歳神さま、ランナウェイ

古代かなた

第1話

「そろそろ今年も終わりですね! あなたはこの一年間、どんな風に過ごしてきましたか? わたしはですね、――」


 駅ビルの街頭ビジョンから流れるローカル放送のナレーターが、脳天気な声でそんな話をしている。

 クリスマスが終わり、今年も残るところあと僅か。大晦日の街並みは、新しい年を控えて希望に胸躍らせる人々で溢れていた。


 お正月の準備をたくさん抱えて、家路を急ぐ家族連れ。手を取りあい互いに寄り添いながら、幸せを噛み締めるように街を歩く若いカップル。今年の締めくくりと言わんばかりに、賑やかにはしゃぎながら街をゆく高校生の集団。


 そのすべてが、自分をいっそう惨めな気分にさせた。悩みもなく笑い合っている姿が疎ましくもあり、妬ましくもあった。


「一年間、どんな風に過ごしてきたか、だって?」


 先ほどのナレーターの言葉が、苛立ちに拍車をかける。

 思い返せば、今年は碌でもない年だった。学生時代から付き合っていた彼女にはフられ、バイトはクビになり、挙げ句の果てには……ああ、駄目だ。思い返しただけでもムカムカする。

 ともあれ、総じて最悪の一年だったと言っていい。もしも、この世に神様なんてものがいるとしたら、一発ブン殴ってやらないと気が済まない。


「来年なんて、来なければいいのに」


 そんな言葉が口をついて出た。

 引きこもって鬱々としていた気分を晴らそうと街まで出てきたものの、その試みはまったくの裏目だったようだ。幸せそうな人々を見ているだけで余計に気分が沈んでくる。


「……コンビニ寄って、酒でも買って帰るか」


 来た道を戻るため、肩を落として踵を返そうとしたその時。


「ちょっとーっ! どいてどいてどいてーっ!!」


 通りの向こう側から、一人の少女が猛スピードで走ってきた。

 少女の大声に反応し、通りにごった返した人ごみが綺麗に左右へ割れていく。その様子は、まるでモーゼの十戒のよう。突然の出来事に反応ができないまま、ぼんやりとジャケットのポケットに手を突っ込んだ俺はどこか他人ごとのようにその光景を眺め……そして、まともにぶつかった。


「きゃっ!!」


 俺は少しよろけるだけで済んだが、ウェイトの差は明らかだった。激突した勢いで少女はバランスを崩し、そのまま地面に尻もちをつく。


 年の頃は中学生くらいだろうか。ファーが付いた大きめのダウンコートを羽織り、頭にはねずみの耳をかたどったイヤーマフを被っている。整った顔立ちに、短くカットした髪がよく似合っていた。ボーイッシュなシルエットとは裏腹に、少女らしい愛らしさが垣間見える。あと数年もすれば、かなりの美人になるのだろう。


 こちらが突き飛ばしたようで決まりが悪くなった俺は、少女を助け起こそうと手を伸ばし、声をかける。しかし、俺の声は、


「す、すまん。大丈……」

「そんなとこにぼーっと突っ立ってんじゃないわよ、このカカシ! 唐変木! 木偶の坊!」


 少女の息つく間もない罵倒に、あっさりかき消された。


「なっ……」


 呆気にとられる俺を気にも留めず、少女はすっくと立ち上がる。衣服に付いた砂を手で払いながら、こちらに詰め寄りながら指を指した。


「ていうか、どこに目をつけて歩いてる訳!? 往来のド真ん中で、ふらふらと歩かないでよね!!」


 ……前言撤回。なんだこのクソ生意気なガキは。売り言葉に買い言葉とばかりに、俺は少女に言い返した。


「あのなあ……勝手にぶつかっておいて、その態度はないだろう、このチンチクリン!!」

「なっ……! 誰がチンチクリンですって、このすっとこどっこい!!」

「チンチクリンだからチンチクリンって言ったまでだろうが、このチビ!!」

「ちびちび言うな、このトンマ!」

「なんだと、この男女!!」

「っんですって、この甲斐性なし!!」

「寸胴!!」

「アホ!!」

「バカ!!」


 語彙がなくなってきたのか、お互いに応酬が短くなっていく。さながら、子供の口げんかである。

 少女は肩で息をしながら俺のことを睨みつける。瞳の奥にバチバチと火花が灯っているかのようだ。


「はぁ、はぁ……何なのよ、あんたは」

「それはこっちの台詞だ。ていうか、俺と言い合ってていいのか? なんか、急いでるみたいだったけど」


 俺に指摘され、少女はふと我に返る。


「……って、そうよ! こんなことしてる場合じゃない!」


 少女は後ろを振り向き、何かを見つけて声をあげる。


「げっ、ヤバっ!!」


 つられて視線の先に目を凝らしてみる。すると、ひしめき合う人々の中に一際背の高い男が混じっているのが見えた。

 筋骨隆々、という表現の似合いそうな男だった。がっしりとした体格に、黒革のジャケットを着込んだその姿は、周りの通行人からこの上ない異彩を放っていた。男はこちらにまだ気づいてないらしく、油断のない仕草で辺りを見回しながらこちらに近づいてきている。

 少女はきょろきょろとせわしなく辺りを見回し、やがて俺のほうをまじまじと見つめた。


「な、なんだよ」

「……よし。ちょっとあんた、付いてきなさい!」


 少女は俺の腕を掴み、目の前のファーストフード店へと無理矢理引っ張っていく。


「おっ、おい! 何すんだ! 離せ、離せって!!」

「いいから、付いてきて!」


 店内に入るなり、少女は着ていたダウンコートとイヤーマフを脱いで俺に押しつけた。代わりに俺のジャケットの裾を引っ張る。


「あんたのやつ、ちょっと貸して!!」

「はぁ!? 何でだよ!」

「いいから!」

「よくねえよ!!」


 こちらの制止を意にも介さず、少女は俺のジャケットを無理矢理剥ぎ取って着込んだ。着丈がまるで合っておらず、子供が父親のジャケットを着ているようだ。

 少女が先ほどの男から逃げているのは、なんとなく様子から察することができた。店の入口に背を向け、時折ちらちらと後ろを振り向く。

 やがて、先ほどの男が店の入口に通りがかった。少女は慌てて顔を背け、息を潜めてじっと縮こまっている。男は少女の姿を探しながら辺りを見回し……そのままこちらには気づかず、店から遠ざかっていった。


「行ったみたいだぞ」


 代わりに様子を見届けてやると、少女は大きく息をついて胸をなで下ろした。俺から奪ったジャケットを脱いで、押しつけてきたコートとイヤーマフと交換する。


「ありがと。助かったわ」

「お前な……」

「あのー、お客様」


 文句の一つでも言ってやろうと思って口を開いた俺を、背後から現れた女性が呼び止めた。


「ご注文は……?」


 様子を見かねて注文をとりに来た店員だった。そういえば男をやり過ごすことに必死で、ここが店内だということを忘れていた。流石にこのまま、手ぶらで店を出ていけるような雰囲気ではない。適当にハンバーガーでも買って、退散するしかなさそうだ。

 少女の方はというと、受け取ったコートから財布を取りだそうとして、そこでぴたりと固まっていた。恐る恐るこちらを見ると、気まずそうに苦笑いを浮かべる。


「……どうしよう。わたし、お財布持ってない」

「マジか」

「うん……」


 店員は怪訝そうな表情で、俺たちの様子を伺っている。少女と店員の顔を交互に眺め、俺は大きくため息をついた。

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