第3話

 店の中に入ってきたのは、すらりとした長身で筋肉質の優男だった。一見して好漢のように見えるが、その瞳に宿る狡猾で残忍そうな光が、すべてを台無しにしていた。長年にわたって荒事に手を染めてきた、悪党の目だ。

 にやにやと笑いながら、入口の柱にもたれかかる男の顔を見た瞬間、イリーナの表情が固くこわばった。


「……ごめんなさい。ちょっと、待っててもらえますか」


 軽く会釈をしてから歩いてくるイリーナの姿を認め、男が軽く手を挙げる。彼女の表情は、招かれざる客に対するそれだった。煩わしげに曇った表情を取り繕うことすらしない。


「よう、イリーナ」

「……何のご用ですか、モリスさん」

「ご用とはまた、随分とご挨拶だな。そいつが足繁く通う客に対する態度なのかね?」


 モリスと呼ばれた男は、口元にいやらしく笑みを浮かべて言った。見下すような目つきをイリーナに向けながら、彼女に対して問いかける。


「それでイリーナ。例の件、考え直してくれたんだろうな?」

「帰ってください。何度言われても、わたしはここを立ち退くつもりはありません」


 イリーナの返答には取りつく島もない。彼女を取り成そうとして、モリスはわざとらしく猫撫で声で呼びかける。


「なあ、そんなにツンケンするなよ。別にお前さんをここからほっぽり出そうってんじゃないんだ」

「…………」

「お前の面倒は、ボギーさんがきちんと見てくれる。こんな安酒場に居座ってるより、よっぽどいい暮らしができるってもんだ」


 イリーナの態度は頑なだった。ぎゅっと唇を結び、沈黙を守り続けている。もはや話すことは何もないと言いたげな目で、モリスを睨みつける。

 あまり堪え性はないのだろう。モリスの笑みに、早くも綻びが生じつつあった。苛立たしげに舌打ちをし、凄みを効かせた声で恫喝する。


「おいイリーナ……。こっちが下手に出てれば、いい気になるんじゃねェぞ。その気になりゃこんなボロ店、いつだって潰せるって、わかんねェのか?」

「父さん達のお店の事を、悪く言わないで!」


 モリスは傍らにある椅子を、見せつけるように蹴り飛ばした。吹き飛んだ椅子が窓際に置かれた丸テーブルに激突し、粉々に砕け散る。


「お店が、なんだって?」

「っ……やめてください!!」


 ダンの鋭い視線が、いつしかアッシュからモリスへと矛先を変えていた。憎々しげに睨みつける表情を一瞥し、モリスは小馬鹿にしたような口調で話しかける。


「クク……誰かと思えば、腰抜けダンじゃねぇか。とっくに尻尾巻いて、逃げだしたのかと思ってたぜ」

「…………」

「なんだ、その目は。やるってんなら相手になってやろうか?」


 モリスはダンを無理やり立たせると、無防備な鳩尾に膝蹴りを叩き込んだ。たまらず崩れ落ちたダンは、床に転がり苦悶の呻き声をあげる。


「ダンさんっ!!」

「やってみろよ! お前に俺達を、たった一人で相手するだけの度胸があればだけどなァ!!」

「クソっ……たれが……」


 床に這いつくばって咳込むダンを見下して、モリスは勝ち誇ったように嘲り笑った。イリーナの服の襟元を掴み、乱暴に引き寄せる。睨め回すような視線から逃れようと、彼女はぎゅっと目をつぶって顔を背けた。


「なあ、イリーナ。お前もいい加減、意地を張るのはやめたらどうだ。素直に首を縦に振りさえすれば、それで全部丸く収まるんだぜ?」

「イヤよ! 父さんと母さんが遺してくれたお店を、誰があんた達なんかに!!」


 伸ばされた手を振り払い、イリーナは棚にかけられている古ぼけたリボルバーを手に取った。かたかたと震える両手で銃把を握り、銃口を向ける。


「よせ、イリーナ……!」

「……上等だ。抜いたからには、何されたって文句は言えねェよなァ?」


 モリスの眼に凶暴で嗜虐的な光が宿る。向けられた銃口を無視して、イリーナに向かってゆっくりと近づいていく。その威圧感に気圧されるように、イリーナの足が反射的にじりじりと後ずさった。


「こ、来ないで!」

「銃を向けられ仕方なく撃ったってんなら、ボギーさんへの言い訳も立つ。テメェも無様に死んでいった両親と同じように、ここでブッ殺してやろうか?」

「イ、イリーナ……ッ!!」


 床に転がされたダンは、事の行方をただ見守ることしか出来なかった。拳を握り締め、身体を震わせながらもなお、動きだせずにいる。

 自分の不甲斐なさを呪うように、ダンは繰り返し罵倒の言葉を小さく呟く。噛み締めた唇が切れ、滲み出た血が珠のように浮き出ていた。

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