第5話


「し、失礼しますっ」

 

 扉を少々乱暴に開けていきおいよく入ると、先生方がなんだなんだとこちらを見てくる。手元の書類にペンを走らせている先生もいた。お仕事中にごめんなさい。お昼休みまでご苦労様です。


「えっと、その……」


 数秒前までお祭りのような空気のど真ん中にいたから場違い感がすごかった。僕が気まずそうにそわそわしていると、それを見かねてか初老の男性教師がこちらに歩んでくる。知っている顔だ。


 話しやすい人がいてよかった。僕はほっと息を吐き、それから肩身を狭くしてへこへこ頭を下げた。

 

「あの、すいません緒方先生。いろいろと騒ぎ立ててしまって」

 

「いえ、まぁなにがあったのかは大体察しています。ちらっと職員室にも聞こえてきましたから。毎度のことですが、三嶋くんも大変ですね」


「は、はい。そう言ってもらえると、ありがたいというか」


「そんなに縮こまらなくてもいいですよ。それにしても……」

 

 緒方先生が、手間のかかる我が子を見るような困った笑みを美川先生に向ける。


「またですか、美川先生?」

 

 言われた本人はなんにもわかっていないようで、なんでしょうか? と悪びれもなく言って目をしばたたかせた。

 

「いえね。わたしもバロンさんには長年通っているわけでして、先生と三嶋くんの仲がいいのは存じていますよ? ですが学校では教師と生徒なんですから、こう、もうすこし分別をですね――」


 そうだいいぞ、もっと言ってやってください。この人全然懲りないんだから。あ、けど停職とかそういう大事にはしないでいただけると……。


「いいじゃないですか、お小言はそれくらいで」

 

 近くに座っていた四十代半ばくらいの女教師が、やわらかい口調で緒方先生をたしなめる。


「緒方先生のおっしゃることもわかりますけど、なんだかお店の雰囲気が戻ってきたみたいでわたしは楽しいですよ。明乃ちゃんが教職に就いてバイトを辞めてしまってからは、寂しいなって感じていましたもの」


「それは……私もそうですが……」


 緒方先生の気持ちが常識と良心の間でゆれ動く。


「う~ん。仕方ないですね。ではまぁ、今後は節度さえ守っていただければ、ある程度は大目に見るということで」


 折れるの早くないですか? もうちょっと粘ってもいいんですよ。あまり甘やかすと調子にのるんで。


「だってさ、薫くん。よかったね、これからは前みたいに呼んでもいいって」


 ほらさっそくだ。美川先生が後ろからぽんっと僕の両肩に手を置いて顔を近づける。あんたすこしは反省の色を見せたらどうなんだよ。


「なんで僕の方が呼びたいみたいになってるんですか。呼びませんよ、少なくとも学校では。皆の目もあるんで」


「学校では、ってことはそれ以外でならいいんだね。わかった。どうせ今日お店に行くし、そのときにでもってことで」


「そうやって都合のいい解釈しないでください、まったく……まぁ、うちの生徒とかがいなければ、考えなくもないですけど……」


 照れくさそうにそっぽを向いて、僕は小声で言った。


「あはは。なんだかんだ言って薫くんも甘いよねぇ。ツンデレだ」


「出禁にしてやりましょうか?」


「うそうそ、冗談。え~と……そう。今のはやさしいねって意味で言ったんだから」


 先生は笑って誤魔化す。ほんとに調子のいい人なのだ。まぁ僕も元から冗談で言っていたので、しょうがないですねとどっしり重いため息を床に落とし、そこでふと思い至って言葉を足した。

 

「あ、でも今日は無理ですよ。来てもたぶん僕店にいないんで」


「なんでさ。もしかしていっちょ前に焦らすつもり?」


「違いますよ。さっき言ったでしょ、拾った猫をうちで預かるって。一回病院につれて行って診てもらったり、いろいろやることあるんです」


「ほぅ。拾った猫、ですか?」


 耳ざとく聞いていた緒方先生がメガネのふちを上げ、きらりとレンズの奥に光を宿して会話に入ってきた。この人もうちのお客さんで根っからの愛猫家あいびょうかなのだ。ちょうどいい。


 僕は本来の目的である、にゃん吉を預かってもらいたいという旨を話した。


「なるほど、そういうことでしたか。えぇ、えぇ。もちろんいいですよ。放課後まではこちらで預っておきましょう」


「ありがとうございます。じゃあその、お願いします」


「よろしく、お願い、します……」


 白峰さんがおずおずとお辞儀して手渡すと、うちの猫たちを長年相手にしていることもあって、緒方先生は慣れた手つきでにゃん吉を抱きかかえる。


「おや? 野良にしては嫌がりませんね」


 緒方先生が頭をやさしく撫でてあげれば、にゃん吉は気持ちよさそうな声をあげた。もともとの性格が人懐っこいのかもしれないな。


「やっぱりかわいいですねぇ。ではでは、後はわたしの方で面倒を見ておくので、そろそろお昼休みも終わりますし三嶋くんたちは教室に戻って大丈夫ですよ」


「あら、緒方先生は午後も授業を受け持っていませんでしたっけ?」


「自習にさせようと思います」


 さっき美川先生にさんざん教師のなんたるかを説いていた人の言葉とは思えなかった。唖然とした僕は目をそらして聞かなかったことにし、失礼しましたと平静を装って職員室を後にする。


 教室に戻る途中、白峰さんがおそるおそる聞いてきた。


「薫くんと美川先生って、その……お付き合い、してるの?」


「はぁ? いや、全然そんなんじゃないけど」


 あのやり取りのどこをどう見たらそんな勘違いが起きるんだ。僕は訝しむように眉を下げた。


「そうなの? すごい仲良さそうだったから、てっきりそうなのかなって思って……」


「たしかに仲はいいけど、本当にそういうんじゃないよ」そもそも僕たち生徒と教師だし。「美川先生が学生のときに、うちの店でバイトしてたんだ」


「バイト?」


「うん。高校生になってすぐだから、かれこれ七年くらい。その前からもお母さんに連れられて来てたけど。だからかな。なんかお姉ちゃんって感じで……まぁなんていうか、姉弟みたいなもんだよ」


 そう言って苦笑し、優し気に目を細めて昔を懐かしむ。バイトがない日でも、よく僕の遊び相手になってくれたっけ。


「……ん?」


 いや待て。思い出してみると玩具にされてたことの方が多かった気がするぞ。かわいいから似合うよとか言って嫌がる僕に自分のおさがりの服を着せてきたり、抱き心地がいいからって理由でしょっちゅうクッション代わりにしてきたり。じいちゃんを始め、まわりのおっちゃん連中は羨ましいとかなんとか笑ってたけど、人形みたいに扱われていたこっちはたまったもんじゃなかった。


 過去の記憶がよみがえり、陰鬱になりかけていた気分を白峰さんの声が断ち切る。


「そう、だったんだ……」

 

 なぜか白峰さんは安堵の表情を浮かべた。今の話にそんな要素あったか?

 

「もし2人がお付き合いしてたら、これからお店行くときお邪魔になっちゃうんじゃないかって、ちょっと心配になった」


「お邪魔? それって、どういうこと?」


「……え? あ、えっとそれは……い、言えない……」


 尻すぼみになって口ごもると、白峰さんは真っ赤になった頬を両手で覆う。いったいなにを想像したんだ? 聞くのもはばかられるくらい恥ずかしがっていたので、結局その後教室まで会話が続くことはなく。じゃあまた放課後ね。最後にそう言って手を振り、白峰さんと別れた僕は教室の扉を開いた。


 そして足を踏み入れた瞬間、僕は白昼堂々と学校の人気者と一緒にいた人間がどうなるかというのを思い知ることになる。


「あ、帰ってきた」

 

 誰かのひと言でひそひそ声がぴたりと止み、直後に僕を除いたクラスメイト三十九人分。七十八個の目が一斉にこっちを向いた。え、なに怖いんだけど。これ軽くホラーだよね? この場にとどまってたら不味いやつだよね? なにかを直感した僕はたじろぎ後ずさる。


 しかしながら、思春期真っ盛りの高校生というのは話のネタがそこにあると飛びつくもののようで。捕食者さながら逃がすものかと、あまり話したことない生徒までわらわら集まってきやがったのだ。


「おい三嶋。おまえ白峰とどういう関係なんだよっ?」「もしかして付き合ってるのっ?」


「ちょ、ちょっと皆落ち着い――」


「わたし見てたけど、美川先生ともなんかいい感じだったよね?」「アキちゃん先生ともかよ⁉︎」「前々から仲いいなとは思ってたけど……」「なになに、禁断の恋ってやつ?」

 

「先生とはそういうんじゃなくてっ」


「ていうか三嶋くん、かわいい感じなのに結構やるんだね、意外。両手に華じゃん」「ふざけんなよてめぇ! 1人だけ羨ましい思いしやがってこの野郎!」


「いや、だから、話聞いてくんない⁉︎」


 僕はもみくちゃにされながら、誤解だ違うんだと必死に弁明する。その様子を、あらかたの事情を知っているはずの龍也は腹を抱えるほど爆笑しながら見ているだけだった。おい、友達なら笑ってないで助けろよ。

 

 ちなみだけど、その日の午後最初の授業は急遽自習になった為、チャイムが鳴ってからも僕への質問攻めは続くことになる。言わずもながら緒方先生の授業だ。マジかあの人。

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