やぶれかぶれ

 暫くすると、彼はやおら再び前に向き直り、俺への警戒を解いた。今度は、足の運びを摺り足に変える。少しでも気配を察知されることを避けたい一心で、傾向と対策が着実に積み上がっていく。そして、彼に声を掛けても何ら問題ない距離まで辿り着いた。


「……」


 対人関係に於ける苦手意識は、俺からすれば馬鹿らしいとさえ思っている。舌先三寸でいくらでも人付き合いは成立し、必要以上に不安がり、躊躇い続けるのは全くもって時間の無駄だ。しかし、彼に話し掛けるとなれば、上記の考え方は翻させなければならない。彼に話し掛ける際の語気や、第一声。興味をもってもらう為の話題、軽薄な言葉遣いにより彼から落第点を与えられる恐怖は、興味本位で人と対する以前の俺では味わえないものだった。正味十秒ほどだろうか。彼の背後でしずしずと思案したのち、俺はこう話し掛けた。


「今日は雨が降るらしいよ」


 本日の降水確率は三十パーセントほどである。


「それは明日の話じゃないの?」


 訝しさに溢れた眼差しを俺に向ける彼の返答は正しかった。苦し紛れに問いかけた天気の情報は、大嫌いな体育の授業が雨によって流れることを喜んだ俺が、とりわけ注目したからであり、よもやこの口先から突いて出るとは思わなかった。


「嗚呼、見間違えたみたいだ」


 わざとらしく頭を掻いて、間違った情報を口走ったことを恥じる。勿論、彼はそのことについて懐疑的な姿勢を崩すことはなく、壁のような警戒心が築かれていく様を空目した。


「でも、あって困ることはないよな」


 俺は後ろポケットに手を伸ばし、唐突に天気の話題を引っ張り出した理由の一つである、折り畳み傘を手品のように、彼の目の前に出現させる。


「……どうやったの」


 存外、食い付きは悪くなかった。折り畳み傘を持つ右手の周辺を食い入るように舐め回し、タネがどこに潜んでいるかを探っているようだ。趣味趣向を照らし合わせる不毛な会話を跨がずに、俺は彼の興味を引いた。


「簡単なマジックだよ」


 俺はそう言って、偶然空席となっていた彼の前の席に陣取る。今度は、財布から十円玉を取り出すと、袖を捲ってコインマジックの様式を真似した。すると、彼の目が一段と輝き、次の動作をつぶさに観察している。はっきり言うが、手品のことなどまるで理解していない。

番組の編成期に偶さか企画が通ったマジックの特番を見聞きした程度の知識しかなく、実際に人前で披露するのは無茶があった。だがしかし、彼から注目を浴びている現状、多少の無茶は受け入れて然るべきだろう。


「よーく見てて」


 俺は右手に十円玉を握り込み、左右の手を同じ高さで横に並べた。もはや、手品のタネを現在進行形で作っているようなものだ。左右の手を幾度か交差させて、如何にも十円玉を右手から左手に移し替えているような仕草を繰り返す。手品とは、相手の意識をどう誘導するかが全てである。きっとそうだろう?

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