カナイ

「決まった?」


 彼は片手に上着の一枚を持って俺のもとにやってきた。


「今し方ね」


 羊革のジャンパーを再び指差して店長の俯き加減をさらに誘った。そして、支払いの為にレジ前までズカズカと足を進ませる。俺達は昨今、珍しい現金主義者で、電子決済の一切を取り入れていない。仮想通貨にもまるで頓着しておらず、その代わり貴金属などの価値のあるものを大量に購入し、資産を着実に増やしている。これが賢いやり方なのかどうかは、未来の自分に耳をそばだてなければ分からない。


「お世話様でしたー」


 買い物を早々に終わらせ、「タンゴ」という名の店を後腐れなく去ると、下見ついでに件のカジノ店にその足で向かう。


「随分としんみりとした所だなぁ」


 歩行者の肩身が狭い二車線道路は、軽自動車が交差する時でさえ、互いに気を遣って走らざるを得ないほど狭かった。そんな路肩の場所で、しずしずと経営されるカジノ店は、場末の雀荘を想起させた。掘建小屋のような一階の上に、「カナイ」とプリントされた紙を窓に貼り付け、営業時間などもそこに載せている。


「これで本当に営業してるんだもんなぁ」


 彼は肝心したように呟き、腰の上に両手を乗せて、脇を三角形に開く。防波堤から潮の流れを見ているかのような所作は、これから待ち受ける事態の経緯を憂いているように見えた。俺も同意見だ。このような辺鄙な場所でカジノを経営するメリットがどこにあるのだろうか。そんな疑問がこんこんと湧いて止まらず、閑古鳥が鳴いていそうな店内の様子を想像すると、なかなか蝶番を動かす気になれなかった。ただ、ここまで来て足踏みするだけで終わることは出来ない。


「行くぞ」


 猫の額ほど狭い階段は、上り下りの際に人とすれ違うのは不可能である。俺の先導に従って階段を上っていく彼の心情は不安で不安で仕方ないはずだ。何故なら、黒く汚れた天井が頭を掠める低さに圧迫感を感じつつ、目の前は俺の背中しか見えない。視界は不明瞭といって差し支えなく、視線はそぞろに足元に向くだろう。


 踊り場を折り返すと、銀色で出来たプラスチック製の扉の上半分が見えてくる。その上半分には、磨りガラスが嵌め込まれていて、「カナイ」という文字が縦に並ぶ。矮小な組事務所を想起させる扉の風采は、折り曲げた中指でノックを二回繰り返したくなる。しかし、そんなことは必要がない。扉を開けば、チリンチリンと鈴が鳴り、来客の知らせが店内に響き渡るのだから。


「チリンチリン」


 既に賭け事を楽しんでいる数人の客が、睥睨まがいの視線を俺達に飛ばす。「どうも」とは言葉に出さないが、軽く会釈をして客とも友好関係を築こうとする。

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