第9話
「なぁ、おまえらってさ、マジで付き合ってねぇの?」
爽やかな春の陽気がまどろみを誘う、日曜日の朝方。開店直後でまだ閑散としている店内で、四つあるカウンター席の内の一つに腰かけてコーヒーをひと口飲んだ龍也は、なんの前振りも置かずにそう言った。
「龍也までそれ言いはじめないでくんない? 他のみんなにも言ったけど違うって。ただの友達だよ」
「ただの友達、ねぇ……」
どうだか、と言いたげな笑みを浮かべて、龍也はカップを再び口に運びながらちらりと振り向く。僕も仕事の手を止めてそちらに視線を向ける。
「よかったね、にゃん吉。お友達、いっぱいできて」
薄手のパーカーにデニムのショートパンツとラフな私服姿の咲希が、テラス席でにゃん吉を含めた複数の猫たちと遊んでいた。
あれから数日。彼女は毎日かかさずここに通っている。
「学校放課後休日と、おまえら四六時中いっしょじゃねぇか。いくら事情知ってる俺だって疑いたくもなる。ファンクラブの連中なんかはゾンビみてぇな形相してもう諦めムードだぞ」
「そんなこと言われてもなぁ」
「なんでも名称を変えて、三嶋薫を駆逐し隊、なんておかしなもんを作ろうとしてるとかしてないとか」
「全然諦めてないじゃん! むしろ過激化してるよ!」
ゾンビというよりも、悪魔に魂を売り渡した信仰者と例えるべきだろう。うちの学校ほんとにどうなってんの?
「そもそも美玲だってよくいっしょにいるのに、なんで僕と咲希だけがそんな噂されるのさ」
三人でいれば友達同士と思われる、という目論見はどこへいったのだろうか。
「夕凪はほら、男女分け隔てなくだれにでも愛想いいだろ? けど白峰が気を許すどころか口きいてる男子なんておまえくらいしかいねぇからな。俺もさっき挨拶しただけで逃げられたし」
「いや、でもそれだけで付き合ってるとは……」
「しかもそのあとおまえの背中に隠れたろ。あんま説得力ねぇぞ」
もはや咲希の定位置になりつつあった。そりゃ誤解も生まれるか。うまい言い訳が思い浮かばず、言葉に詰まった僕は唇をすぼめる。
「んな顔すんなって。親友の言うことだし、まぁ付き合ってないっていうのは信じてやるさ」
「そうしてもらえると助かるよ」
「ああ。ていうかよく考えてみりゃおまえ、女子にはまったく興味がないもんな」
「女子ってとこ強調すんな! 男子にだってねぇよ!」
助詞が一文字つくだけでこんなにも意味合いが変わるのか。日本語って不思議だ。
「それにまったくってわけじゃなくて、僕も男なんだから、すこしくらいは意識したりするというか」
「ふーん。それって、やっぱり白峰のこともか?」
「……そりゃ、まぁ」
いったいなにを言わされてるんだ僕は。本人そこにいるんだぞ。
聞こえてないよなと目だけを向ける。よかった、猫たちに夢中でこっちのことは気にもしていないようだ。
「あっちは眼中にないっていうか、猫が恋人って感じだ。薫、おまえ自分が面倒みてる猫に負けたな」
「べつに張り合ってないし」勝ったとしてもそこまでうれしくない。「でも、これでわかったでしょ。咲希が僕といっしょにいるのは猫たちが目的であって、みんなに誤解されるようなことはなにもないから」
「……ま、そういうことにしといてやるか」
大仰に肩をすくめると、龍也はコーヒーをひと口飲んだ。
「けど、あれだ。俺が言うのもなんだけどよ」
そしてカップを置いてひと呼吸空け、ふと思い出したように真面目な顔つきになると、言いにくそうに、心配を含んだ声音でいささか歯切れ悪く言う。
「白峰が拾っていつも会いに来てるっていう猫。にゃん吉だっけか? 可愛がるのは全然いいんだが、もしものことはちゃんと話しとけよ? 薫ならこの意味、わかるよな」
僕は瞳を伏せて憂いたため息を落とす。重々承知しているよ。元の飼い主があらわれるかもしれないってことくらい。これまでだってなんども経験あるし。そのときは、辛いけれどお別れしなくちゃいけない。
きっとそれは、咲希にとってとても残酷なことだ。
もしもそのときが来たならば、僕はいったい彼女になにができるだろう。
今すぐには思い浮かばないけれど。杞憂に終わるかもしれないけれど。一応、心の準備はしておいた方がいいだろう。
だけど、別れというものはいつだって唐突に訪れるもので。
そしてこの店に通っていれば、それを否応なく意識させられる。
三日後のことだった。一人の女の子が、一匹の迷い猫を捜しに店を尋ねてきたのは。
「……あのぅ、すいません」
放課後、いつものようにカウンターで咲希にコーヒーを振る舞っていると、遠慮がちな呼び鈴の音が鳴って戸が開き、見慣れない学生服を着た女の子がこれまた遠慮がちに顔だけをのぞかせた。どうにもコーヒーを飲みに来ました、という感じではない。
彼女は僕たち。それから咲希のひざの上でくつろぐにゃん吉。自由気ままにうろつく他の猫たちへと順に視線を送ってから口を開き、余裕のない様子で言う。
「その、このあたりに迷い猫を保護しているカフェがあるって聞いて……チョコちゃん。あ、わたしの家で飼ってる猫なんですけど、すこし前にいなくなっちゃって……」
そのチョコちゃんなる猫のことを想ったのか女の子の表情に陰が差す。
「交番に聞いてもわからないって言われるし、チラシを貼ったりもしたんですけど、どうにも……それで噂を聞いて、もしかしたらここにいるんじゃないかと思って来てみたんです。あの、手がかりだけでもいいので、なにかありませんか?」
女の子は切実に声を震わせそう言った。きっといなくなってからずっと捜して、藁にも縋る思いでここを訪ねて来たのだろう。なんとか力になってあげたい。
「えっと、とりあえず特徴とか教えてもらえますか?」
「あ、そ、そうですよね。ごめんなさい」あわてて店内に入りこちらまで来ると、女の子はスマホを開いて写真を見せる。「こんな感じの子なんですけど……」
画面いっぱいに写っていたのは、濃げ茶色い毛並みの猫だった。なるほど、だからチョコなのか。
「心当たり、ありますか?」
涙の予兆をたずさえた、懇願するような瞳で聞いてくる。
ちらりと見ると椅子に座る咲希、それに聞き耳を立てていた他のお客さんたちも不安そうに僕へと視線を集中させていた。その目がこう語る。
なんとかなるよね?
「……えぇぇ」
やばい、いらん期待を負ったぞ。
ここで首を振れば、途端に店内は落胆の空気に包まれるだろう。逃げることもできなくなった僕は目を凝らして画面のなかの猫を熟視する。頼む、いてくれ!
「……あー、にゃん吉が来るちょっと前に拾った子、かなぁ?」
よく見れば覚えがあった。そういえばこんな子いたな。拾ったっていうか、いつの間にか他の猫たちに混ざってお客さんからご飯をもらっていて、そのまま居ついただけだけど。
「たぶん、いまはテラスにいると思いますよ」
「ほんとですかっ?」
言うや否や、女の子はわき目も振らずに駆け出した。
「チョコちゃん!」捜していた猫はあっさり見つかった。テラス奥の席で、彼女の心配をよそに何食わぬ顔でお客さんにご飯をねだっていやがった。「よかった見つかって!」
彼女はしゃがみこんでうれし涙をこぼしながら猫を抱きしめ頬ずりをする。これで一件落着か。
と思いきや、肝心の猫はというと喜びをあらわすわけでもなく。
「あ、チョコちゃん、そんな暴れちゃ駄目だよっ」
突然お預けを食らったからか、煩わしそうに身じろぎして抱擁から逃げようとするのだ。眼光はご飯に釘付けだった。せっかく感動の再会なのに台無しだよ……。
その後しばらく店内はお祝いムードになり、猫もご飯をもらえて満足して、そこでようやく気持ちがご主人に向いてすり寄りはじめる。まったくもって調子のいいやつだ。
「あの、ほんとにありがとうございましたっ」帰宅する際、女の子は深々と頭を下げた。「こんど改めてお礼しに来ます!」
「お礼なんて、そんないいですよ。べつに大したことしていないですし。でも、うちの猫たちもチョコちゃんとは仲良くさせてもらったんで、またいつでも遊びに来てください」
僕がそう言うと、女の子はもう一度深く頭を下げて帰っていった。
外まで出て見送る。僕と咲希。それから、ジュンさんを筆頭に店の猫たちも。ほんの短い間だったけど、こいつらにも友情が芽生えていたのか。離れ離れになる友達をじっと見るその姿に胸がふさがれる思いになった。いなくなるのは寂しいよな、やっぱり。
「……あの子は」
となりにいる咲希が、ふと呟いた。
「あの子は、大切にしてくれる人がいるんだね」
だれに聞かせるでもなくそう言って、咲希はあの雨の日にハンカチを渡したときと同じような、寂し気な表情を浮かべる。
だからだろうか。彼女が見つめているのは去っていく女の子たちではなく、もっと遠い場所にあるべつのもののような気がした。
「にゃん吉にも、そんな人がいるのかな」腕のなかにいるにゃん吉をぎゅっと抱きしめて、咲希は続ける。「もしそうなら……いつかにゃん吉とも、お別れしなくちゃいけないんだよね」
それは、これまで心のすみに押し込めて気づかないふりをしていた思いだった。きっと直視したくなくて。
けれど言葉にしてしまったら、いつか訪れるかもしれない別れからもう目を背けることはできない。言い終えて咲希がうつむくと、しんみりとした沈黙が僕たちを包む。
咲希の瞳の端に、涙が浮かぶ。
なにか言わなきゃいけない、と思った。
そんなことない。大丈夫、心配いらない。ずっといっしょにいられるよ。
推敲を忘れた借り物のような言葉は簡単に思いつくけど、僕はそれを飲み込む。
代わりに吐き出したのは、僕自身の言葉だった。
「……でも、いまにゃん吉のことを大切にしているのは、咲希だよね」
咲希が顔を上げる。彼女の視線を感じながら、僕はにゃん吉の頭をなでて微笑む。
「ならさ。もしお別れするときが来るとしても、それまでいっしょの時間を過ごして、楽しい思い出たくさん作ろうよ。そうすれば、これまで楽しかったねって、笑顔で送り出せるんじゃないかな?」
我ながら酷いやつだと思う。いっしょにいる時間が多いほど。楽しい思い出が多いほど別れが辛くなるのに。
でも、もっと思い出を作っておけばよかったと涙を流すよりかはずっといいはずだ。僕はなんどもそういった別れを経験した。だからこそ、咲希にはそんなどうしようもない後悔をしてほしくない。
「それに、にゃん吉だってその方が嬉しいと思うよ」
まだ戸惑いの色を見せる咲希に、にゃん吉を引き合いに出すのはちょっと卑怯かなとは思いながらも駄目押しすると、彼女は迷いを飲み込むように唇を結んで頷いた。
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