明日世界が終わるなら 2024/05/06

 明日世界が終わるならって?

 そうだな。

 俺はいつも通り、ここで煙草を吸っているだろうよ。

 たとえ今日終わることになったって、俺はここで煙草を吸うだろう。

 なぜなら俺は、いつ世界が終わってもいいように、というのは言いすぎか……

 いつも心残りが無いように生きている。

 それがハードボイルドってもんさ;。

 だから、俺には命を燃やしてでも急ぐことなんて一つも……


「先生、たばこ休憩ながくないですか?」

 助手の言葉に現実に引き戻される。

「ハードボイルドと言いたまえ。 探偵業務の一つだよ」

「そんなこと知らないです。 遊ぶくらいなら早く仕事を済ませてください」

「余裕が無いのはいけないね、助手くん。

 君も休みたまえ」

「そろそろ怒りますよ」

「はい」


 助手がキレそうなので、大人しく自分の机に戻る。

 ハードボイルドが完遂できなかったことは心残りだが、仕方あるまい。

 椅子に座って、書類のチェックの準備をする。

 書類は助手が作ったものをチェックするだけだが、いかんせん文字が苦手な俺にとっては、どんな仕事よりも過酷だ。

 これからの苦労を思うと溜息しかでない。

 なぜこうなったのか、少しだけ状況を整理しよう。


 先週、とんでもなく割のいい仕事が入った。

 この依頼だけで、3か月分のもうけである。

 しかも、『家で飼っている猫が、外で何をしているのか尾行して欲しい』という楽勝にもほどがある依頼だ。

 なにせ、迷い猫の様に捕まえなくてもいいし、人間のように気づかれても近すぎなければ逃げることは無い。

 つかず離れずの距離で尾行し、しかもアイスを食べても怒られない。

 むしろ申し訳ないくらいだった。

 申し訳なさ過ぎて、『もしかした、明日世界終わるんじゃね?』と思ったくらいだ。


 しかし、ウマい話には裏がある。

 気前よく依頼料を払ってくれるのはいいのだが、事細かな報告書の作成も同時に依頼された。

 なんでもアルバムを作りたいのだとか。

 この猫、愛されすぎである。

 俺もこんな風に愛されてえ。


 と、そこまで考えると、視界が暗くなる。

 顔を上げると、そこに立っていたのはこわーい顔をした助手だった。

「先生。私言いましたよね。早く仕事してくれって」

「ああ、聞いた」

「先生が面倒だからって放置した報告書の作成、締め切り明日なんですよ、分かってますか?」

「書類は苦手でね」

 助手の目がさらに険しくなる。

 言葉間違えたな、コレ。


「いや、申し訳ないとは思ってるんだ。

 ただ、俺が報告書を作っても、助手くんみたいに綺麗に作れないんだよ。

 君の作る報告書は、本当に芸術的で、心の底から感心しているんだ」

「それは、まあ、そうでしょうとも」

 助手が珍しくちょっと照れてる。

 俺の嘘偽りない俺の本音に、助手の岩のような心を動かしたらしい。

 まじで助手の作る報告書は凄いからな。

 文字嫌いの俺にでさえ、普通に読ませるくらいである。


「それはそうとして、放置したのは先生ですよね。

 早めに言ってくれれば、こんなに追い込まれることはありませんでした」

「ごめんなさい」

 だが、俺は助手に仕事を振るのを忘れて、今突貫工事で報告書を作っている。


「これ終わらないと帰れないんですから、早く手を動かしてください。

 終電までには帰りたいんですから、お願いしますよ」

「わかりました」

 俺は助手からの催促を受け、震える人差し指でキーボードをたたく。

 パソコンに関しては、全くハードボイルドではない俺。

 助手までとはいかんでも、いつかカッコよく出来るようになりたいなあ。


 それはともかくとして、仕事は一つずつ消化しないと……

 まったく、溜息しか出ない。


「はあ、本当に明日世界が終わらないかなあ……」

「やる気出ませんか?」

 俺の独り言に反応する助手。

 まさか反応されるとは思わなかったので、言葉に詰っていると、助手が予想外の事を言った。


「やる気出ないなら、やる気が出る情報を教えましょうか?」

「ほう、俺にやる気を出させるだと!?」

 助手の挑戦的な提案に思わず笑みがこぼれる。

 助手も面白い冗談を言うようになったな。


「へえ、言ってみろ。

 俺の書類仕事に対する苦手意識なめんなよ」

「この前の浮気調査の依頼料、明後日に振り込まれます」

「マジ? やる気出たわ」


 前言撤回、世界は勝手に終わるな。

 俺は世界の終末を回避すべく、意気揚々と仕事に取り掛かるのだった。

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