何気ないふり 2024/03/30

 タンスの角に足の小指をぶつけた。

 体を貫かれるような痛みが走り、声を出しそうになるが、すんでのところで堪える。

 普通の人間ならば耐えられないだろうが、俺はなら耐えられる。

 なぜなら、俺はハードボイルドだから。


 そう!俺は日本を代表するハードボイルド探偵!

 ハードボイルドとは、何があっても動じないこと。

 タンスの角に小指をぶつけても、動じてはいけない。

 なぜなら『何気ないふり』を極めなければ、ハードボイルドは務まらないのだ。


 とはいえ、俺に痛みを与えたタンスを許すかどうかは別問題である。

 俺は痛みの原因であるタンスを睨みつける。

 このタンスは、我が探偵事務所にもともとあったものではない。

 先月知り合いが捨てるところを、もったいないからと貰ったのだ。

 つまり捨てられそうになっていたコイツを救ったのは俺であり、間違いなく俺は恩人のはずである。

 にもかかわらず、このタンスは俺に何度も痛みを与えてくる。

 もうすでに5回はぶつけている。

 なんて恩知らずな奴なのだろうか?

 いっそ捨ててやろうか?


「どうかしましたか?」

 机で事務処理をしている助手が、帳簿から顔を上げてこちらを見ていた。

 急に立ち止まったので、不審に思ったのだろう。

 しかし、タンスに小指をぶつけたなんて知られるわけにはいかない。

 なぜならハードボイルドの俺がタンスに小指をぶつけたと知れば、彼女のハードボイルドに対するイメージを壊してしまう。

 だが、ぶつけてしまったものは仕方がないので、ここはハードボイルドらしく誤魔化すことにしよう。


「武者震いさ」

 決まった。

 そう思って助手の方を見るが、彼女はもすごい嫌そうな顔をしていた。

「はあ、事務所の外でそういうのやめてくださいね。仕事が減りますから」

 そう言いながら、助手は再び帳簿に目線を落とす。

 さすがに失礼じゃない?

 だが、タンスに小指をぶつけたことはバレなかったので、良しとすることにしよう。


 俺が安堵しているのも束の間、いきなり助手が立ち上がった。

「ど、どうした?」

 突然の事に驚いて少しかんでしまう。

 もしかして気づかれたか?

 助手は妙なところで察しがいいからな……


「集中切れてしまったので、コーヒーを飲もうかと」

「ああ、そう」

 助手はこちらを一顧だにすることなく、俺の横を通り抜けてキッチンの方へ入っていった。

 なんか怒らせたか?

 少し考えるも思い当たる節は無い。

 昨日、彼女のプリンを食べたことはすでに謝っているので、それではないはず。


 だが、『もしかしたら』と思うことはある。

 俺はハードボイルドだ。

 何事にも動じず、彼女の一挙手一投足にも、発言にも動じることは無い……

 もしかしたら、それが助手とって冷たく感じられて――


「冷たっ」

 首筋に冷たいものを感じ、思わず声を上げる。

 振り向くとそこには助手が立っていた。

 助手はコーヒーを淹れていたはずでは?


「コーヒーはどうした?」

「先生がボケっと突っ立っている間に入れ終わりましたよ」

 いつもに増して言い方がキツイ助手。

「ああ、そうだ。俺の分は?」

「は?あるわけないでしょう」

 とんでもなく冷たい目で言い放つ。

 え?マジで何に怒ってるの?


「はい、コレ」

 そう言って助手は俺によく冷えた保冷剤を渡してくる。

 さっきの冷たいのはコレか!

「それで冷やしてください」

 何を言われたのかわからず、聞き返そうとする。

 だが助手は言うべきことは言ったとばかりに、そのまま離れていった。


 と不意につま先から痛みの信号が送られてくる。

 そこで俺は、合点がいった

 ブツケた小指をコレで冷やせ、ということだろう。

 助手の優しさに感激して泣きそうになる。

 だが俺は泣かない。

 なぜなら、俺はハードボイルドだから。


 それにしても、まさか探偵の俺を出し抜くとはな……

 助手の『何気ないふり』がうまいことよ……

 何気なさ過ぎて、反応に遅れてしまった。

 それにしても、彼女はようやくハードボイル探偵の助手に相応しくなってきたようだ

 ハードボイルドを全く理解していないときのことを思えば、感慨深いものである

 この調子で行けば、日本一のハードボイルド探偵事務所として、日本中に名を知られることだろう。


 俺は輝かしい未来に思いをはせつつ、足の小指を冷やすのであった。


 

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