ᚐ
家に帰ると、弟は出掛けていて留守だった。
弟は私と違いとても真面目で、足繁く街に出向いては、自分にできそうな仕事で金を貰う。「何でも屋」と言うと随分と適当な響きだが、少なくとも機械なんぞをいじくり回しているだけの私よりは、よっぽど生産的な男だ。
少なくとも、世間はそう言っている。
食べ物を探してキッチンに入ると、この間買ったりんごが残っていた。少々萎びてしまったが、食べる分には十分だ。
手に取った瞬間、妻の細い手が脳裏をよぎる。
──妻の作るりんごのパイは美味しかった。
妻は私との記念日に、りんごのパイを作ってくてた。薄い生地にりんごを並べ、暖炉の火の上で焼いてくれた。
──もう、妻のパイを食べることもないのだ。
キッチンに入るのは苦しい。ここには妻との思い出が多すぎる。
生活の一部となった空間は、妻が死んだことを知らない。
私は包丁を取り出して、りんごを切ろうとした。
──そう言えば、前に一度、妻がりんごの皮剥きで手を切ってしまったことがあったな。
思い出の妻が、私の方を振り向いた。
大した怪我では、ありませんから。そう言いながら、血を舐める。
でも。
「もし、皮を剥く機械などが、あったら良いのですけれど」
……このようなこと、果たして妻は言っただろうか。今、ここで、私が彼女に言わせたのだろうか。
本当は、妻は皮剥き機を欲しがっていたのだろうか。それとも、あの異教徒が、私に仕向けたことだろうか。
だが。
「私に、それが作れると言うのか?」
妻は、ゆっくりと頷いた。
私は途端に作業室へと走り出した。
使い古した工具を持って、あり合わせの部品を組み立て始める。
──手で歯車を回して、りんごの皮を剥いてやるのだ。
かちゃり。
──真ん中を鋭く刺す部品を付けて、りんごの芯を取ってやるのだ。
かちゃり。
私は夢中になった。
妻が、私の背中を見ている気がした。
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