第5話

 宿酒場の裏手に、ひっそりと立てられた二つの墓標があった。


 寄り添うように立てられた墓標の前に、アッシュは人知れず佇んでいた。帽子を脱いで、書かれた文字をじっと見つめている。

 乱雑に切りとられた木板を白く塗りたくっただけの粗末な墓標には、ペンキで『ジョン・デュワーズ』、『タバサ・デュワーズ』と書かれている。


「こんなところで、何をやっていやがる」


 背後から現れたのは、酒場に同席していた飲んだくれのダンだった。アッシュは立ったままの姿勢で頭を垂れ、墓標へと黙祷を捧げているようだった。

 長い黙祷を終えて、後ろを振り返ることなくダンに問いかける。


「この墓が、イリーナのご両親の?」

「ああ」

「イリーナは、馬車の事故で亡くなったって言っていたけど……」

「……ああ、そうだよ。あれは事故なんかじゃない。殺されたんだ……二人は」


 ダンは墓標に視線を移す。過ぎ去った過去に思いを馳せるように、ぽつり、ぽつりと話し始めた。


「この宿酒場は、賞金稼ぎ達の拠点だったんだ」


 賞金稼ぎ――政府から指名手配された犯罪者や逃亡者を生死問わずに捕縛し、報酬を得る者達。かつては自身も賞金稼ぎだったというこの店の主人は、ウェイストランドの町に強固な一大拠点を作りあげていた。

 政府から提供された情報を優先的に仲介し、賞金稼ぎ達への便宜を図る。ともすれば自らも無法者へと転身しかねない賞金稼ぎ達を保護し、身元を保証することで統率をとる。

 一攫千金を夢見る賞金稼ぎ達と、それらに庇護されることを期待して集まった人々によって町は潤い、発展していった。


「だが、狩られる立場である賞金首どもにとって、この店の存在は当然のように面白くなかった訳だ」


 ある有名な賞金首の号令の元に、普段は群れることのない賞金首達が団結し、共同戦線が張られた。度重なる抗争の末、イリーナの両親は彼らを率いる賞金首によって殺害されたのだという。

 賞金首どもの報復はその後も徹底的に続いた。町中で怪死事件が頻発し、賞金稼ぎや町の住人達の多くがその犠牲となった。

 町から一人、また一人と人々が去っていき、後にはどこにも行く場所のない人々が留まるだけの、荒れ果てた町が残された。


「すべてが終わった後で、ハイエナのように現れたのがボギーの野郎だ。ヤツは悪党を率いてこの町に居座り、残った住人達相手にやりたい放題してやがる」

「この町の保安官は?」

「そんなもん、とっくの昔に土の中だ」


 ダンは吐き捨てるように言った。


「要するに、この町はもう終わってるってこった。そんな町の為に、お前はボギー達とやり合おうってのか?」

「…………」


 ダンの問いかけに振り返ったアッシュが、逆に問い返す。


「ダンは、あいつらに立ち向かおうとは思わなかったのかい?」

「……バカな事言ってんじゃねェよ。俺一人で、いったい何が出来るってんだ」


 その時、店の方から絹を裂くような甲高い悲鳴が聞こえた。同時に、誰かが激しく争っているような物音がした。弾けるように店の方へと駆けだすダンを、アッシュが一足遅れて追いかける。

 店の表通りに出ると、馬車が砂埃をあげ猛スピードで走り去っていくところだった。荒らされた店内にイリーナの姿はない。イリーナの名前を呼ぶダンの声が、空しく響き渡った。


「……クソったれが!!」

「ダン。ボギーの居場所は?」

「あいつの根城は元保安官の家……っておい、何処へ行くつもりだ!」


 店を出ていこうとするアッシュを、咄嗟に呼び止める。振り返ったアッシュは平然とした顔でダンの質問に応えた。


「そりゃあもちろん、イリーナを助けにいくのさ」

「バカかお前は! あいつの手勢がどれだけいると思っていやがる!!」

「なんだ。心配してくれるのかい?」

「そうじゃねぇよ! 何なんだテメェは!!」


 ダンはアッシュの胸元に掴みかかり、怒鳴りつける。


「急に厄介ごとに首を突っ込んできたかと思ったら、今度は見ず知らずの娘を助けにゴロツキどもの溜まり場へ向かおうとする。テメェは命が惜しくねぇのか!」

「別に、命を粗末にするつもりはないさ」

「だったら何故、わざわざ死にに行くような真似をしやがる。そこまでする義理が、お前の一体どこにあるっていうんだ」


 アッシュは苦笑いを浮かべ、肩をすくめながら問いに答えた。


「言ったろう、一宿一飯の恩があるって。それに、きちんと責任は取ると言ったじゃないか」

「……本気で言ってるのか?」

「本気じゃなきゃ、こんな事は言わないさ」


 真っ直ぐなアッシュの目は、嘘を言っているように思えなかった。狂気や誇大妄想に囚われているようにも見えない。本気でイリーナを、単身で助けに向かおうとしている。


「……ああ、わかったよ。要するにお前、ホンモノのバカなんだな」

「ああ、よく言われるよ」


 呆れたような、諦めたような表情を浮かべると、ダンは胸元を掴んだ手の力を緩めた。軽く襟を正すと、アッシュはダンに声をかける。


「なあ、ダン」

「何だよ」

「君も、一緒に行かないか?」


 まるで世間話でもするような気安さで、アッシュはダンを死地へと誘った。面食らったように目を見開くダンに、頭を掻きながら言葉を続ける。


「正直なところ、一人では心許なくてね。戦力は少しでも多い方がいいだろう?」

「……ヤなこった。俺は無駄死には御免だ。そんなに死にたきゃ、一人で行ってきな」

「そうか。まあ、無理強いはしないさ」


 去り際にアッシュは、ダンに振り返って問いかける。


「ダン。君は町がこんなになっても、この店に残っていた。それは一体、どうしてなんだい?」

「…………」


 問いかけの答えを聞くことなく、アッシュは店を出ていった。後にはその場に苦々しげな表情を浮かべて立ち尽くす、ダンの姿だけが残された。

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