小学生の時、運動神経抜群だったよね。本を読んでたイメージもないな」

「中学3年の時、好きになったんだ」

 なんでと尋ねられたらどうしようか、と思ったが、溝口さんは「残念だな」と言った。

「小学生の時、春原君が本好きだったら、もっと色々と話せたかもね。今、どんな本好きなの」

「色々な本を読むけど、最後は幸せになるやつが好きだな。バッドエンドでも良い作品はあるけど、明るい気持ちになって終わりたいから」

「そっか」と言い溝口さんは少しうつむいた。何かを考えているようだ。

「こんなこと言うの、おかしいと思うんだけど、『生きたい』って気持ちになれるような本ってないかな」

 おれがその言葉に戸惑っていると「春原君だから、話すんだけど、実はね、北海道でできた親友がね、中学3年の時、自殺しようとしたの」と溝口さんは言った。

「えっ」

「その親友は、生徒会長をしていて、先生からの信頼はあったけど、生徒の中ではそれを面白く思わない人もいて、いじめとまではいかないかもしれないけど、陰でこそこそひどいことを言われていた。それに、親友も気がついていた。私が心配していたら、『大丈夫。気にしていないから』って言って笑ってたから、私も大丈夫だと思ってしまったの」

 そう言うと、溝口さんは少し黙った。そばを通る人の足音が聞こえる。

「ゆっくり話していいよ。時間はあるから」

「ありがとう。やっぱり春原君は優しいね。大丈夫。話せるよ。ある日、学校の屋上に親友がいたの。何をしているんだろうって思ったら、フェンスを登ろうとしてた。わたしは驚いて、職員室に駆け込んだ。先生達が総動員して説得した。私ももちろん止めた。親友は無表情でその言葉を聞いていたけど、何かをあきらめたように、その場に立っていた。それ以来、親友は自分の部屋に引きこもるようになった」

 おれは溝口さんの話を聞きながら自殺しようとした時のことを思い出していた。屋上に立っていた時、踏切を見つめていた時の身体の痛みがよみがえってくる。

「春原君、大丈夫?」

 顔がこわばっていたのだろう。溝口さんは心配そうな顔でおれを見た。

「大丈夫。続けて」

「引きこもったあとも親友は私とは会ってくれた。それで、聞いてみたの。なんで、あんなことをしたのって。そしたらね。親友は『空が青かったから、こんなにきれいな青い空なら飛んだら楽しいだろうなと思って』と言って、その後は何も言ってくれなくなった。その後、私は転校してしまった。親友に何通も手紙を出したし、メールも送信した。でも、何の返信もない。親友のお母さんに連絡したら、必要最低限しか部屋から出てこないって」

 溝口さんの声は少し震えていた。泣くのをこらえているようだ。

「私ね、思うの。あの時、親友の一部は死んでしまったんじゃないかって。私は自分を責めた。どうしてもっと寄り添えなかったんだろう。もっと声をかけてあげなかったんだろう。だから、遠くに離れていてもできることはしたい。生きたいと思ってほしいの。でも、どうしたらいいのかわからなくて。私が知っている本では、解決しないような気がして」

「えらいな。溝口さんは」

「何で?」

「自分のこと以上に友達のことを思っているだろ。できそうでできないことだよ」

 友情が壊れてしまうのはあっという間だということをおれはあの事件で学んだ。

「生きたいという気持ちになれる本を紹介するのは難しいな。おれにとっては良い本でも、溝口さんの親友には良くないという場合もある。無理やり読ませてかえって傷つけたら悪いし、人の心はそれぞれだから」

「そうだよね。ごめんね。こんなこと話して」

「こっちこそ、具体的なアドバイスができなくてごめん。それよりも話したいことがあるんだ」

 おれは迷いながらも事件のことを話した。この地域の学校に通っていたら噂を知る可能性がある。また、誤解されるのは嫌だった。

 溝口さんはおれの話を聞いて驚いたように言った。

「春原君がそんなひどい目にあっていたなんて。おかしいよ。春原君は何も悪くないのに」

「周りが信じてくれなかったのが一番、辛かったな」

「私は信じるよ。だって」

 溝口さんの顔が少し赤くなる。

「春原君のこと好きだったから」

「溝口さん…」

「思い切って言うけど、今だって好きだよ。北海道に行っても春原君のこと忘れたことなかった。大人しくてずっと男子にからかわれていたから、春原君と会うまで男子のことが嫌いだった。でも、春原君はちがった。私を変えてくれた」

 溝口さんはおれの目をしっかり見て言った。

「ここで会ったのも何かの縁だね。私と付き合ってほしいの。こんなチャンスもうないと思う」

 おれはすぐに返事をすることができなかった。こんなに真剣に告白をされたのは初めてだ。でも、うなずくことはできない。

「まず、信じてくれてありがとう。すごく嬉しいよ。でも、ごめん。今、おれには好きな人がいるんだ」

 溝口さんはおれの目をじっと見つめた。そして、「良かった」と言った。

「はっきりと自分の思いを言えて良かった。すっきりしたよ。いいなあ、春原君に好かれるなんて。すごく魅力的な子なんだね」

 溝口さんの言葉に思わず笑ってしまう。

「春原君、友達としてなら付き合ってくれる?」

「もちろん」

「恋愛相談ならいつでもしてね」

 溝口さんとおれは連絡先を交換し、ベンチから立ち上がった。しばらく歩き分かれ道まで来た。

「わたしこっちだから」と溝口さんは言い歩き出そうとしたので「溝口さん」とおれは呼び止めた。

「親友に伝えるかどうかは溝口さんが判断してほしいんだけど、おれがもし親友に言葉をかけるとしたら、『青い空を飛ぶのもいいけど、同じ道を一緒に歩こう』って言うと思う。犯人にされたことは確かにショックだった。でも、その中で本当に好きな人と出会うことが出来た。それは幸せだったと思っている」

「ありがとう。やっぱ春原君はかっこ良いね。春原君に話せて良かった」

「おれも、溝口さんと話せて良かったよ」

 じゃあまた、そう言いあって別れた。また会える人がいる。そんなことが嬉しかった。


 一人歩きながら今日、自分が言ったことを考えた。好きな人がいるとはっきりと人に伝えたのは初めてだ。言うことで理央への気持ちが益々、深まったようだった。

 夕焼け空を見ながら思う。空はきれいだ。空を飛びたくなる気持ちもわかる。でも、大切な物を犠牲にしてまで飛ぶ必要はないのではないか?

 おれは大切なものを考えながら歩いた。

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