第3話 栗原

 時刻は夜八時になっていた。もう道路を歩いている人は誰もいない。山内と仙崎さんは例の無人販売所で会うことになった。


 僕はこっそり山内のあとをつけてきた。だって仙崎さんの顔を見てみたい。やりとりは手紙か電話で、直接会ったことはない。

 僕は一度見張ってシルエットを見たことはあるのだけれど、あれから仕事が忙しくなりそんなことはできなくなった。だから仙崎さんの作る料理だけが僕の支えであり癒しになっていたんだ。

 それなのにどうして山内はとがめるようなことを言うのだろうか。きっと仙崎さんの料理を食べると考えが変わるはずさ。


 例の無人販売所についた。山内が立ち止まる。僕も立ち止まる。

 この辺は外灯もないので見つからないだろう。畑には木が生えているので隠れ場所には困らなかった。僕は闇にまぎれる。無人販売所のセンサーライトだけが灯っている。暗闇で影が動いた。


「山内さんですか」


 暗闇から声をかけられ山内がとても驚いてる。仙崎さんは先に待っていたようだ。暗くて顔は見えない。静かだから声がよく聞こえる。


「山内です。いきなりお呼びたてしてしまいすいません」


「いいえ、いいんですよ。栗原くりはらさんのお友達なら大歓迎です」


「単刀直入に言いますね。栗原に食事を提供するのはやめてもらえませんか」


 えっ。山内、話が違うじゃないか……。仙崎さんの料理を食べたいって言うんじゃなかったのか。

 しかしいきなり出て行っても混乱を招くだけかと思い、僕はもう少し様子を見ようと思った。仙崎さんは下を向いたまま黙っていた。気を悪くしていないだろうか。僕はハラハラしていた。


「……っていた」


「えっ?」


「待っていたわ、運命の人」


 仙崎さんは顔を上げ、胸の前で手を組んだ。そしてパーカのフードを後ろにずらした。


「友達のために危険をかえりみず飛び込む勇気がある、そんなひとを待っていたの」


「何を言っているんだ……」


 山内はぼうぜんとしている。そりゃそうだ、僕だってよく分からない展開になっている。このあとどちらかが発言をしたタイミングで出て行こうと思っていたが二人ともお互いを見つめて黙ったままだった。


「お前……俺を知っている?」


「ようやく気づいてくれたのね。あなたが時々栗原さんと一緒に歩いているのを見たときは驚いたわ。昔合コンでナンパしてきた男にこんなところで会うなんて」


 合コン? ナンパ? 山内はチャラい奴だからな。そういう関係だったのか。因縁があるならなおさら知りたい。僕は二人の前に姿を現した。


「栗原、いたのか」


 山内はどこか想定内といった様子だった。


「仙崎さん、どういうことですか」


 僕は直接仙崎さんに尋ねた。電話で話したことはあるが顔を見るのは初めてだ。暗闇で赤い口紅が目立っていた。状況が状況なだけにあいさつもせずに本題に入ってしまった。


「栗原さん、私は恋人を探していたのです。そのために料理を作っていました。無人販売所に置かれた無料のお菓子、そのような出所がはっきりしないものを持って行くひとなら心が広いだろうと思い、このやり方にしました。そうして栗原さんに出会いました。私のお菓子を持っていったのは栗原さんだけでした。誰にも持って行かれないのは辛いので、昼くらいに自分で個数を調整していました。夕方には一個だけになっていたでしょう。実際は、私が持ち帰っただけなのです。そうして次は、ごはんです。お菓子だけだといずれ関係が切れると思ったのです。胃袋を掴むのは、やっぱりごはんです。私はあなたを尾行してあなたのアパートと部屋番号を知りました。手紙を直接ポストに投函しました。あなたは疑いもせず連絡をくれて予想通り、ごはんも食べてくれました。でも、あまりにも不用心です。知らないひとのごはんを毎日食べるなんて。この先変な女からのプレゼントだって疑いもせずに食べてしまうに決まっている。それに気づいたんです。私の理想は勇敢なひとだって」

 

 仙崎さんが一気にしゃべる。口紅の赤が動いている。目が慣れてきたころ仙崎さんの顔を見る。なんだかぼうっとして特徴のない顔だった。

 僕は途中まで聞いて恋人に選ばれたのかと思っていたら尾行されていたのに驚いた。仙崎さんは結構危険なひとなんだと思った。僕も不用心だっただろうか。今後、変な女からのプレゼントを食べる危険と言ったが、まさに今仙崎さんがその状況なのではないか。なんだか複雑な気持ちだった。


 仙崎さんが山内を見る。山内はしかめっ面をして憎たらしそうに口を開いた。


「その文章みたいな言い回しで思い出した。あの合コンで一人、浮いている女がいたって。ノリでメルアド交換したらしつこくてさ、すぐに切ったよ」


「あのときは哀しかったわ。私のメルアドを教えてあげたのに。何度も何度も送信しても宛先不明で返ってくるだけだった。何度も何度も何度も何度も!」


 仙崎さんの形相が鬼のようだった。思い出して腹が立っているのだろうか。僕は少し寒気がしたが、仙崎さんはだんだん普通の表情に戻って行った。振れ幅が怖い。


「でも私、気づいたの。そんなに簡単に踏み込んじゃいけないんだって、男と女の関係になるためには。だから今度は失敗しないよう、徐々に近づく計画をしたの」


「俺を狙っていたのか……?」


 山内は怒っているのか怯えているのか分からない表情だった。

 そうか、山内に近づきたくて今回の計画を実行したのかもしれない。山内はイケメンだ。そうだとしたらかなりの執着だ。チャラい山内だけど最近はおとなしくなっているからな、山内的には恐怖かもしれない。


 そういえば山内はどうしておとなしくなったんだっけ。そうだ、本命の彼女ができたからか。山内にしては珍しいタイプだと思ったらああいう人が好みだったんだろうな。清楚な感じだったな。今までの彼女はギャル系が多かったのに。三十代も半ばになったし、山内も落ち着きたくなったんだろうな。


「いやだわ、勘違いしないでくださる? 私はあなたに未練なんてないのよ。ただ私は私のために、恋人を探していただけ。あなたみたいに手当たり次第に女に声をかける人とは違うの。合コンなんて遊び相手を探すようなイベントには行けないしどうしようかと思った。この計画を思いつくまでに長かったわ。料理のお勉強もしたのよ。そうして実行した」


「なら、栗原を狙ったのか」


 いきなり自分の名前が出て驚いた。仙崎さんと山内は僕に視線を移した。


「いや、仙崎さんはさっき、山内に向かって勇敢な人が好みだと言ったじゃないですか。運命の人だとも。つまりは山内がいいってことじゃないですか」


 返答を聞くのが怖かったのか、僕は余計にしゃべっていた。仙崎さんは黙ってしまったので肯定か否定かも分からない。それよりも重要なことがあるじゃないか。


「それより僕はダシだったんですか?  もう仙崎さんの料理を食べられないんですか」


 そこが一番重要だった。仙崎さんが誰を狙っていたってかまわない。僕は仙崎さんの料理が癒しであり楽しみなんだ。それが山内の行動ひとつで食べられなくなるなんて辛すぎる。僕が何をしたというのだ。


 仙崎さんは変わらず黙っている。山内はどうだろう。僕から仙崎さんの料理を食べる楽しみを奪ったと思っているだろうか。


「栗原……お前、そんなことどうでもいいじゃないか」


 山内が驚きの表情で僕を見ている。僕こそ驚きだ。そんなこと? そんなことじゃない。


「そんなこと、じゃない。仙崎さんの料理は僕の支えなんだ。毎日僕のことを思って料理を作ってくれる。それがどんなに大変で嬉しいことか……」


 仙崎さんは僕を見ている。僕は想いを全て言葉にすることにした。仙崎さんの料理への想いを語った。



 

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