松野さんの過去

「一緒に来てほしい場所がある」

 松野さんの言葉におれは「わかった」と言った。体育倉庫でのできごとから1か月たった。やっと何かを話す気持ちになってくれたのだろう。

 休日、松野さんと電車に乗った。女子と2人きりで出かけるのは初めての経験だ。窓から外を見ると海が見えた。海を見るのは久しぶりだった。

 電車を降りてしばらく歩いた。松野さんは何も話さない。話しかけられそうな雰囲気でもない。

 松野さんは立ち止まった。

「この海にお姉ちゃんは身を投げた」

 唐突に松野さんが言った。

「お姉ちゃんは優秀で、私が劣等生だったこと話したよね?」

「お姉さん…。綾乃さんっていう名前だよな」

「13歳の時、春原くんも知っている通り小説を書いた。軽い気持ちだった。他人からの評価なんて気にしていなかった。それでお姉ちゃんを見返そうなんて考えたこともなかった…。小説の中に優秀なクラスメイトがいたでしょ」

「男の子、だったな。充っていう」

「その子はお姉ちゃんをモデルにしているの」

「そうなんだ…」

「春原君、この小説好きだったって言ってくれたよね。どこが良かった?」

「主人公たちの心情が良く表れている。あれぐらいの歳の子たちの気持ちがリアルに伝わってきた。アキの視点、充の視点が丁寧に描かれている。正直、自分と重なって、読んでいて辛くなる時もあった。でも、最後が希望に満ちて終わっている。そこが好きだった。改めて同じ歳でこんな物語が書けたのはすごいと思う」

「ありがとう」と松野さんは少し照れたように言った。

「でも、どうしてこれがお姉さんとつながってくるんだ?」

「私はこの小説を書き終えてある賞に応募したの。別に賞には興味はなかったけど、誰かに読んでもらいたかったのかな。そしたらこの本は私が思っていたよりも評価されて、最優秀の賞をとることができた。プロの作家さんにも褒められた。出版もされて、地元の新聞にも掲載された。両親も褒めてくれたし、お姉ちゃんも自分のことのように喜んでくれた。学校でいじめられることもなくなった。私は嬉しかった。ちょっと浮かれていたのかな」

 松野さんはそこまで話すと小さく息を吐いた。

「そんな時、お姉ちゃんは大学受験に失敗した」

「両親はあまり失敗をしたことのない人だから、がっかりしていてお父さんは『大学受験でつまずいたら、もうダメだな。いくら今までの成績が良かったって、大学に関しては就職にもかかわってくるからな』と言っていた。お母さんも白い目をお姉ちゃんを見ていた。心配をする私にお姉ちゃんは『また、次で挽回すればいいから。そしたらお父さんもお母さんも私のこと見直してくれるでしょう』と言って表情も明るかった。だから、大丈夫だと思ってしまった」

 松野さんはそこまで言うとしばらく黙った。おれが声をかけようとしたら「第二志望の学校を受けて、あとは結果を待つだけという時、お姉ちゃんは自殺した」と言った。

「自殺は私に原因があると両親は言った。あなたの小説の中の、女子児童が原因なんじゃないか、と言った。嘘をついた女子児童のモデルはお姉ちゃんにしたからじゃないかって。それにお姉ちゃんは傷ついたんだろうって」

「なんでだよ。モデルは充だろ。成績が良くて優しくて、聴いている限りお姉さんにぴったりだ」

「何度もそう言ったけど、両親はわかってくれなかった。そしてこう言われたの。『お前が綾乃を殺したようなものだ。お前が死んでいれば良かった』って。それから、両親は私をいないものとみなした。話しかけても、いっさい無視した。世間体を気にして最低限のことはしてくれているけど、その時から言葉を交わしたりしていない。それだけじゃない。お姉ちゃんの部屋からメモが出てきた。メモにはこう書かれていたの。理央の書いた小説が辛いって。それでお姉ちゃんの死は私のせいだという決定的な証拠になった。最初は違うって思っていたけど、何度も言われるとそうだと思うようになってきた」

 おれは松野さんの両親に対し怒りを感じた。姉が死に、辛い思いをしている松野さんにそんな言葉をかけるなんてどうかしている。

「お姉ちゃんが死んだのは3月だったから、まだ海も冷たかった。その時のお姉ちゃんの気持ちを思うと、どれだけ辛かったのかなと思う。試験の結果は合格だったよ。でも、それは、あまり意味がなかったのかな。私はいつも私だけが大変だと思っていた。お姉ちゃんは常に光の中に居て、強い人だと思っていた。両親の態度にだってめげていないように私の目からは見えた。私は本を読むのが好きで、うぬぼれかもしれないけど、人の心を理解するのは得意かなって思ってた。でも違った。そばに居る人のことに気づけなかった。はっきり言えば良かった。充はお姉ちゃんがモデルなんだよって」

 松野さんは冷静に話していた。それに心が痛む。

「それからだよ。本も読めなくなったし。小説を書くこともやめた。部屋にあった本も全部処分した。私の部屋はお姉ちゃんとそっくりになった。そうしたら、皮肉にも現代文の成績は良くなった。次第に、私が小説を書いたことは忘れられていって、学校でもまたいじめられるようになった。高校で気が付いてくれたの春原君ぐらいだよ」

「悪かったな、いきなり本を見せて。そんなトラウマがあったら倒れるのも無理はない」

 松野さんは首を振った。

「あれがなかったら、こんな風に過去を話すこともなかったと思うし、無理やりにでも過去と向き合ったのは良かったと思う」

 松野さんの顔は話し始める前よりも穏やかな表情になった。

 おれが考えていたよりも松野さんの過去は辛いものだった。おれと同じように簡単には解決はできないだろう。でも、その過去を話してくれて嬉しかった。松野さんの心に少しでも寄り添えた。

 しばらく、2人で海を見る。その日の海は穏やかで波もないように見えた。

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