Ⅰ - Ⅱ

 全く気がつかなかったが、私が座っていたのはドアの真ん前だったらしい。

 あまりにずぶ濡れだったので、青年は私をドアの向こうへ通してくれた。

 お世辞にも、良い場所とは言えなかったが。


 と言うのも、ここはどうやら雑談を嗜む店のようだが、見渡す限り黒ずくめの人間しかいない。まるで死者弔いだと言わんばかりに。

 たった一つ、カウンターの奥の店員だけが、白いシャツに赤いネクタイだった。


「私はマルジン・エムリス。マルジンで結構です。で、貴方はウィリアム・リー卿」

「……リーで良い」


 マルジン・エムリス。ウェールズの方の響きだ。

 どうりで先ほどから、訛りがきつい発音なのだ。


「では、Mr.Lee。別に実家の犬が死んだ程度のお話なら構いませんが、貴方があそこを陣取っていた理由を聞いても?」


 マルジンの後ろでは、黒ずくめの複数人が、猫に餌をあげている。ただでさえ狭い室内なのに、みゃあみゃあとやかましい鳴き声だ。


「……だんまりとは、感心しませんね。では、貴方の『持ち物』に聞くとしましょう」


 マルジンは私の右手に向かって、ふぅっと息を吐きかけた。握り締めすぎてぐしゃぐしゃになった、機械の設計図に。


 ──その時だ。目を見張るようなことが起きたのは。


「あっ、おい!!」


 紙が、勝手に飛んだのだ。私の手から離れて、彼の元へと。

 慌てて掴もうと手を伸ばしたが、私をからかうように、腕の間をすり抜けてしまった。


「ふぅむ、これは随分と上質な紙ですね……」


 魔術か? 今のは、魔術か?

 今、目の前で起きたことが、信じられない。


 ──今の時代、魔術が本当にあるとでも? 例えあったとして、それを堂々と使う奴がいるとでも?

 女王陛下が国教会を推し進め、異教徒はもちろん、今まで猛威を奮っていたカトリック教徒ですら、勢力を落としている時代だぞ? 魔術の真似事をするだけでも、捕まる時世だと言うのに。 

 まさか……。いや、確かにこいつは、「ありえないこと」をしてみせた……。

 

「何者なのだ、お前たちは……!!」

「知りたいですか? でしたら、『ドルイド』と、そう名乗っておきます」


 マルジンは怖気もせず言ってのけた。それどころか、薄ら笑いを浮かべている。

 背後から、異教徒たちの視線を感じる。外ではどうだか知らないが、ここではお前が少数派で、我々が多数派なのだ。そう言いたげである。


 ──ドルイド? Druidだと?

 一体、いつの話をしているのだ。ドルイドなど、遠い昔のおとぎ話だ。

 いや、例えしぶとく生き残っているドルイドがいたとしても、こんな異教徒、即刻火炙りの刑に処されているはずだ。


 ……だが、おとぎ話と一括りにしてしまったら、私は今この状況を、どう説明したら良い?


「で、これは?」


 その言葉で、私はようやく我に返った。


 ──ええい、どうでも良い。私がどうこうする話ではない。

 別に私は熱心なクリスチャンでもないし、国教会に陶酔しているわけでもない。だから、どうとでもなるはずだ。


「……『靴下』を作る機械。その設計図だ」

「靴下の機械、ですか。面白いですね。よろしければ、経緯をお伺いしても?」


 彼の目は碧かった。ガラスのような碧眼だった。吸い込まれてしまいそうだった。

 だから私は、自分語りを始めてしまった。……おそらくこれも、魔術の類だ。

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