三日月 2024/01/09

 人類が月に生活圏をつってから、今年でちょうど百年。

 もはや月で生まれて、月で死ぬ人も珍しくない。


 俺も月で生まれて、月から出たことが無い人間の一人である。

 月では基本的に何でもそろうので出る必要が無いのだ。


 食う寝るところ、住むところ。

 それでもって娯楽もある。

 何一つ不足するものなんてない。

 だから俺も、月から出ないまま死ぬんだろうなと思っていた。


 だが何の因果か、100周年のこの年に、俺は出張で地球に行くことになった。

 常々死ぬまで月から出ないと吹聴していただけに、同僚からからかわれた。

 それはいい。

 自分の行いのツケを払っただけだ。


 困ったのは地球のことを知らないこと。

 月と同じように過ごせるとは聞いたことがあるが、細かい違いを何も分からない。

 そこで、地球に行ったことのある同僚を捕まえて色々聞きだした。

 そいつも当然、俺をからかってきたが、知りたいことは教えてくれた。

 地球行のシャトルの手続き、お勧めの料理店、重力は覚悟しろ、などなど。


 だがその同僚は最後に妙なことを言った。

 地球に行くと価値観が変わるぞ、と。

 それを聞いて俺は笑ってやった。

 そりゃそうだろ、初めて地球に行くんだぞ、と。



 そして数日後、俺はシャトルから降りて、地球の大地に立っていた。

 たしかに重力はキツイ。

 ウンザリするほどキツイ。

 だけど価値観が変わるほどじゃない。


 あいつも適当なことを言ったな、と思って空を見上げる。

 特に理由はない。

 自分の生まれた場所を見て、安心したかったのかもしれない。


 その時、俺は確かに価値観が変わったことを自覚した。

 地球から見た月というのは、写真で見たことがある。

 でもここから見る月は全然違った。

 地球に来てよかったと、そう思えるほどに……。


 たくさんの星に囲まれて黄色く輝く三日月は、写真で見るより何倍も幻想的だった。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る