第6話


 白峰さんとは外でたまたま会っただけなんです。そのとき猫を拾ったんで一緒に職員室へ預けに行っただけでほんとになにもないんです信じてください。


 とおおむね正直に言ってクラスメイトたちの昂ったパッションを鎮め、けれど疑惑の視線を受けながらもなんとか午後を乗り切った僕は放課後。渋る緒方先生を諭してにゃん吉を返してもらい、先に来ていた白峰さんと店までの帰路につこうとする。


 職員室を出てすぐに、僕ははたと気づいて足を止めた。


「あのさ、白峰さん。帰るタイミング、ちょっとずらせないかな」


「え、なんで?」


「いや、なんでって、そのぅ……」


 目をしばたたく白峰さん。当然のごとく一緒に帰るつもりだったらしい。それくらいには心をひらいてくれたのはうれしいんだけど、どうしよう。これ自分で言わなきゃいけないのか。


 僕は頭の後ろを掻いて、しばらく口ごもり言い方を考えた。


「昼休みの後に、クラスメイトたちに聞かれたんだ。白峰さんと付き合ってるのかって。だから下校まで一緒だと、また変な勘違いされるんじゃないかって思って……」


「わたしと薫くんが、付き合ってる?」


 白峰さんはかすかに目を見張り、それから照れたように落ち着きなく視線をさまよわせる。


「ごめん、迷惑だった?」


 ここで頭を縦に振られると立ち直れなくなりそうなので、僕は内心祈りながら聞いてみた。


「べつに迷惑とかじゃ……ただ、ちょっと驚いて。となり歩いてた男の子だれだったのっていうのは聞かれたけど、そんなふうにひろまってたんだ。知らなかった」

 

「それだけ? 僕なんて根ほり葉ほり聞かれるどころかあることないことまで言われたのに……」


 なんだこの差は。引っ込み思案な態度で、強く質問するのを許さない雰囲気があるからだろうけど、壁一枚挟んだだけでこうも違うのか。歴然としたものを見せつけられて愕然とする僕に、白峰さんが同情のこもった目をむける。


「大丈夫?」

 

「……うん、大丈夫。割り切れるから」


 取るに足らない一般生徒の扱いなんてこんなもんだろう。


「まぁでも、この話はもう終わりにしようか」考えてたら自分が惨めに思えてくる。「それで、そう聞かれてなんて答えたの?」


「薫くんって」


 白峰さんが大真面目に言った答えに、やさぐれていた気持ちがほっこりして僕は穏やかに苦笑する。


「たぶん、その人が聞きたかったのはなまえじゃないと思う」


「でも、それ聞いたらうまくいってよかったって満足してたよ」


「……なんか相手に心当たりがあるぞ。その子なまえなんていうの?」


「夕凪さん」


「あ、やっぱり」


 あの子ならそうなるよな。絶対また勘違いしてるよ。今度改めてお礼するついでに誤解を解いておかないと。


「薫くん、夕凪さんとお知り合い?」


「知り合いっていうか、白峰さんを捜すときに手伝ってくれたんだ。あの場所わかったのも、夕凪さんがヒントくれたからなんだよ」


 彼女がいなければ白峰さんと会えず終いでにゃん吉を保護することも出来なかったんだよな。そう思うと、間接的にではあるけど夕凪さんもにゃん吉の命の恩人ということか。うちの店のこと話したら行ってみたいと言ってたし、会わせてあげたらよろこぶかな。よろこぶな。頬ずりしてるのが目に浮かぶ。

 

「なになに、わたしの話?」


 すぐ背後からいきなり声がして、驚いた僕たちはそろってそちらを向いた。


 現在進行形で話題にあがっている夕凪さんだった。後ろ手を組んで興味深々と前のめりになって、にぱにぱ揶揄うような笑みを浮かべている。


「なんでここにいんの?」


「いやぁ、帰る途中で2人が見えたから気になってさ。いろいろ噂は耳に入ってきてたけど、この様子だとほんとにうまくいったんだ。おめでと、やったね!」


「誤解だよ、誤解。だからそんな写真なんか撮ろうとしないで」


 記念に一枚と流れるような動作でスマホを取り出す夕凪さんの腕をさっと抑え、僕はもう何度目かもわからない説明をする。


「というわけで、帰るタイミングずらそうかって話をしてたわけ」

 

「ふ~ん。でもそれだとさ、白峰さんちゃんと傘させなくない? ニャンちゃん抱えてるんだし」


 窓の外とにゃん吉を交互に見て、夕凪さんは的確な指摘をしてくる。言われてみればたしかにそうだ。


「三嶋くんは女の子とニャンちゃんをずぶ濡れで帰そうとするひどい男の子だったの? そんなふうには思えないけどなぁ」


「それは、そうだけど……」うわ、やりづらい。「でもさ、一緒に帰ったりしたら、また変な噂立てられるし」


「ふむ……そうだね。じゃあこうしよう。わたしも二人についてく」


 なにがどうしたらそうなるんだろうか。


「だってほら、二人きりで帰ったら付き合ってるって思われるけど、三人で帰れば友達って可能性も出てくるでしょ。わたしの周りでも男女混ざって帰ってる子たち結構いるよ」


「女ったらしのくそ野郎って思われる可能性は?」


「ないない、三島くん意気地なさそうだもん。絶対に女の子に手を出せないタイプっていうか、話してるだけであたふたしてそう。むしろ尻に敷かれてるって感じ」


 よけいなお世話なんだが? 実際その通りだけど。僕がぐぬぬと悔しそうに表情をひしゃげさせながら反論できずにいる間にも、夕凪さんはどんどん話を進めていく。


「それじゃあ三嶋くんからの反対もないということで、わたしもお供します。白峰さん、いい?」


「薫くんがいいなら、いい、けど……」


 僕の背中からちょこっとだけ顔を出して白峰さんはおずおずと頷くと、夕凪さん共々上目遣いでこちらの反応をうかがう。こうなってしまえば男の立場なんてないに等しいものだ。僕は観念して深いため息を吐き渋々頷いた。


「よし、決まり!」決めポーズなのか、夕凪さんは先刻の焼き直しのように片眼を瞑って親指を立てる。「それにしても、白峰さんほんと三嶋くんにべったりだね」


「そう、かな」


 ただ単に僕を盾にしているだけだと思いますけどね。夕凪さんが横に回って覗き込むと、惑星の周りを回る衛星のように白峰さんは僕の身体を沿ってさささっと逃げていく。それを見た夕凪さんは腹を抱えて腰を曲げ、大層おかしいとけらけら笑いだした。


「いやいや、これはだれだって勘違いするって。それに薫くんって下のなまえで呼んでるし」


「薫ってなまえ、なんかかわいいから」


「あーわかる。女の子みたいだよね。よく見れば顔もかわいい系だし、もういっそ女の子の格好すればいいんじゃない? そうしたら皆付き合ってるなんて勘違いしないと思うよ」


「……いいかも。わたしもちょっと、見てみたい」


「べつの勘違いが発生するんだがっ?」


 言いながら、子供のころに何度も着せられていることを思い出してどきりとした。


「あはは、冗談冗談。三割はね」残りの七割は本気ってことか。「でも気を付けなよ。べったりなのももちろんだけど、なまえで呼ばれてるなんて他の男子たちが知ったら、三嶋くん嫉妬の炎で燃やされかねないから。比喩じゃなくてガチで。なんかもう準備してる子もいたし」


「は? なにそれこわっ。うちの学校どんだけ殺伐としてるのっ?」


「女の子から下のなまえで呼ばれるってことはそれだけ名誉なことなんだよ。世の男の子たちがそりゃもう必死になるくらい」


「世の男子たち暇すぎじゃない?」


「ははは、そうだよねぇ。そんな気負わなくたって言ってくれれば普通に呼ぶのに。ね、薫くん」


 僕はなにも言ってませんけど? めちゃくちゃ簡単に手に入るなその名誉。あと夕凪さんまで呼びはじめたらリスク上がるよね?

 

「うんうん、やっぱなまえ呼びの方が友達って感じがしてしっくりくるなぁ」いつの間にか友達になっていた。「あ、そうだ白峰さん。わたしのことも夕凪じゃなくて美玲って呼んでくれないかな? それからわたしも、咲希ちゃんって呼んでいい?」


「え? あ、う、うん。いいよ。えっと……美玲、ちゃん?」


「あはっ。ありがと、咲希ちゃん!」


 バラ科の果実を思わせる、明るくて甘酸っぱい笑顔を夕凪さんは見せた。


「咲希ちゃん、これからいっぱい仲良くしようね!」


 夕凪さんが両手で握手して鐘を鳴らすように振ると、目を回した白峰さんはおろおろぎくしゃくしながらも頷く。


「それで、薫くんは?」


「……え?」


 この子ほんとに距離詰めるの早いな、と傍観者気分で眺めていたら突然話を振られ、僕は間の抜けた声を出した。一瞬なんで呼ばれたのかわからなかったけど、二人が期待を帯びた眼差しを向けていることに気づく。僕も下のなまえで呼べってことか。


「あぁ……えぇ? いや、その、うぅん……」

 

 閉められた蛇口から落ちる水滴のように、意味をなさない単語がぽつぽつとこぼれ落ちて地面に溜まる。なんか、付き合ってる云々うんぬんを説明するよりも照れくさいぞこれは。


 けど言わなければどうせまた意気地がないとか揶揄われるんだから、許されているならこの際夕凪さんの言うように気負わず軽い調子で呼んでしまえ。


「じゃあ……さ、咲希。それから、美玲……で、いいかな?」


 もし僕が女の子慣れしていれば、もうちょっとスマートに呼ぶことも出来たのだろうけど、あいにくこれまでなまえ呼びするほど交友を持てた異性なんて、目の前の二人を合わせても片手で数える程度だ。


 それでも、咲希と美玲はたどたどしい僕を嗤うでもなく、うれしそうに微笑んで頷いてくれた。

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