第3話
ようやく白峰さんと出会えたのは昼休みのことだった。
調子よくエネルギッシュな夕凪さんにあてられた僕は気力をごっそり持っていかれてへとへとだったけど、お昼ご飯もそこそこに、いくつか目星をつけた場所へと向かう。
「学校だったら、大体ここらへんがお決まりなんだよなぁ」
まだ入学して間もないので校内に詳しいわけではないが、条件がそろった環境なんてどこも似たり寄ったりだ。校庭の隅の草むらや、体育倉庫の周辺に、外と敷地を隔てるフェンス沿い。人通りがすくなく、かくれるのにちょうどいい物陰が多い場所を捜し歩いて――。
見つけた。
「はい、にゃん吉。ごはんだよ~」
ひんやりとした空気が横たわる薄暗い特別棟の裏側。生徒たちの喧騒から離れた、さびしくも心安らぐ空間。湿った草木や土の匂いが鼻をつき、雨粒が葉をぽつぽつと叩く音色のなかで、透き通るほど無垢でいとけない少女の声が聞こえてきた。
「この声、白峰さんのだよな?」
こんな雨の日に。こんな人気のない場所に来る人間なんて、よほどのなにかがなければいないだろう。
たとえば、迷いこんだ猫に会うためとか。
夕凪さんの話を聞いてピンときた。雨の日に外でお昼というのもおかしな話だし、猫好きの白峰さんのことだから、たぶん袋の中身は猫用のご飯とミルクかなと。最近はコンビニでも置いてあるところは多い。
視線を巡らせれば案の定というか、白峰さんが草むらで猫みたいに四つん這いになって、黒と白の二色模様の猫にご飯をあげていた。背中を向けていてこっちに気づいている様子はまだない。
「よかった。いた……」
見つけられたことにひとまず僕は安堵する。大見え切った手前、もし見当違いだったら後で夕凪さんに揶揄われるんだろうなと捜している間中ちょっと不安だったのだ。
けれど、すぐにそれに気付いてバッと目を背けた。
なんでかって? 背中を弧に反らしてこぶりなお尻をちょんと上向きに突き出しているものだから、白峰さんが動くたびにスカートがひらひら挑発してきてめちゃくちゃ目のやり場に困るからだよ。僕はなかが見えてしまわないようそろりと横にずれようとする。
「……あ」
パキリと枝を踏み折った音が、この
「ふぇ?」
白峰さんは肩をびくりと縮こまらせて振り返ると、突如あらわれた侵入者に驚き、猫をかかえて飛びのく。
「だ、誰⁉」
「あ、いや、えっと……」
やばい。まったく心の準備が出来てなかったから、いざとなると咄嗟に言葉が出てこないぞ。
「その、なんていうか……」
怯えと、ほんのちょっとの威嚇が混じった視線から逃げるように俯き頬を掻く。なんだか楽しい時間を邪魔したみたいで、居たたまれなくて。ごめんと謝ってこの場を去ってしまおうかという考えが一瞬よぎったけど、即座に胸の内で自分を叱責した。なんで僕の方が逃げようとしてるんだよ。気になって、話がしたくて捜したんだろ。だったらじいちゃんの言うようになんでもいいから口にしろ。
「あのさ、ほら。僕のこと覚えてない? いつも店来てくれてるよね?」
自分を指さし絶望的なまでに味気ない文句で僕が切り出すと、白峰さんの目がかすかに見開かれ、それからこっちを観察するように細められる。
「にゃん次郎がいる……お店の人?」
にゃん次郎? にゃん次郎ってなんだ、もしかしてジュンさんのことか?
「そ、そう。にゃん次郎じゃなくてジュンさんなんだけど……てそれはどうでもいいや。白峰さん、でいいよね。ここでなにして……ああ、いや。見ればわかるか」
どんだけ狼狽えてるんだ僕は。とりあえず深呼吸して落ち着け。みっともないったらありゃしない。
「えっと、その子、迷いこんできたの?」
「……うん。一昨日、ここで見つけて」
未だに警戒心たっぷりだけど、猫を放っておくわけにもいかないからか、なんとか逃げずに受け答えしてくれた。
「そっか。一昨日、にしてはよく懐いてるね。やっぱり白峰さんって、結構猫に好かれるんだ。ジュンさんとも仲良くしてくれてるし」
「ジュンさん?」
「さっきにゃん次郎って呼んでたうちの猫だよ」
僕がそう言うと白峰さんは急に態度を一変させ、不満そうに唇を尖らせてそっぽを向く。
「……にゃん次郎の方が、かわいいと思う」
「え? あ、いや、そんなこと言われても。なまえ付けたの母さんだし、お客さんにももう定着しちゃってるから変えるのは難しいかな」
「そう。残念……」
しゅんと目尻を下げて憂いたため息をこぼす白峰さん。そんな顔を見せられれば僕は今度こそごめんと謝るしかない。
でも、すこし意外だった。
人見知りと聞いてたし僕もそう思ってたけど、好きなものの話となるとやっぱり素の表情を見せたり、自分の意見を挟みたくなるものなのだろうか。それが通らなくてしょげていた白峰さんは、しかしすぐにけろっとして事も無げに言う。
「けど、にゃん次郎って呼んだらよろこんでくれるし、これからもそう呼ばせてもらっていい?」
「まぁもともと野良だし、呼び方は好きにしてもらっていいけど」
「うん、ありがとう」にこりともせずに白峰さんは言った。「それで、にゃん太くんはなんでここに――」
「ちょっと待って。にゃん太? 誰それ?」
白峰さんはじっとこちらを見つめる。どうやら僕のことのようだ。裏でそんなふうに呼んでたのか。
「いやいや、そんな愉快ななまえじゃなくて、三嶋だよ。三嶋薫」
「三嶋……にゃん太の方が……」
「それはもういいからっ」
なんだその『にゃん』へのこだわり。たしかに響きはかわいいけれども。
「ふつうに呼んでよ。べつに僕、そんなかわいさ出してないし」
「そう? わたしは、かわいいと思うけど……」
思春期男子が女の子に言われたくない誉め言葉ランキングの上位に入る言葉だ。びたいちうれしくない。
「あの、白峰さん。僕のどこを見てそう思ったのさ?」
「……薫って、なまえ?」
「じゃあ薫でいいじゃん」
「あ、それも、そっか」とそこで白峰さんは、そういえばとなにか思い出す。「にゃん太ってなまえの子、もういた」
疲労感がどっと押し寄せた。なんだったんだ今のやり取りは。
「ていうか、その子もそうだけど、会った猫全員に『にゃん』てなまえ付けてる?」
「うん。でもこれで付けなかったのは、きみがはじめて」
「僕は猫じゃないからね」
「そんなの、わかってるよ?」
天然か? 天然なんだろうな。なに言ってるの? みたいな顔してるし。ほんとに嚙み合わない。
そしてこうも振り回されれば、この短い会話だけでも僕の白峰さんへの印象はだいぶ変わっていた。
人見知りは人見知りなんだろう。途切れ途切れの話し方で緊張しているのがわかるし、試しに1歩近づいてみたらさっと距離を取られた。だけど、言い方は悪いけどちょっと変な子だぞ。
「……はぁ、まぁいいや」
ただ、こっちを警戒しながらも興味深々に見てくる猫みたいで不思議と憎めない。愛くるしささえある。なるほどたしかに人気者だというのも頷けるな。思わず僕は微笑まじりの困ったため息をこぼした。
「白峰さんの好きな呼び方でいいよ。さすがに原型とどめてなかったら僕も反応に困るからあれだけど」
「じゃあ、薫くん」もしかして三嶋がお気に召さなかったのだろうか。「薫くんは、なんでここにいるの?」
「うん。その……変な意味でとらえてほしくないんだけど、きみを捜しに来たんだ。たぶんこのあたりにいるかなって」
「わたしを? なんで?」
白峰さんは不思議そうに目をぱちくりさせる。なんか思った以上に恥ずかしいな。僕は照れを紛らわすようにいそいそとポケットにしまっていたハンカチを取り出した。
「昨日うちに来たとき、白峰さんハンカチ落として帰っちゃってて。それ渡そうかと」
すると差し出した途端、白峰さんは傘を放り捨ててこっちに駆け寄ってくる。途中で足をつっかけたりと結構な慌てぶりだった。
「これ、昨日気づいたらなくなってて。探してもどこにもなくて、どうしようって……」
なんとなく、店の前まで探しに来たけど僕たちに声をかけられずに困り果てる白峰さんの姿が頭に浮かんだ。
「ごめん。僕が拾っちゃったから……店の前に置いておけばよかったね」
「ううん。もしかしたら風で飛ばされてたかもしれないし。拾ってくれて、ありがとう」
「いや、そんな。でも、よかったよ渡せて。大事なものなんでしょ?」
「……うん。とても、大事なもの」
受け取ったハンカチを握りしめて、宝物をしまい込むように胸に寄せる。
「お母さんがくれた、おくりものだから」
だけどそう言った白峰さんの表情に浮かんでいたのは、霧雨のように切なく悲しそうな微笑みだった。まるで、欲しかったものをもう手に入らないから仕方ないと諦めるような、そんな感じ。
事情はわからない。きっとあまり踏み込まない方がいいんだろう。腕のなかにいる猫だけは、白峰さんを励ますように鳴き声をかけるけど。今は、それでじゅうぶんだと思う。
僕にできることといえば、彼女が濡れてしまわないよう傘をそっと傾けて、なにも言わずに分厚い鉛色の雲におおわれた雨空を仰ぐだけだった。
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