文化祭

 松野さんが入部して1カ月後に文化祭が始まった。1カ月、松野さんが部室に来ることもなかったし、話すこともなかった。廊下ですれ違うことはあったが、松野さんはいつも下を向いて歩いていたので、おれに気付くことはなかっただろう。おれの方から話しかけることもなかった。

 お互いのためにもそんな関係が一番良いと思った。


 文芸部は文化祭で本の展示を行うことになった。部長を中心に準備はされており、後は部員が自分の好きな本の感想を書けば良いとのことだった。

 部長は文芸部のために時間を使えないことを詫びたが、吹奏楽部と掛け持ちしながら、文芸部に気を配っているだけでも、おれは感謝していたし、温厚な人柄に好感を持っていた。

 おれは先輩達に「後は準備しておきます」と言い、松野さんと2人で教室に残ることになった。

「春原君はクラスに行かなくて大丈夫なの?」と松野さんが聞いてきたので「おれのクラスはお化け屋敷だけど、ほとんど出来ているし、部活があるって言ったらクラスを離れても大丈夫だった。まあ、おれがいない方がいいだろうしな」と答えた。

「どうして?」

「クラスの隅でいつも本読んでる茶髪のやつなんて、相手にしたくないだろ。自分でもあまり関わりをもたないようにしている」

 高校に入ってから、どこのグループにも入らず、必要最低限のことしか答えないおれはクラスで完全に浮いていた。人の輪に入る努力をしていないのだから当然のことだろう。

 松野さんはおれの言葉に対し何も表情を変えることはなかった。

 文化祭当日は交代で教室にいること、自分の方が教室にいる時間は長くていい、といったことを伝えると松野さんは黙ったままうなずき、教室を出て行った。

 松野さんが選んだ本を見ると、小学生が読むような本であり、感想にも感情が感じられなかった。適当に選び、適当に書いたことがわかった。

―本当に本を読まないんだな。

 少しだけ苛立ちを覚えたが、読書は強制的なものではないと思い、その感情を消そうとした。でも、なぜか、なかなか消えなかった。


 文化祭当日、点呼を終えると文化部は部の活動を優先ということで、その場を離れた。おれもそうしようとしたら、担任の教師がおれを呼び出した。

 担任は坂本という女性で生活指導の三田先生と並んで校則に厳しかった。

「春原君、できれば文化祭までに髪は黒にしてほしいって指導したと思うんだけど、できなかったの?」と神経質な表情で尋ねて来た。

 確かに3日くらい前に「文化祭までに黒に染めるように」と言われた。

「すみません。でも、これ、地毛ですよ。届けも出していますし、それに髪を染めちゃいけないのが校則ですよね。黒なら染めていいんですか」

「そうだけどねえ、文化祭って外部からも人が来るでしょう。その時、あなたが茶髪だったら、この学校の規則を守れていない生徒がいるって思われるのよ。それを防ぐためにも黒髪にしてほしかったんだけどねえ。あなたのためにもよ」と坂本先生はため息をついた。

 おれは小声ですみませんと繰り返した。坂本先生はまだ何か言いたそうにしていたが、おれが反抗的ではないのであまり強くは言えないようだ。

「文化祭の間、文芸部の展示ブースになるべくいるようにします。目立つ行動はしませんから」

 そう言い、おれはその場から離れた。

 あなたのために、という言葉が胸の中に残る。

 この学校は何を守りたいのだろうか。生徒の気持ちでないことは確かだ。


 文芸部の展示ブースに行くと松野さんが一人で展示を眺めていた。

「おはよう」と声をかけられたので、小声で返し、受付の椅子に座り持ってきた本を取り出す。松野さんは離れた席に下を向いて座った。

 文芸部の展示ブースにはあまり人が入ってこなかった。文芸部という存在を知らない人もいるだろう。その方がありがたい。読書を中断しなくて済む。

 松野さんは時々、席を立ったが、基本的に何をするでもなく同じ席に座っていた。友達がいない、という想像はどうやらあたっているらしい。

 何か話しかけようかとも思ったが、迷惑に思われるかもしれないと考えやめた。この文化祭が過ぎれば、また、他人になるのだ。おれが何かを言ったところで彼女が読書に興味を示すとは思えなかった。


 次の日も同じように時が過ぎた。唯一、違うことと言えば、松野さんが教科書を読み始めたことくらいだ。さすがに何もしないのは苦痛になってきたのだろう。

 おれは本を読み続けた。外から聞こえてくる騒がしい音も気にならなかった。近くに人が来たことに気が付かなかった。

「春原だよな」

 突然の声に顔をあげると、男子が3人立っていた。そいつらの顔を見て身体が動かなくなった。

「この学校に入学したんだ。この学校、校則厳しいのに、よく茶髪のままでいられるよな。昔みたいに先生に気にいられているんだろ」と馬鹿にしたように言われた。他のやつらはにやにやと笑っている。

「お前がやっちゃた彼女元気でやってるよ。彼氏もできたみたいだし、良かったな。トラウマとかになってなくて」

 必死に口を動かした。

「おれはやっていない。その時から言っていたはずだ」と声を震わし反論した。

「そんなの信じているやついるのかよ。逃げてこの高校に来たつもりだろうけど、あの時は他の中学にも噂が広がっていたからな。お前に、逃げる場所なんてねえよ。残念だったな」

 そう言うと松野さんの方を見て「あんた春原の彼女?」と尋ねた。

松野さんは怪訝な顔をし「違いますけど」と返した。

「じゃあ、セーフだ。こいつとは付き合わない方がいいよ。親切心で言ってるけど、こいつろくなやつじゃないから」

 そう言うと、またおれの方を見て「じゃあな、春原君。温情をかけて、この子にあのことは言わないでいてやるよ。噂で知っちゃうかもしれないけど」と言い、笑いながら去って行った。

 しばらくは何も言えなかった。ようやく、身体の緊張がほぐれ、松野さんの方を見た。松野さんはおれから目をそらした。あんな場面を見たんだ。当然の事だろう。

「松野さん、文化祭が終わったら部室に来てほしい。話したいことがある」

 やっとそう伝え、本を閉じた。もう、何もしたくなかった。

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