図書館
校門の前で松野さんを待ちながら、おれは後悔の気持ちでいっぱいだった。今日は後悔ばかりの一日だ。
倒れた松野さんを抱えて保健室に行った。保健室の斎藤先生に「カッターを使う作業をしていて腕を切って驚いて倒れてしまった」という嘘をついた。
―松野さんの過去なんてどうでもいいじゃないか。
なぜ、知ろうとしたのだろう。そして、なぜ、傷つけてしまったのだろう。うつむいて、しばらく考えていた。
近くに人が来た気配がしたので顔を上げると松野さんが立っていた。
「鞄、持つよ」とおれは言った。
「大丈夫。自分で持てるから」
「いいから」
半ば無理やり、鞄を持った。
松野さんはおれの3歩あとあたりを歩いた。そのほうがおれもありがたかった。
松野さんが立ち止まった。
「ここまっすぐ行ったとこ?」
「ここまででいいよ。ごめんなさい。何だかいっぱい迷惑かけっちゃって」
「いや、全部、おれのせいだから」
おれは鞄を渡しながら「さっき言った本のことだけど、あれは忘れてほしい。おれが間違っていた。もう、プライベートなことに踏み込まない」と言い、松野さんに背を向けてその場から離れた。松野さんの視線を背中で感じたが、振り向かなかった。
真っすぐ家に帰る気になれず、図書館に向かった。
小さな図書館だったが、落ち着いた雰囲気の中で本を読むことができ、部室と同様に心が解放される場所だった。
文庫本、雑誌コーナー、写真集、まずは色々な場所を見て回る。
自分が好きなシリーズが全巻そろってない時、嬉しかった。おれと同じようにこの本のことを好きな人がいるのだ。
何冊か本を借り、外へ出た。まだ明るかった。
自動販売機でお茶を買い、ベンチに座った。まだ、心が落ち着かない。松野さんのことが頭から離れなかった。
腕が血だらけだった松野さんが保健室に行くことを拒んだため、リストカットだと思った。リストカットのことは聞いたことはあったが、実際にしている人は見たことがなかった。
―自分で自分を傷つけたら何か楽になれるのか。
少なくともおれは楽になる気はしなかった。あのことは身体の傷で癒えるくらいの痛みではない。
でも、痛みをとる方法は人それぞれだ。松野さんにはあれしか方法はないのかもしれない。
そんなことを考えていると「春原君」という声が聞こえた。
「久しぶりね。元気だった?」
この図書館の司書をしていた日田さんだ。図書館に何度も通うおれに毎回、声をかけてくれた。今年、定年で退職したので、しばらく会っていなかった。
「お久しぶりです」
「高校生になってなんだか大人っぽくなったように感じるわね。元気だった?」
元気です、とおれは嘘をつく。あの日から、元気だった日なんてない。
「高校生になっても図書館、通ってくれているのね。嬉しいわ。退職してから色々と家のこととかが忙しくてね。なかなか来れないの。今日は久しぶり」
日田さんは優しい笑顔でいつもおれに接してくれた。あの日以降、おれに心からの笑顔をむけてくれたのは日田さんだけだったかもしれない。
「春原君の本好きを、孫にも見習ってほしいわ。孫が全然、本を読まなくってね。友達とゲームすることの方が楽しいみたいで。せめて、一冊くらいは好きな本があってほしいんだけど」
「いいじゃないですか、友達と遊ぶことも大切ですよ」
「春原君は高校で友達できた?」
「…はい。読書好きの友人がいます」
また嘘をつく。日田さんに本当のことは言えない。
「春原君の友達はきっと幸せね」
「なんでですか」
「読書が好きな子はね。優しい子が多いのよ。長年、司書をやってきてね。本を読んで色々な考えに触れるから、たくさんの価値観を認めることができるの」
その言葉に心がえぐられる。おれは松野さんに何をした?優しさや温かい感情をおれはあの日に置いてきてしまった。
「友達も一緒に図書館へ来てね」
日田さんはそう言い、おれに手を振り、その場を去った。
日田さんが去った後もその場を動く気持ちになれなかった。
「優しい子か…」
本は性格を良くするために本を読み始めたわけじゃない。本を読まなかった時の方が性格は良かったと思う。
本を読むことは一人ですることができる。今のおれには丁度良かった。
本を読むおれと本を読まない松野さん、どちらも孤独だ。読書をする、しないと性格はあまり関係がなさそうだ。
もう、人と関わりたくない。松野さんにも関わらないようにしよう。
傷つけられることも傷つけることもしたくない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます