第7話
いつまでも廊下でたむろしていると、下校途中の生徒たちの好奇心たっぷりの視線に取り囲まれそうだったので、美玲を加えた三人で
女の子二人が横に並んでにゃん吉を愛でながら歩き、その三歩後ろを自分はただの付き添いですよとアピールをしてついて行く。
店につき、ひとまず二人を外で待たせておこうかと思案しているところで、扉が開いて呼び鈴のかわいらしい音が鳴った。
「おう、薫。帰ったか」出てきたのはじいちゃんだった。「今日はそんな混んでないから、もうちっとゆっくりしていい……んぁっ?」
僕の背後に控えた咲希と美玲を目にして、じいちゃんは口をあんぐりと開けてまぬけ顔をさらす。
「お、おまっ、その子たち――」
「はいはい後で話すよ。とりあえず荷物だけ置かせて。またすぐに出るから」
「は? 出るって、どこ行くつもりだこんな雨のなか」
「どうぶつ病院。ちょっと猫拾って」
そのひと言でいろいろと察してくれたじいちゃんは、今日は手伝いはいいから帰りに必要なものそろえておいてくれと言って、僕たち三人ぶんの鞄を預かって店のなかに戻っていく。ここで飼うことは承諾してくれたようだ。お礼をして、軽く手を上げて返事をするじいちゃんを見やってからその場を後にした。
向かった先は近所にあるかかりつけのどうぶつ病院だった。
受付で問診票を記入し、顔見知りの看護婦さんに事情を話す。ああ、またですかと苦笑された。はい、またです。今回もよろしくお願いします。
待合室の長椅子に腰かけ待つこと十数分。
三嶋さんどうぞと呼ばれたので、僕たちは診察室へと入った。なかは充分なひろさがあって、付き添うだけなら邪魔にはならなさそうだ。
診察が終わると、よわい五十半ばの獣医さんがやたらとフレンドリーな口調で結果を言い渡す。
「感染症とかの心配はとくにないかな。まぁ一応予防接種とノミダニの駆除はしておこうか。あ、そういえばきみ野良さわった後はちゃんと手洗ってる? 洗ってるか。そりゃよかった。この子は大丈夫だったけど、人にもうつることあるからねぇ。でも気持ちはわかるっ。僕も駄目だとわかっていてもついついさわっちゃって、それで何度もやらかしてるよ。あははは!」
来るたびに思うが、いろんな意味ですごいなこの人。咲希も美玲も若干引き気味だ。
ただ仕事はきっちりできるようで、しゃべりながらも淀みなく手を動かしていく。
「はい、これで全部おしまい」もろもろ含めて一時間以上かかった。「もしこの後なにかあったら僕個人の電話に連絡してね。病院もう終わるから。じゃあ薫くん、店の猫たちとついでに
代金は後日じいちゃんに請求するとのことで立て替えてもらい、病院での用件を済ませると次は交番で迷い猫の届出。それが終わったらペットショップに行って必要なものを買いそろえる。なんだかんだやっていたら七時近くになっていた。
「ごめん二人とも。こんな時間までつきあわせて」
「いいよいいよ、好きでついてきたんだから」と扇ぐように手を振る美玲。「なんかいろいろ新鮮でおもしろかったし」
「ほんとは、わたしがやらないといけなかったんだけど……あの、ありがと、薫くん」咲希は申し訳なさそうに言う。
「もう慣れたもんだから気にしないでいいよ」
「それってやっぱお店にニャンちゃん多いから?」
「まぁね。飲食だし、あんまなかには入って来ないけどそこらへん気は遣うかな」
「入って来ないの? 猫カフェなのに?」
「猫カフェじゃないんだよなぁ……」て学校でも言ったはずなんだけど。「外で待ってればご飯もらえるって覚えちゃったみたいで、雨の日以外はだいたいテラスでたむろしてるよ」
「そっかぁ。じゃあわたしが想像してる猫カフェとはちょっと違うんだ」
だから、猫カフェじゃないんだってば。
ペットショップがある市街地を抜け、再び帰りつくころにはそこかしこから家庭的な煙がたちのぼっていた。カレーの
店ももう終わり支度をしていて、看板が下げられ照明もカウンターを残して落とされていたのだけれど、そこで視界の端にあるものが映り、僕は訝し気に眉を寄せた。
「うわ、ほんとに来たよ……」
バロンコーヒーに隣接する自宅の駐車場。その大半を占拠するじいちゃんの愛車、ランドクルーザー40のカフェオレ色のどでかい車体の横に、白のストーリアX4が肩身狭そうにぽつんと停めてあった。美川先生の車だ。親戚のお姉さんが乗ってるようなどこにでもある外観だけど、持ち主いわく「峠でならフェラーリだって千切れる羊の皮をかぶった狼だよ」らしい。
「あんな車さっきなかったよね。お客さん?」美玲も気づいて首を傾げる。
「いや、美川先生の車だよ、あれ」
「美川先生って……え、なんでっ?」
「……あ」
しまった、口を滑らせた。新しいゴシップネタに美玲が瞳を輝かせて食いついてくる。
「ちょっとどういうことか聞かせてよ。だれにも言わないからさ」
「それうっかり言っちゃう人の台詞だからっ」
べつに知られても問題はないのだけれどね。ただこれまでの美玲を見ていると、話に尾ひれや背びれがつくどころか羽まで生えてきてあらぬところにまで飛んでいってしまいそうだ。
僕が答えあぐねていると、矛先は咲希の方にも向いた。
「咲希ちゃんは聞いてる?」
「うん。先生、前にここでバイトしてて、薫くんが子供のころによく遊んでたんだって」
「ああ、なるほどねぇ。たしかに薫くんはそんなチャレンジャーじゃないか。なんか深読みしすぎちゃった。ごめんね!」あれ、これもしかして僕、なめられてる? 「でもお店終わってるんだよね。なにしに来たんだろ」
「僕の部屋に置きっぱなしにしてる漫画を取りに来たんだよ。すぐ帰ってないってことは、気になって読み始めて止まらなくなったパターンだと思う」
「あはは。よくあるよくある。わたしも部屋の掃除してる時に気になるの出てきたらついつい読んじゃうもん」
しょうがないよねなんて美玲は笑うけど、先生の場合はそもそも自分の部屋じゃないし、掃除なんて殊勝なことはやってないだろうし、ついではなくたぶん確信犯だ。ひとこと文句言ってやらないと。
「とりあえず、雨降ってるしなか入ろっか」
がらりと横開きの戸を開け玄関をくぐった。お邪魔しますと後ろから二人の声が聞こえる。あ、はい。大したおもてなしも出来ませんがゆっくりしてってください。
「そういえばわたし、よくよく考えたらはじめて男の子の家に入ったよ。はじめての相手は薫くんかぁ……」おい、言い方!
「わたしも。薫くんのお家、こうなってるんだ」咲希はもの珍しそうに家のなかを見回す。
「けっこう古い家でところどころガタきてるから、そんなまじまじ見られるとちょっと恥ずかしいんだけど」
「部屋とか探したらもっと恥ずかしいのとか出てくる?」
「そういうことじゃないんですが……」探したって出てきませんので。だから漁る気まんまんに手を動かさないでください。
一歩踏むたびに軋む幅の狭い階段を三人一列で二階までのぼり、奥から二番目にある僕の部屋の前に立つ。すると、美川先生のものと思われる無邪気な笑い声が扉を貫通してきた。
「おぉ、ほんとにいるよ」と美玲がどこか感激したような声をあげた。なぜ?
「今日は無理だって言ったのに。まったく勝手なんだから」
ぶつくさ言いながら、僕はいきおい勇んでドアノブを回す。
「……ん?」
入ってすぐに、さわり心地のいい布の山を踏んずけた。
なんだこれ? 部屋はいつもきれいにしているはずだけど。
気になって足元に視線を落とし――そして僕は、目を疑った。女性ものの黒いスーツが上下とも床に脱ぎ散らかしてあったのだ。
「このスーツって、美川先生が着てた……」
え、嘘でしょ? 流石にそれはないって。
唇をわななかせながら、おそるおそる顔を上げる。
探すまでもなく、部屋のなかには人様に見られるわけにはいかない光景が堂々とひろがっていた。
「あ、薫くんおかえり~」
ベッドにぐでぇーとうつ伏せになって寝転がり、脚をぶらぶらゆすりながら漫画を読んでいた美川先生が僕たちに気づいてこちらを向く。
……下着の上からシャツを着ただけという、とんでもない格好で。いくら姉弟みたいな間柄っていっても、ここ男の部屋ですよ?
「あれ、白峰さんと夕凪さんもいんの?」流石の二人も呆気にとられている。「女の子二人も部屋に連れ込むなんて、薫くんってば大胆~」
「大胆なのはあんたの格好だよ!」
「格好?」
ヨガみたく背中を反らせながら上体を起こして振り返り、ぴらりとシャツの裾をめくる先生。グレーのパンツがおもいっきり顔を出した。
「見せるな! 隠せ!」スーツを拾い上げて先生に投げつける。
「はぁ? なに赤くなってんの、高校生にもなって下着くらいで」ひょいと躱された。「それにこれ、Calvin Kleinのやつだから見られても全然大丈夫だよ」
ブランド名なんか言われてもわかんねぇよ! ていうか見られても大丈夫な下着なんてあんの? そこらへんの女性事情なんぞ知るはずもない僕はただただ困惑する。けれど、たしかに言われてみればスポーツパンツに見えないことも……て、いやいやなに考えてんだよく見ろ! 下着は下着だぞ! ああいや、だめだ馬鹿見るな!
「そんなわけないでしょうが! ちょっとは恥じらいってものを持ってくださいよ、咲希や美玲だっているのに!」
「おろろ? なに、もうなまえで呼ぶ仲になったの。昼休みの後に二人となにがあったのさ?」
それどころではないのですが。あなたその二人が通ってる学校の教師だっていう自覚あります?
「まぁ、成り行きというか……て、いや。それより早く服をっ――」
「ちぇ、わたしのことはなまえで呼んでくれないのになぁ……」わざとらしくしおらしい顔になる先生。
「そりゃ学校で呼べるわけないでしょうに」
「今は学校じゃないでしょ? ほら、言ってくれたじゃん。学校じゃなかったらいいって」
「いや、でも二人がいるし……」ちらりと背後の二人をうかがう。
「職員室でお話聞いてたから、大丈夫だけど」
「わたしも。言いふらしたりしないし。ていうか、なまえ呼びよりもっとすごいの今見てるからね」
「あはは、たしかに! 夕凪さんの言う通りだ。こんな格好にくらべたら、なまえで呼ぶなんて大したことないよね!」
「そう思ってるんだったら早く服着てくださいよ。もうなまえでもなんでも呼んであげますから」
「ほんと? じゃあアキ姉ちゃんって呼びながらお願いしたら着てあげる」
なんかしてやられた気分だけど、やむを得ない。不承不承ご要望通りに応えると、とりあえず下だけは履いてくれた。アキ姉ちゃんはよいしょとベッドから下りて漫画を本棚に戻す。
「さてと。ちょうど読み終わったしお腹も空いたし、これから夕ご飯にしよ。二人も食べてく?」
完全に自分家の感覚なんだが。こんな時間だから、僕としてもお誘いするつもりではいたけど。先生がそう言うと二人はしばらく逡巡し、お言葉に甘えますと遠慮がちに頷いた。
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