観察と目的
「さあ、どっちに入ってる?」
彼がもし、十円玉を握り込んだ右手の方を選んだのなら、失敗と見せかけた予行演習と銘打ってやり過ごす。空である左手を選んだのなら、仔細顔をしてほくそ笑む。
「……」
絵に描いたような真剣な面構えは、十円玉の行方に取り憑かれたテイの良い客として申し分ない。しかし、今目の前で行われているのは、手品と称して十円玉の瞬間移動を装う只の左右の手の組み替えであり、子どもが和気藹々と興じるような手遊びだ。
「こっち」
まじまじと吟味した結果、彼は十円玉の移動を選んだ。つまり、左手である。
「……」
手品の醍醐味とは、客が此方の思惑通りに思考し、素っ頓狂な疑問符を頭の上に浮かべた姿を見た時だろう。俺は今、きわめて不誠実な方法でその醍醐味を味わっており、左手をやおら開いていき、彼の注目を集める。まるで、何が飛び出すか分からない玩具箱を覗くかのような、おずおずとした視線の操り方を見て、空っぽな左手が熱を帯びた。
「くー」
彼は悔しそうに声を絞り出す。俺の裏を掻こうとした結果、良いように転がされたことへの悔恨だろうな。悪い笑みが口端を持ち上げ、彼を手玉に取ったことをあからさまに喜んでしまった。
「もう一回!」
リベンジに燃える彼に対して、学校のチャイムが情け容赦なく鳴らされた。
「なんだよ……」
大層に残念がる伏し目に、可能性が轍のようにいくつも伸び、彼と人間関係を結ぶ上で大事な活路になると、そぞろに把捉する。
「放課後、また」
名残惜しそうに俺は席を離れ、後方の自分の席に戻っていく。今まで感じたことがない溌剌とした感覚が全身をかけ巡り、俺は独り満足感を享受していた。その後、俺と彼は無事に再会を果たし、今日まで続く“友人”という肩書きを得ると、口から出まかせの手品を披露したことが手練手管を駆使したイカサマの看破に繋がっている。
彼はひとえに勉強家だ。初見のイカサマを一目で見極めるような目の良さはないが、観察を繰り返して人を騙す工程を確実に知見として消化する。そして、動作の一つ一つに込められている意図を咀嚼し、解体するのだ。
「左耳に髪を掛ける左手が合図だ」
眼鏡に仕込んだカメラの映像を再生しながら、イカサマの工程を俺に説明している。
「ほら、二人同時に降りたでしょう?」
カジノに於いて、単身で挑む阿呆はいない。必ず仲間がおり、悪巧みを拵えて現れる。今し方、視聴しているのは、賭け事と大別される中で有名な部類に入るテキサスホールデムだ。ルールは至って簡単で、プレイヤー毎に配られた二枚のカードと五枚の共有札の計七枚による、役作りゲームだ。至極単純なルールでありながら、その奥深さは多くの人間を魅了し、世界大会が開かれるほどに愛されている。
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