あの日

 文化祭が終わり、松野さんと文芸部の部室に行く間、あの日のことを思い出す。ごちゃごちゃとは話したくない。感情的にならないように話そう。

 あれは、中学3年になったばかりの時だ。


「健人!」

 振り返ると、アキラと優斗が立っていた。

「どこに行くんだ。一緒に帰ろうぜ。今日は陸上部も休みだよな」

「悪い、ちょっと用事があって…」

「わかった。また女子からの告白だろ。いいよなあ、勝ち組の人間は、おれも健人みたいな人生送りたかったよ」

 アキラは茶化したように言った。

「健人君はかっこいいんだから仕方ないよ」と控えめに優斗が言った。

「なんだよ、それおれがかっこよくないみたいじゃんか」とアキラは言い返し、優斗はあわてたように、そういうわけじゃないけど、と言った。

 その様子をおれは笑いながら見ていた。

「じゃあ、そういうわけでおれ、行くな」

「お前もそろそろ女子と付き合えよ。女の子、泣かせたら後でばちがあたるぜ」

 中学に入ってから2人の女子から告白された。だが、おれは断っていた。彼女をつくろうという考えはなかったし、その気持ちがないのに付き合っても失礼だと思っていたからだ。


 待ち合わせの場所に行くと、川上愛菜さんが立っていた。

 川上さんはクラス中でも目立っており、かわいかった。容姿だけではなく、性格も良く、男子からも女子からも人気があった。中学2年生の時、一緒に学級委員をしたこともあり、話すことも多かった。

「春原君、来てくれてありがとう」

 少し伏し目がちに川上さんは言った。

「何の用かな」

 川上さんはしばらくうつむいていたが「春原君のことが好きなの」と言いながらおれの方を見た。

「付き合ってください」

 顔が赤くなっていた。

 おれは少し間を置き「ごめん」と言った。

「川上さんのこと、嫌いじゃないけど、正直、彼女をつくるとかそういうのに興味がないんだ」

 これまで告白してきた女子にもそう言って断っていた。言った直後は悲しそうな顔をされるので申し訳ない気持ちになるが、嘘をつくよりはいいだろう。

 川上さんは「そうなんだ。それなら仕方ないね。こっちこそごめんね。時間とらせてしまって」と言った。「大丈夫だよ」と言うと川上さんは笑い、その場を去った。あっという間だった。

―アキラと優斗に待ってもらえば良かったかな。

 おれは、のんきにそんなことを考えていた。

 

 それが全ての始まりだった。


 土日が終わった月曜日、いつものように「おはよう」と言いながらクラスに入った。しかし、皆、何も言わない。ふざけているのだと思ったが、クラスメイトがおれを見る目がいつもと違った。

 緊張しているような、怒りを感じているかのような目でおれを見ていた。アキラと優斗も教室の隅でおれと目を合わせない。

 特に女子の目が厳しいように思えた。

 そして、川上さんが学校に来ていないことにも気が付いた。

 不思議に思い、誰かに話しかけようとしたら、担任の相沢先生が「春原」とおれを呼んだ。

「すぐに生徒指導室に来なさい」

 

 生徒指導室に行くまでの間、相沢先生はおれに何も声をかけてくれなかった。おれと目を合わせることも拒否しているようだった。

 生徒指導室に着くと、生活指導の田中先生と教頭先生が待っていた。生徒指導室は問題行動をした生徒が入るところだ。おれは入ったことはなかった。

 相沢先生は、おれの方を向くと「川上は、今日休んでいる。心当たりはないか」と尋ねた。

「ありませんけど…」

「ふざけるな!白を切るつもりか!」といきなり田中先生が立ち上がった。

「まあまあ、田中先生。怒る気持ちはわかりますが、落ち着いてください。春原…、川上がお前に暴行されたと言っているのだが…。本当の事か?」

 おれは頭が真っ白になった。暴行?何を言っているんだ?

「そんなこと絶対にしていません!」

「しかしなあ、川上の言っていることは具体的で嘘を言っているように見えなかった。川上が言うところによれば、先週の金曜日の放課後、お前は川上を呼び出し。付き合ってほしいと言った。だが、川上は勉強を優先したいと言って断った。そうしたら、お前が川上を押し倒し、カッターを突き付け、言うとおりにしないと顔を切るぞと言ったという。川上はとりあえず、うなずきその場を離れたが、その恐怖で、すぐには親にいうことができなかった。昨日、ようやく親に話すことができ、今日を迎えたのだが…」

「違います。言うのが恥ずかしかったのでさっきは、言いませんでしたが、告白してきたのは川上さんの方です。そして、僕はそれを断りました。川上さんも納得してくれました。暴行なんて一切していません。そもそも、カッターを持ち歩いてもいません」

 精一杯、否定した。しかし3人の心には何も響かないようだった。

「とにかく、今日、川上のご両親とお前のご両親に来てもらって、話し合いをするから、お前も放課後、またここに来るように」

 相沢先生は冷たくそう言った。


 教室に戻ると授業が始まっていた。おれが入ったとたんにクラスの空気が変わった。隣と目配せするもの、おれのことを上目遣いに見るもの。その場を支配する空気すべてがおれに向かっているようだった。

 着席し、呼吸を整る。

―大丈夫だ。

 自分に言い聞かせる。

―おれは何もしていない。もっと時間をかけて説明すれば先生もわかってくれる。親もおれを信じてくれる。

 そう考えると少し冷静になり、教科書を開くことができた。

 休み時間になってもおれに話しかけてくる人はいなかった。アキラと優斗も休み時間のたびに教室から姿を消した。

 小学生から休み時間に話す友達がいなくて寂しいという思いをしたことがなかった。こんなことは初めての経験だ。10分がいつもより長く感じる。

 早く放課後になってほしい。そうすれば誤解が解ける。

 だが、おれのその考えは甘かった。


 長い一日が終わり、生徒指導室に行くと、両親が必死に頭を下げていた。おれの姿に気が付くと、父は声を震わし「どうして、こんなことしたんだ」と言った。

「父さん、おれは何もしていないよ」

「じゃあ、私たちの娘が嘘をついているというの!」と女性が大声で怒鳴った。川上さんの母親だ。

 おれはたじろいだ。そんな風に言葉を投げかけられたことはなかったからだ。今にも殴られそうだ。でも、はっきり否定しなければ。そう思い口を開きかけた時、「春原君だったね」と川上さんの父親が低い声で言った。

「君のことは娘から聞いていたよ。成績優秀で友達も多くて、君がいればクラスがまとまるとね。娘は君のことが好きなんだろうと思った。それをからかうと、『中学校で彼氏をつくる気はないから』と笑って受け流した。だから、君からの告白も断ったのだろう」

 そして、一呼吸置き、おれの目を見つめた。

「私は君を許さない。君は娘の心の一部を殺した。それが戻ってくることはないだろう。しかし、娘は優しい子だ。君の人生を壊したくないと言った。なので、今回のことで君の転校は望まないとのことだ。もちろんクラスは別にしてもらうが、今後、娘にかかわったらどうなるか、わかるね」

 川上さんの母親が泣きだした。おれの父と母はうつむいたままだ。

 おれは気が付いた。ここにいる大人達が皆、おれを信用していないということに。

 川上さんの父親が言った言ったように、おれはクラスで重宝されていた。学級委員を引き受けたり、合唱コンクールのリーダーをしたりした。

「お前は茶髪だけど、模範生とだな」と田中先生は冗談めかして言っていたのだ。

 しかし、教師達は、白い目でおれを見ている。まるで、犯罪者を見るように。それは、過去のおれまで否定しているようだった。


 両親と車に乗り家に帰った。父も母も何も言わなかった。

 家に着き、リビングへ行くと父がおれの方を見ずに言った。

「良い息子に育ったと思っていた。だけど、それは嘘だった。もうお前のことは信じられない。警察沙汰にならなかっただけでも良かったが、お前のしたことは許されることではない。これから、もうお前を息子だとは思わない。世間の目があるから高校までは面倒をみるが、後はなんとかしてくれ」

「父さん、おれは」

「もう、父さんと呼ぶな。犯罪者の息子がいると思うとぞっとする。正直、もう、お前は生きている価値はない」

 母の方を見ると、母もおれの方を見ることはなかった。

 テストで良い結果を残すたびに両親はおれのことを褒めてくれた。陸上部の試合に来てくれたりもした。

 中学受験に合格した時は、泣いて喜んでくれた。

 だが、両親はそんな過去を忘れたようだった。積み上げたきた何かが崩れるような気がした。

 父も母も正義感が強い性格だ。そんな両親を尊敬していた。でも、両親はおれではなく偽の正義を信じた。

 立ち尽くすおれに、もう、何も言ってくれなかった。

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