第2話


 翌日は冷たい春雨がしとしと降るあいにくの天気だった。

 

「店立つようになってはじめての雨だな、そういえば」


 雨の日ってコーヒーの淹れ方ちょっと変えなきゃいけないんだよな。自分で飲むだけならともかく、お客さんに出すんだから帰ったら調整しなきゃ。


 などといつも通りコーヒーのことを考えながら歩く、校門から校舎までの短い道のり。僕はまだ慣れ親しみのない雨景色をそれとなく見回した。


 アスファルトに赤く降り積もり散乱した桜しべが雨水に浸って萎びている。淡く絢爛けんらんな桜色が額縁がくぶちから溢れてしまいそうなほど咲き誇る満開の時期も生命力豊かでもちろんいいけど、桜しべの薄紅と葉桜の新緑が対比して心地いい深みを感じさせるこの風景も僕は好みだ。厳かで凜とした佇まいがある。


 こういった景色と雨の音を背景に、ソファーにゆったり腰かけてコーヒーを飲むのはさぞかし画になるだろうなと想像を膨らませようとするも……やめる。今日は学校なのだ。硬い木椅子に縛り付けられて教科書や黒板とにらめっこする退屈でつまらない時間と比べてしまうと虚しくなってしょうがない。


 昇降口をくぐり、上履きに履き替えたところで後ろから声をかけられた。


「よ、薫。おはようさん」


 肩をぽんと叩かれる。振り返ると、そこにいたのは幼少期からの友人、真澄龍也ますみたつやだった。


「おはよ、龍也」


 僕も挨拶を返し、クラスが一緒なので伴って一年四組の教室へ向かう。ちなみに僕の苗字は『三嶋みしま』で、新学年直後だと龍也とは席も前後ろだ。


 すでに騒がしくなっている教室に入り席に着いてから、もしかしたらと思って龍也に聞いてみた。


「あのさ、龍也。ちょっと人捜してて……たぶん同じ学年だと思うんだけど、なんか猫っぽい女の子って知らない?」


「猫っぽい女の子?」


 僕は身振り手振りで彼女の特徴を説明する。髪の長さはこれくらい。色はこんな感じで――。


「白峰咲希だな。三組の」


 隣のクラスだった。


「ていうか、今の説明でよくわかるね」


「有名っちゃ有名だからな。学校全体でも、知ってるやつ多いと思うぞ」


 そうだったのか。噂話とかには疎い僕だけど、話題においてかれないためにすこしは気にした方がいいんだろうか。


「でも入学してまだ何日しか経ってないのに、そんなに有名なんだ」


「男女問わず人気急上昇中なんだよ。おまえの言うように、掴みどころなくて猫っぽいところがいいんだとさ。人見知りがかなり激しいけど、そういうところも含めて刺さる人間には刺さるらしい」


 見た目と性格が絶妙にマッチしてるんだな。天性の愛されキャラだ。

 

「しかし、なんでまた白峰のことなんか捜してんだ?」


「いや、最近よくうち来るようになって……ていっても、店の外でジュンさんと遊んでるだけだから話したことないけど」


「あー、なんかすげぇ想像できるわ。猫たちにまぎれてても違和感全然ねぇもん」


 まったく同意だったので僕も頷いた。


「まぁそれで昨日も来たんだけど、そのときにハンカチ落として帰っちゃって。今日学校でとどけようかと」鞄からねこ娘あらため白峰咲希のハンカチを取り出す。「隣のクラスだよね。休み時間にでも渡しに行くよ」


「大丈夫か? さっきも言ったけど……」


「いやいや。いくら人見知りが激しいっていっても教室なら周りの目もあるし、そうそう逃げることはないでしょ」


 僕は特に難しく考えず言ったけど、しかしその姑息な目論見は困難を極めることになった。


 彼女が逃げるからではない。そもそも出会うことがだ。

 

「ごめん。ちょっといい?」


 一限目の休み時間に、僕はさっそく三組の教室に赴いた。ちょうど出入り口の近くにいた女子生徒に声をかける。


「このクラスに白峰咲希って子いるでしょ。今呼んでもらえないかなぁって」


「白峰さん? あーごめん。授業が終わったらすぐ教室出てっちゃって」


 出てったって、チャイムが鳴ってまだ数分も経ってないぞ?


「一昨日くらいからかなぁ。それから休み時間になるとね。帰ってくるのもギリギリだし、どこかに行ってるっぽいんだけど、場所まではちょっとわかんないや」


「そっか……うん。ならいいんだ。そんな大した用じゃないし」


「あれ? ひょっとして告白とかかと思ったんだけど違った?」


「全然違うけど」


 なんでそうなるんだよ。いや、人気だって言ってたし、やっぱりモテるんだろうか。


「その、ハンカチ落としてたから渡そうかと」


「ハンカチ?」


 取り出したハンカチを見たその子が、なんでそれが白峰さんのだってわかったの? と言いたげな視線を向けてきたので、僕は龍也にしたのと同じ説明をした。


「そうだったんだ。あ、もしあれだったら渡しておこっか?」


「いや、ありがたいけど自分で渡すよ。いろいろ話たいこともあるから」


「お店に来てるんだっけ。いいなぁ、そういうの。なんか恋のはじまりって感じで」


 なに言ってんだこの子。僕は微妙な表情で曖昧に笑う。こういった話は返答に困るから苦手なのだ。白峰さんもいないみたいだし、楽しそうに話しているところ悪いけどここはとっととずらかってまた出直そう。


 けれど、二限目、三限目の休み時間でも彼女を見つけることはできず。


「あ、また来た」


 代わりに、なんの因果か行くたびに出会うのはさっきの子だった。ご縁がありそうだからとなまえも教えてもらったよ。夕凪美玲ゆうなぎみれいというそうだ。夕焼け色のショートボブが明るい印象をあたえる快活な女の子だった。

 

「白峰さん、もう行っちゃった?」


「あはは、うん。ついさっき。一応話は通しておこうとは思ってるんだけどね。声をかける暇もなく」


「いや、まぁそれはべつに。でも、なにか行き先のヒントになるものでもあればなぁ……」


「ヒントかぁ……今日は傘持ってってたからたぶん外に行ったんだと思うけど、これじゃあちょっと弱いよね」


 本人も言ってるようにたしかに弱い。外、といっても広いからな。捜している間に休み時間が終わってしまう。


「ちょっと待ってね。ほかになんかあったか思い出すから」


 反応がかんばしくない僕を見て、夕凪さんは叩けばなにか出てくるだろうとこめかみ辺りを指でとんとん突く。ブラウン管テレビじゃないんだから、そんなアナログ的なことで――。


「あとあと、いつも昼休みはコンビニ袋持ってってた」


 ほんとに出てきた。


「コンビニ袋?」


「うん。前にちらっと中身見えたけど……なんだろあれ。牛乳パックみたいなのと、なんかこう、レトルトのパウチみたいなのが入ってて。お昼かな?」


「……あー、なんとなく行き先しぼれたかも」


「え、ほんとっ?」


「おわっ⁉」


 ちょっ、近いって! そんな距離詰めなくてもいいだろ! ほら、クラスメイトたちもこっち見てるから!


「あ、ごめんごめん。つい」


 のけぞる僕から身を離した夕凪さんは、てへへと舌を出して頭の後ろを掻く。


「それで、行き先しぼれたんだよね」


「うん、たぶん」


「そっか。じゃあわたしのお役目もこれで御免かぁ」

 

「あれ、ついてこないの?」


「え? ついてかないよ。だって邪魔しちゃ悪いでしょ」


 ハンカチ渡して話するだけだからべつに邪魔ってわけではないんだけど。


 疑問符を浮かべて首をかしげる僕に向かって、夕凪さんは片眼を瞑り親指をぐっと立ててくる。


「ま、三嶋くんの恋路がうまくいくよう陰ながら応援してるよ。がんばれ!」


「……だから、そういうのじゃないんだってば……」

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