Ⅱ - Ⅰ

 路地裏で奇妙な取引をしてから、ほんの数日しか経っていないかもしれないし、あるいは数十日は過ぎてしまったかもしれない。


 ある日、カラスが家に来た。あまりにがぁがぁと喧しいので見てみると、それはマルジンが寄こしたものだった。

 カラスは私を見るや否や、口から紙を吐き出した。そこには読みにくい字で、「ロビン・フッドの森で待つ」と書かれていた。


 ああ、あのロビン・フッドで有名な森か。家から近くて助かるが、少々憂鬱な気分になる。


 あの森は弓の名手の伝説で有名だが、最近では王家が管理している良いことに、そこを根城にしているゴロつきが多い。下手に侵入すると処罰の対象となるため、逆に我こそはロビン・フッドだと思っている連中には、身を隠すのにぴったりなのだ。


 全く、何でこんな朝っぱらから、そんなところに呼ばれなくてはならんのだ。私はそう思ったが、機械のことも気になったため、渋々向かうことにした。



「このカラスは、女神・モリガンから授かったのです」


 マルジンはカラスを肩に乗せ、何らかの生肉で餌付けする。カラスがかぁと催促すると、ぽんと口に肉をほおる。

 かぁ、ぽん。かぁ、ぽん。しばらくそれが続いた。


「それはどうでも良いが、何だ、その、クリスチャンのような衣装は」


 彼は初めて会った時とは違って、真っ当な聖職者の格好をしていた。

 感心しないのは、異教徒のくせに国教会染みた服装をしていることだ。


「お分かりとは思いますが、このご時世に『私はクリスチャンではありません』と言って回るのは、ただの殺されたがりな阿呆だけです。一応、私どもにも考えがありますので」


 分かりきったことを聞くなと言われた気分だ。私は思わず閉口する。


「さて、そろそろ始めましょうか」


 マルジンは、仲間にちらと目配せをした。今まで木の裏にあって気づかなかったが、彼らは私の機械を持って来ていた。


「ほらほら、皆さん、見てください」


 ドルイド仲間が手を叩くと、身を隠していたはぐれ農民や、暇を持て余した無法者どもが、何だなんだと寄ってくる。


「こちらの機械、何と自動で働きます」


 本来、この靴下編み機は半自動で、人が数倍の速さで靴下を編めるようにしたものだ。しかし、この異教徒たちは、物を動かす「魔術」の力で、機械を無人で動かしている。


「凄いでしょう? これは『機械』ですから、人が何にもしなくても、勝手に動いてくれるのです」


 おぉとどよめくギャラリー。呑気な彼らを他所に、私は大いに慌てた。


「おい、こんな白昼堂々と実演して、また壊されでもしたら……」


 私は美味そうにタバコを吸っているマルジンに、ひそひそと耳打った。この異教徒たちは、何故こんなにも平然としているのか、その神経が分からない。


「大丈夫ですよ。場所を選んでやってますし、我々には『これ』がありますので」


 マルジンはタバコの煙を吐き出して、そばでひらひらと飛んでいた蝶を、文字通り「消して」みせた。


「さて。この機械が作っているもの、一体何だかお分かりですか?」


 人々は顔を身合わせ、布切れか、いや、あれは服だろう、と言い合っている。


「正解は、靴下です。出来あがった分は、ここにいる皆さんに差し上げましょう」


 ドルイドがそう言うと、観客は一斉にわらわらを群がった。貰えるものは貰っておけと、言わんばかりの勢いだ。


「すごい、すごい! まほうみたい!」


 ──魔法。


 それは大人に紛れた少年が発したほんの些細な言葉だったが、いやに私の耳をそばだてた。


「馬鹿、お前は何てったって、そんなに愚かなんだ!」


 すぐさま母親が駆け寄って、子どもの頭を殴りつけた。

 魔術、魔法。それは忌み嫌われた言葉として、我々の周りを付いて回る。


「奥さん、気にすることはありませんよ。これからは、『これ』が当たり前の時代になるのです」


 マルジンは全く意に介さずに、人当たりの良い笑顔を浮かべた。



「私たちの夢は、魔術だと誹られない世界を作ることです」


 機械の実演が終わると、森はすぐに静まり返った。後にはタバコの煙だけが残る。


「実現するにはどうするか? 以前と同じく、生活の一部にすることです」


 何故かは分からないが、マルジンは自らの胸の内を話して聞かせた。いつかの私の独白に合わせてくれたのかもしれないし、単純にからかっているだけかもしれない。


「人々にとっては、機械が魔術で動こうが、何で動こうが、そんなのどうだって良いのです。ただ、動いて自分たちの役に立てば、それだけで十分なのです」


 そうか? そういうものなのか?

 私はしばし考える。

 しかし私は、何故風が木々を揺らすのか、花が太陽の方を向くのか、考えたことがあっただろうか?


「しかし、りんごの皮というのは剥きにくいですよね」


 突然、何を言い出すのかと思えば、マルジンはお得意の「魔術」とやらで、懐からりんごを出した。


「私、りんごが好きなのです。私が以前お支えしていた人も、そのまた昔の友人も、皆りんごが好きでした」


 艶々とした、赤いりんご。彼は滑らかな表面に歯を立てる。


「ですがりんごって、皮を剥くのが面倒ですよね。別に丸齧りでもいいんですけれど、虫食いなんかがあると、皆で皮剥き役を押し付けあっていたものです」


 しゃり。新鮮な音が空に消えた。


「貴方は、どう思います?」


 彼の碧い瞳が光る。


 ──……を、……て。


 何故だ。

 また、妻の声が聞こえた。

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