第2話 栗原

 今日は珍しく定時で仕事が終わった。ハロウィンは終わり、お歳暮までは時間がある。いっときの休息期間みたいなものだ。

 ギフト関連の会社に勤めていると常に季節を先取りしている感覚がある。しかし街のディスプレイも年々早まっている気がする。買い物客も品切れを嫌って早い時期に買いに行っているようだ。


 準備のほうが時間がかかる、よなぁ。みんなイベントにかける労力がすごい。僕は仕事だからやるけれど、プライベートでハロウィンやクリスマスのイベントは面倒くさいかな。


「ん?」


 駅からアパートまでの帰り道を歩いていると、道路脇でいきなり何かが光った。

 無人販売している箱だった。朝、出勤時に通るとよく季節のくだものが売っているあの簡易な箱。

 箱の外側に人感センサーが付いていた。近づくと、箱の内側天井にも付いているらしく同じセンサーが光った。


―ご自由にどうぞ―


 黒の太字ペンでそう書かれた画用紙が背面にガムテープで貼られていた。その前にはお菓子が置いてあった。クッキーだ。

 市松模様の四角いクッキーが数枚、透明のセロファンに包まれてリボンで閉じてあった。きれいにラッピングされている。手作り感が溢れ出ている。ふだん仕事で見るクッキーは缶や箱に入っているものばかりなので新鮮だ。


「クッキーか、珍しいな」


 ここでくだものは何度か買ったことがある。休みの日に早起きして散歩をしているとお目にかかれるのだ。出勤時は会社に行くので買えないし、帰りは売り切れている。なので売っている瞬間に遭遇するとちょっと得した気分になる。

 定時で帰るとまだあるのか。そうか、仕事帰りの人が買っていくのか。そんなことを考えていると、後ろから賑やかな声がした。

 若い女子二人組が箱のなかを覗きにきた。僕は二人が見やすいよう、横に少しずれた。


「クッキーなんて初めてじゃない?」


「しかもご自由にって、無料ってこと? なんか気味悪くない? 農家の人がクッキーなんて作るかな」


「家族のひとが好きで作ってるのかもよ。別に気味悪くはないけど、考えすぎだって。けど今日はクッキーの気分じゃないからどのみち必要ないかな」


「じゃあ行こ」


 女子二人組はすぐにいなくなった。

 気味が悪いって、どういうことだ? 無料が? クッキーなのが? 女心は分からないな。


 しかし仕事帰りは甘いものが食べたくなる。いつもは残業をして同僚と夕飯を食べることが多いが、定時だと自炊になる。夕飯が完成するまでにはお菓子をつまむことが多い。手作りのクッキーなんて食べる機会もないから貴重じゃないか。

 僕は「ラッキー」だと思い、クッキーをひと袋、手に取った。


「ご自由に、だよな」


 念の為に値札を探したがなかった。やっぱり無料だ。遠慮なくもらおう。


 次の日の朝、出勤途中に例の無人販売所を覗いてみる。何もなかった。

 完売したことに僕はなぜか安堵していた。ああ無料だから完売というのはおかしいか。僕の安堵の理由は、あのお菓子を持って行ったのが自分だけじゃないという安心感だと思った。


 それからも例の無人販売所には、一日おきくらいに無料のお菓子が置かれていた。

 出勤途中だと確実にゲットできるので、僕は毎朝そこを覗くのが習慣になっていた。涼しい、というか寒い季節なので仕事帰りに食べても問題なかった。

 スコーンやマドレーヌなど、夕食を邪魔しないお菓子が嬉しかった。


 いつだったかアイスコーヒーが置かれていたのは驚いた。季節的にもどうかと思うし、さすがにあの誰でも開けられるプラスチックのカップに黒い液体が放置されているのは抵抗がある。

 帰り道に覗くと、アイスコーヒーのカップはカラスにでもつつかれたのか倒れて中身がこぼれていた。


 ある日の帰宅途中、ショートケーキが置かれていた。白い生クリームに苺が載っている。三角にカットしてきちんとフィルムがされて保冷材もついていた。

 すごい、ケーキってパテシェじゃなくても作れるのか。それに保冷剤までつけるなんて、気配りができるひとなんだな。仕事で見るケーキは基本冷凍だしホールなのでショートのフィルムを見るのは珍しかった。


 このお菓子を作っているのはどんなひとなんだろう。今まで誰が作っているかなんて気にしていなかったことに気づいた。そうだ、当たり前のように食べていたけれど、無償で提供しているひとがいるのだ。そういえば今までのお菓子もきれいにラッピングされていた。


 朝はお菓子が四つ置いてある。それは決まりごとかのようだった。どのお菓子でも、四つだった。

 そして帰り道は一つか、何もなかった。僕は一日に持っていくお菓子を一つにすると決めていた。他のひとにもこの幸福を持っていってほしいからだ。


 最近は和菓子も置いてあるようになった。どんなお菓子がくるかは予想がつかない。僕は無人販売所の箱を見るのが楽しみになってきた。


 和菓子も作れるなんて、どんなひとなのかますます気になる。まさかマーケティング調査で置いてあるわけでもあるまい。それならばもっと数があるはずだ。ならきっと一般のひとだ。どうして無料でお菓子を置いていくのだろう。


 好奇心には勝てなかった。僕は有休で会社を休み、誰があのお菓子を持ってくるのか見張ることにした。期限は二日間。一日おきにお菓子が置いてあるのだから、二日あれば充分だろうと思った。


 休暇当日に早起きをして、散歩のふりをして見張っていたが誰も来なかったので切り上げた。午後からが本番だ。


 僕は無人販売所が見える位置で、長時間いても怪しまれないようタブレットを持っていった。仕事をしているふりをすることにした。幸い十二月にしては高温の日が続いていたので助かった。


 午後三時ごろ、ついに来た。自転車に乗って来た。パーカのフードを被っている。顔は見えない。体型からして女性だと思う。

 女性は無人販売所に何かを置き、すぐに行ってしまった。


 自転車が見えなくなってから僕は無人販売所に近づいた。

 今日はチーズケーキだった。四つ、置かれていた。三角にカットされてきちんとフィルムが巻かれている。その上からさらにサランラップがされている。それが丸い紙皿に四つ置かれて保冷材もついている。いつもの状態だ。僕はひとつ頂戴して、女性が去った方向を見つめて、アパートに戻った。



「気味が悪いからやめろ」


 同僚でもあり友人の山内やまうちが、僕に怒りを向けて言った。山内とは仕事でよく会うので無人販売所の話をしていた。うちに来たいと言ったので珍しいと思っていた。気味が悪い。そういえばあのとき女子二人組も言っていたなぁ。どうしてそう思うんだろう。


「僕だってなんでもかんでももらっているわけじゃない。チョコケーキとかコーヒーとか、黒い、そう、何が入っているか分からなそうなものは食べてないさ」


 僕がそう言っても山内は呆れていた様子だ。


「色の問題じゃない。誰が作ったか分からないものを毎日食べているのが異常なんだよ」


 そう、あの無人販売所に置かれているものはお菓子からごはんになっていた。

 昨日のメニューは牛丼だった。温玉がトッピングされていた。かなりの料理上手と見た。以前の僕だったら温玉なんて、いやごはんだったら絶対食べなかっただろう。けれども違うんだ。大丈夫なんだ今は。


 あれから無人販売所は誰でも買える状態から一新した。暗証番号を入力して開けるシステムになっていた。しかも暗証番号は毎回変わる。だから誰でも開けられるわけじゃない。いたずらなんてされない。安全でおいしいものが食べられるんだ。


「どうやって暗証番号を知るんだ?」


 山内は顔をしかめて聞く。


 経緯はこうだ。ある日、アパートのポストに手紙が入っていた。僕の住所も名前も書かれていなかったから直接投函したのだろう。

 それでも開封する気になったのは、差出人の名前だった。

 無人販売所のお菓子を作っている者です。そのままだった。

 要約すると、手紙の内容はこうだ。


 自分が作ったお菓子をおいしいと思ってくれている方へ。今度はお食事を作るということ。無人販売所のシステムを暗証番号にするので安全に提供できること。興味のある方は携帯へ連絡ください。シンプルな便せんに、きれいな字で書かれていた。


「それで仙崎せんざきさんの番号が書いてあった」


「仙崎って、そのめし作ってるやつか?」


「そう、仙崎さんと連絡とって暗証番号を聞いている。確実だろ」


 山内は何をいらついているのだろう。


「そいつ、なんでお前の家のポストに投函できたんだ? 尾行されたんじゃないのか」


「まさか、このアパート全員に同じ手紙を入れたんだと思うよ」


「〇〇課の小寺こでらって知ってるか。やつが向こうのアパートに住んでるんだよ、そう同じ町内だな。小寺に聞いたけど、あの無人販売所が気味が悪いって近所で噂になっているそうだ」


「なんで?」


「あの無人販売所の近くにずっと待機している女がいるんだよ。パーカのフードを深く被ってお前のアパートをずっと見ているんだと。警察に職質されたらしいけど、売れ行きと客層を見ているだけだと突っぱねたらしい。あと小寺のアパートとここのアパートは管理会社が同じらしいな。ポストの一斉投函は禁止しているらしい。その仙崎ってやつはお前の家を狙って手紙を投函したんだよ。家を知られてるんだぞ、おかしいと思わないのか」


「いやーうまいもの食べられるんだし別に」


 山内はどうしてこんなに怒っているのだろう。それにずいぶん下調べをしている。


「そうだ、山内も食べてみる? 僕仙崎さんに聞いてみるよ二人分作れるかって」


 そう、山内はお腹が空いているんだ。おいしいごはんを食べるときっと機嫌もよくなるはずさ。


「……じゃあ俺が仙崎に会って、話をしてみるよ。仙崎って、今から会えるかな?」


 山内は元気がないように思えたけれど、食べる気になったのなら嬉しい。僕はすぐに先崎さんに連絡をした。


 仙崎さんはすぐに近くに来てくれると言った。僕の友人の山内という男が話をしたいと伝えると喜んでいた。仙崎さんは料理が好きで、それを誰かに食べてもらうのが好きなんだ。


 

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