Ⅰ - Ⅳ
いつの間にか、私は泣いていた。涙が止まらなかった。
「思い切り、泣いて良いのです」
目の前の異教徒は、意外にも優しかった。彼は話を真面目に聞いてくれたし、私の背中もさすってくれた。
彼は左手をひらひらさせ、シルクのハンカチを出してみせた。これで涙を拭けと言う。
言わずもがな、シルクが高級品ということもある。しかしそれ以前に、彼がいとも簡単に手品のような所業をしてみせるのに、驚きを隠せなかった。
「……それも、魔術か?」
「貴方がそうおっしゃるなら、これは魔術なのでしょう。けれど私は、その『魔術』とかいう呼び名が嫌いです」
特段悪気はなかったのだが、彼は途端に不機嫌になった。彼には彼なりの信条があって、未だにドルイドをやってるらしかった。
「魔術とは、貴方たちが『自分たちは何と現代的なのだ』と威張り散らしたいためだけに、勝手につけた名前でしょう? そういうの、忌々しいと思うのです」
にゃあ、と猫が鳴いた。尻尾でタバコを巻いている。
マルジンはそれを受け取って、指を弾いて火をつけた。
「そもそも、魔術が現代的ではないというのは、貴方たちの勝手な妄想です。魔術が当たり前の時代では、先進的な物は生まれないとでも?」
ならば、アイオロスの球はどうなのです? ヒュドラリウスは? 古代ギリシャの偉大なる発明家たちは、我々よりも優れていなかったと?
マルジンは一気にそう言って、はぁとタバコの煙を吐いた。
「それを『脱魔術化』だとか何だとか、叫びだしたのは貴方たちです。我々が望んだことではありません」
ですから占いもやります。儀式もします。クリスチャンが軽蔑することだって、何でもやりますよ。
彼はそっと肩をすくめた。私はこれ以上怒らせてもいけないと思ったので、特に反論などはしなかった。
視線を移すと、カウンターの裏側で、店員が白いカップを拭いていた。
カップを持ち上げて、布で拭いて。拭き終わったら、棚に戻して。
同じ作業を、延々と繰り返している。
私は思った。彼は私の妻と同じだ。
靴下を編んでいた頃の彼女と、全く同じ目をしている。
糸を通して、編んで。編み終わったら、また別の糸を通して。
そのような単純作業の繰り返し。この時代の人々の仕事だ。
「私は、ああいうのを辞めさせたいのだ」
私はカップを拭き続ける男を指差した。
「ほんの少しの手間賃で、延々と同じことをさせる。それを『生き甲斐』だと言わせるのを、私は辞めさせたい」
「分かります。貴方の言いたいこと」
その言葉が本当かどうか、私には分からない。
だが、それでも良かった。共感してくれる人がいるだけで、それで良かった。
「ですから、これで」
彼は指をパチンと弾いた。
ばら撒かれたポンドコイン。
丁寧に数えるまでもなく、十分な金額であった。
それこそ、この金だけで、当分暮らせてしまうほど。
「貴方の機械、買い取らせていただいても?」
「こ、こんなに……」
コインを適当に一枚取って、まじまじと模様を確認する。別に疑う訳ではなかったが、万が一素人でも分かる程度の偽物なら、見つけるに越したことはなかった。
「偽物なんかじゃありませんよ。正真正銘、本物です」
マルジンは笑っていた。しかし、碧い瞳は笑っていなかった。
「ただし。くれぐれも、私どものことは内密に。なんせクリスチャンの時代ですから、摘発でもされたら困りますので」
──……を、……て。
聞こえる、妻の声が。
これはチャンスだと。私たちが失ったものを、取り返すチャンスだと。
「どうですか?」
私は縦に首を振った。
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