中に人などおりません
四方須 衛
*
何とも世知辛いことに、星の数ほどのオンラインゲームが興っては消えるこのご時世、同好の士を見つけるのは至難の業と化している。複数人同時参加型ともなれば難易度はいや増して、やっとの思いで見つけた気心の知れたパーティー──つまり自分以外のユーザーとは、末永く付き合いたいのがファン心理というものだ。
その結束が今まさに風前の灯火。パーティーの一人、『ヒャム』の声掛けで集まったグループ通話には、息苦しい暗雲が立ち込めていた。モニターの中に四角く切り取られた各々の表情も、何かの宣告が言い渡されるのを待ち受けるように固い。
「……あ、戻ってきた」
そこへ響く、ぽこん、と入室を知らせる軽快な効果音。その後に、通話の参加者が増える。更に少しの操作を挟んでから、最後の入室者『ピン@ソロ146相』はその姿を現した。
「どうだった?」
実のところ聞くまでもないということは、問いを口にした『シャハヴ』当人も分かっているはずだ。何せモニターに現れたピンの表情には、普段なら前衛役としてパーティーを鼓舞して回っている時の快活さが影も形もない。
とうてい吉報を望むべくもなく、一同は溜息を吐いた。
「えー……では、本日の反省会」
やむなく、といった風情で口を開いたのは『ガルガロ隊』だった。この面々の中では年嵩なこともあって、こうした場面での立て直しは一番早い。それでも気乗りしない様子は隠さずに、ガルガロは額の目頭を揉みながら続けた。
「議題はずばり──この中にいる? 地球人類とオフ会したことあるもの」
返事はない。
五つの目を全て伏せるもの。
首から生える長い触腕を所在なさげに撫でるもの。
尖った耳殻を避けるようにして前髪を払うもの。
誰もが画面に正対することを拒むように視線を逸らし、沈黙をもって各々の不明を表明していた。
*
時は遡って数時間前。きっかけは、この通話には不在のパーティーメンバーたちの提案だった。
「そういや俺らって組んでそこそこ長いけど、オフ会はまだっすよね」
パーティーの中でのお決まりとなっている大型の討伐クエストを終え、小休止に入るという時。発起人の『カニ将軍』は日頃から辛抱強く形勢を俯瞰することが得意で、ゲーム以外の趣味なら釣りも得意だと言う自己申告通り、主張しすぎず、さりとて没せず、の存在感で数多の勝ち星に貢献してきた。
そんな彼の唐突とも言える提起に、難敵撃破に弛緩しかけていた空気が張り詰める。各々のアバターが無表情を貫くなか、そういえば、と呑気な相槌を打ったのは斥候から戻ってきた『ハルマ』だけだ。
「言われてみれば確かに。あれ、オン飲みも?」
「それはハルマさんいない時だな。半年前くらいに一回やったの」
カニ将軍が指しているのは、その日にちょうど集まっていた面々だけで開催したオンラインの打ち上げと思しい。その集まりならばヒャムの記憶にもある。ただ通話を繋げながら、思い思いに自分の食事を摂るだけのことだったのに、以来はそれまで少し近寄りがたかったカニ将軍とも打ち解けた気がしている。
ただ、会話の成り行きに耳を澄ませながらも、ヒャムは冷や汗がその臙脂色の肌を伝うのを感じていた。いや、恐らくは他のパーティーメンバーも画面の向こう側で似たような居心地を覚えていることだろう。
この世に星の数ほどゲームが生まれて消えるのならば、中にはごく稀に、綺羅星のような傑作も現れる。それが
しかも、また一から周波数や筐体の調達に追われることを恐れる玄人たちは畢竟、宙域や星の垣根を越えて特定のゲームに集まるようになる。結果として、傍目には異次元のアクティブユーザー数を誇る怪物コンテンツが成立する訳だ。実際、『カニ将軍』と『ハルマ』以外の面々──『ガルガロ隊』、『ピン@ソロ146相』、『シャハヴ』、そして『ヒャム』の四名はいずれも似たような経緯でこのゲームに辿り着いたが、同じ星の出身はピンとシャハヴだけだ。
しかし、その裏で地球は未だ星外生命体に対して公式な外交を開いていない。何度か発信された友好条約は果たして解読されたのか、そもそも受け取られているのか。なしの礫の今、地球人類にしてみれば、日常の一部として興じている娯楽に宇宙人が紛れ込んでいるとは露ほども想像していないだろう。その辺りの隠蔽技術がこの界隈でいやに発達していることは間違いないので、地球人類ばかりの責任ではないのだが。
ヒャムたち宙域生命を取り締まる公安にとっては文化の密輸入、宇宙法の抜け道を綱渡りする行為に他ならない。地球産のオンラインゲームとはまさに、知る人ぞ知る禁断の果実と言えた。その味を知るものは宇宙の総人口に照らせば未だに一握り。別のゲームへ乗り替えたところで再会できるとも保証がないヒャムたちにとって、彼らが宇宙人であると地球人類に勘付かれることは即ち破滅を意味している。
どこからか彼らの素性が漏れれば摘発は免れない。そうなれば半ば自動的にパーティーも解散だ。
そんな事態を避けるためには、例え相手が同じパーティーを組むカニ将軍とハルマであれ、彼らの正体は絶対に隠し通さなければならない死活問題、その筈だった。
その秘中の秘が今、白日すれすれのところまで引きずり出されかけている。カニ将軍とハルマの会話は地球人類同士、何の違和感もなく弾んでいるようだが、それ以外の面々はチャットすら静まり返るという不自然極まりない様相を呈していた。
「ハルマさん何でオン飲みの時いなかったの?」
「テスト前だったの! 終わるまでネット禁止って言われちゃって」
「あらら残念」
この地球人類二名は歳が近いのか、二人の間では兄妹か親戚のような気安い会話が多い。そのこと自体は微笑ましいものの、いつ水が向けられるかとヒャム以下、一同は気が気でなかった。
否、ヒャムの判断は早かった。
『各位、このあと集合』
──不義理だ、と思っていたのに役立つ日が来るとは。
地球人類二名を除いて作っておいたチャットルームを動かすと、他の参加者たちの書き込みが一瞬で通知欄を埋めた。
『これは詰み』
『間違いない。あー、セーブポイントまで戻りたい』
『ハブなら時間逆流で出来るでしょ』
『やだよ/それいじってるよな/俺らが細かい作業向きじゃないって知ってて』
通話では沈黙を守っているとは思えない、入力の打鍵音が聞こえてもおかしくない速度で会話が流れていく。それでも、軽口の切れ味はいつもより悪い。
そして危惧していた事態──話題の矛先は、シャハヴに牙を剥いた。
「まあ、言ってもハルマさん以外にも不参加いたから。ハブさんもだったよね」
「うぇっ!? あー、はは、まあ……次の日が早かったんじゃねえかな」
ちょうどチャットに気を取られていたのか、シャハヴの返事は裏返っている。明らかに不審極まりないが、ハルマは特に追究することはせず、代わりに声音に疑問符を浮かべた。
「ハブさんって何のお仕事されてるんでしたっけ? いっつも忙しそう」
「なんっ……その……えーと」
ここまで素性を掘り下げられることはめったに無く、シャハヴはますます挙動不審になっていく。ハルマの無邪気さもますますその動揺を際立たせていた。
『頑張れ』
『海外赴任とか言って/オン飲み厳しさを出していこう』
固唾を飲むアバター達が、チャットでは高速で策を授けていく。
「──っ、そう! ちょっと海外で、仕入れ? 的な?」
「へえ、そうだったんだ」
「それにしてはハブさんかなりの頻度でこっちインしてくれるよね。時差とかどうなってんの」
「時差ぁ⁉」
ハルマがあっさりと引いたと思えば、続いてカニ将軍から飛んできた言葉に、ハブが素っ頓狂な反応をするのも無理はない。地球は外縁といえど立派な未開宇宙の一角だ。そこにある生態系や物理法則はそのほとんどが未だ観測すらされてない。
オンラインゲームを通じて文化の一端に触れることは出来ても、そこで語られない常識や予備知識となると、下手に誤魔化したほうがボロが出る。こればかりはヒャム達に限らず、地球文化をかじる宙域生命に共通の悩みだった。
『ハブ! 飲まれるな!』
『あるんだよ地球には。そんな遠くない国ってことにしときな』
しどろもどろになっていたシャハヴは、チャットからの入れ知恵で何とか気を取り直したらしい。声音は相変わらず泳いでいるが、咳払いを挟んでからの口調はいつもの気勢を取り戻したかに見えた。
「か、海外って言ったって近場だから。ちゃんと働いてっし」
「あーそうなの。何か勝手に地球の裏側想像してた」
「裏側ぁ……?」
もはや許容現界を迎える一歩手前のシャハヴに、見守るヒャムたちははらはらと会話の行く末を見守る。
幸いにも、カニ将軍からのそれ以上の掘り下げは特になかった。しかし、ヒャムが何とか胸を撫で下ろしたのは束の間。
「まあそういうことなら前向きに検討してもらって。オフ会、全員集合でやりたいんで」
カニ将軍の爆弾発言とハルマの歓声。ヒャムたちはゲームの中でさえ直面したことのない八方塞がりという現実に、今度こそ言葉を失った。
*
「そりゃオン飲みは楽しかったよ。こっちの顔は出さなくたっていいし、メシ食ってる音だってマイク切ったら済む話なんだから」
シャハヴの言葉に、ヒャムも他二名もうんうんと頷く。ゲーム解散後に再集合、というヒャムの呼び掛けに全員が応じるあたり、誰も諸手を上げて歓迎とはいかない空気が浮き彫りだった。
「でもオフ会は無理だよ。まず見た目でさあ」
「ガルガロはまだいいだろ。耳とんがってるくらいで、あとは目ぇ二つだけ開けるようにしとけばいいんだから」
「充分に地球人類からしたら気持ち悪いよ。しかも生き物から絞り出した血を飲むんだよ、我々」
「ギリギリきついか……? ヒャムは……皮膚の色かな」
「うん。あとはもう食の違い。うちは岩石をおかずに岩石食べるから。主食どころか、それ以外はもともと食べつけないし。絶対に浮く自信がある」
そんな宙域生命が勝手知ったる顔で上陸しようものなら、地球人類を大いに驚かせてしまうことは想像に難くない。ヒャムたちの好意的な振る舞いが地球人類にどう映るかは、ハルマたちの反応を得て初めて知ることも多い。触腕や見た目は誤魔化せても、それほど致命的に価値観がかけ離れている。
相手の立場に立とうと思ってもおよそ埋められない、生物としての違いがそこには横たわっていた。ヒャム以外の面々も、それぞれの食習慣やそもそもの容姿が、どれだけ地球人類の慮外にあるものか充分すぎるほどに自覚していた。
皮肉なことに、全てはカニ将軍たちとの交流が、彼らに教えてくれたことだ。
「ただ仲良く飯を囲むだけのことがこうも難しいか」
やれやれ、と息を吐いたのはピンだった。ゲームの外でも個人的にハルマとやり取りをしているピンなら、その言わんとする気持ちは恐らく自分と同じだろう、と半ば予期しながら、ヒャムはその言葉の続きに耳を傾けた。
「さっきハルマちゃんに突撃してきたけどさ、楽しみです、って。全くの他人が相手でも、疑いとか恐怖ってものが何もないみたい」
「……まあ我々も、あの子らを嫌ってしり込みしてる訳ではないしな。むしろ逆というか」
「……うん」
ガルガロも続いて同意するのを聞きながら、ヒャムは唇を結んだ。
ヒャムも含めて、宙域生命が地球探索を熱望する背景は少し込み入っている。
ピンとシャハヴは、地球を豊かに潤す海水に故郷の旱ばつを救う糸口があると睨んでいる。
ガルガロとヒャムは地球人類の血液が持つ薬効に目をつけた研究者だ。
これが使命や我欲のためならば、この中の誰もが地球へ赴くことを即断しただろう。ヒャムとて侵略まがいの行為に葛藤はあるが、地球という資源の宝庫にはそれだけの引力がある。
それほどまでに皆が、それぞれの立場と希望を背負って地球に行く日を夢見ているというのに。
「さて、どうやって断ったものかな」
彼らを誘ったのが、たった二人、こちらの本当の顔すら知らないような地球人類というだけで。その気持ちを傷付けたくない。そんな痩せ我慢も同然の意地だけで、この絶好の機会を捨てる決心を固めようとしていた。
「一斉に断ると角が立つよな。あわよくば、結局来られたのは地球人類たちだけだった、みたいな図にしたい」
「いけるか? 相当上手くやらないとかえって不自然だぞ」
「やっぱ無理あるか」
ガルガロとシャハヴは担々と可能性を挙げては懸念事項を潰していく。全ては親愛なる地球人類たちを傷付けないためで、彼らのことを思えばこそ、取るべき道は決まっている。そこに迷いはない。
だと言うのに、ヒャムは。本当は。
「──ヒャムは? 良かったの」
「え?」
「何か考え込んでるから」
不意をつくようにピンに声をかけられ、ヒャムは思わず目を瞬かせた。シャハヴと付き合いが長いだけあって、ピンの周囲を観察する力は抜きん出ている。
そんなピンに正面から問い質されると、ヒャムは自分が飲み込もうとした何かを、言葉を尽くして説明しなければならないような心地になった。
だって考えてみると、カニ将軍もハルマも、決してヒャムたちを困らせる意図などなかったはずなのだ。むしろより親密になりたいと願って、そのための手段として会食を提案した──筈だ。
「……それに私も、ちょっと思ってたんだけど」
そうして切り出したのはピンで、三名の注目が集まる。
「将軍って、本当に私たちとオフ会がしたいのかな?」
「何だ? 急に」
シャハヴは複眼を器用に半数だけ眇める。ガルガロも、意図が分からない、と言いたげな顔で続きを促した。
「いやあ、いかにあの場を乗り切るかでろくに話が頭に入ってなかったけど……あの時の将軍、やっぱり様子が変だったなと思って。何か会話をちょっと強引に誘導してなかったかな」
「誘導? 何に」
「オフ会をやるって話に」
「いや、そこは将軍じゃないだろう。どちらかと言うと食いついていたのはハルマちゃんで」
「それが将軍の誘導だったんじゃないかって? ハルマちゃんを乗り気にさせて一体何を──いや、まさか」
は、と思い至ったとばかりにガルガロが瞠目する。
「……目的は我々との交流ではなく」
「そう」
ピンが頷くと、他の三名の瞳に輝きが灯った。
「前回のオン飲みでは接触しそこなったハルマちゃんとの逢瀬、とかさ」
代弁したシャハヴに、普段は冷静なピンが忙しなく触腕を動かした。
「だとしたら堪らない! いや、私たちがこの機会を潰すなんてとんでもない! わああ、地球人類の求愛行動を直に目撃してるのかもしれないぞ!」
「ちょっと落ち着け、ピン。そうだとして、私たちに出来ることはない」
「無駄だガルガロ、もう確かめた方が早いぜ。こうなったらピンは止まらない。つまりは食事なんて口実に過ぎないんだって分かればやりようもあるって意味だろ」
「ならチャットしろ、今すぐ送れ!」
わあわあと色めき立つ中、シャハヴが矢も楯もたまらずといった様子でチャットを入力する。それを見守るヒャムたちは、やがてシャハヴが「送った!」と眼前に掲げた端末を見て言葉を失った。
『将軍/ハルマちゃんと/
「シャハヴ、これ翻訳なに通した?」
「よく分からん。安くなってたから買った適当なやつ」
「次の太陽巡航で焼却しな。たぶんだけどクソの方がマシに思える精度だよ。これだから宙域規格は当てにならない」
「いや待て、いま将軍が返事打ってる!」
ということは通じたんだ、と目を輝かせたシャハヴの前で、入力中だったチャット欄に新しい通知が増えた。
『俺にも選ぶ権利があります』
「あれ? 違ったっぽい! 恥ずかしい!」
「いや聞き方が悪かったよ、これは」
「ええ? じゃあもう一回聞き直す?」
肩透かしが過ぎて引けなくなったのか、ガルガロがさらに追加のチャットを送ろうとする。
「……いや、もうやめよう」
「ヒャム?」
だからと言う訳でもないだろうが。事ここに至って、ヒャムは口を開く決心がついた。
「やめよう、誤魔化すの。話すと言うなら、こっちが全部話そう。だって怖がらせたくないのも、嫌われたくないのも、こっちの都合なんだから。人間が本当はどんな感じ方をするかなんて、想像できる力もないのに」
「それは……でも、さすがにこちらの勝手すぎないか。将軍たちの立場になってみて──」
「だからそれを確かめようよ。例え宇宙の全てには隠し通さないといけないんだとしても、せっかく──同じものを好きになれる同士だってことは、確かに分かってるのに」
ヒャムの独白にも近い言葉に、ガルガロたちはそっと視線を伏せた。この通話が始まった時のような逃避が目的ではなく。そんなことが自分たちに許されたらどんなにいいか、という諦念に近い感傷が場を漂っていた。友を大切にしたいという気持ちが先走って、見ぬふりをしようとしたものを突きつけられたような心地がするのだろう。
「地球人類同士なら食事で。では、そうじゃない生き物が相手ならどうやって親睦を深めるのか。我々が文化の先駆者になるのも良いかもしれないよ」
少なくとも画面越しなら、自分たちは実に良き隣人であり続けてきた。ではその壁を取り払ったらどうなるのか。
「……確かに、せっかくなら好きなモン食って、楽しく過ごすのが良いよな」
ぽつりとシャハヴが零した言葉に、他の面々も首肯する。
親しくなりたい、と差し出された手を取る勇気を持とうと。それなら手始めに自己紹介からだ、と。四名の宙域生命たちは知恵を持ち寄って、親愛なる地球人類への挨拶を推敲し始めた。
*
「あー心臓に悪い。やっぱり全員人間じゃないなこれは」
男は凝り固まった筋肉を解しながら、動きを止めたチャット欄に背を向けた。その視線の先には大判の白地図が壁に貼り出されていて、やおら立ち上がった男はそこに指を走らせる。
「海外とか言い出した辺りなら決定打か。それに〈ハルマ〉を知らないってことは──六星系の近く? でも全員があの宙域なんてことあるのか」
ぶつぶつと思考を口にしながら、男は表の余白を埋めていく。
それは余人には法則性の判然としない配列で書かれた星図だった。惑星の名前や地球からの距離が所狭しと書き込まれている様には、狂気的な執着さえ滲んでいる。
「ハブさんは紫雲団って絞り込めてるから……ざっとこんなとこか」
もはや余白を塗り潰さんばかりの熱量で何事か書き付け終えると、男は星図の全貌を見渡すように距離を取った。
──シャハヴ …紫雲団 ・水生 ・鱗取り ・生食
──ヒャム …六星系 ・硬質 ・乾燥地帯 ・煮つけとか
──ガルガロ隊 … ・不明(宇宙線つよい)
──ピン …閃雲団? ・紫かも ・水生 ・鱗ない
「釣れるまではもうちょっとかな」
平坦な声音に反して、その口元は薄い笑みを刷いていた。
生きがいは何かと聞かれたら、男は迷わず「釣りだ」と答える。獲物が餌にかかるまでの下拵えや待ち時間も苦にはならないし、釣果を調理する工程にも充足を覚える。
その足が水辺から遠ざかったのは、およそ十年ほど前まで広がっていた地球上を舐めていた戦火の影響が大きい。世界地図はおろか、生態系まで大きく狂わせた一連の破壊活動は、娯楽どころか狩猟採集の手段としてさえそれらの出番を奪った。
どこで火薬や化学兵器を飲み込んだか分からない魚や獣は食事に供されなくなり、今や人類に残されている居場所は住居から一歩も出ずに事足りる人工の営みばかり。生き残った人類の大半は今も汚染された空気に対抗する肉体を持たないため、石壁に囲まれたシェルターでの生活を強いられ続けている始末だ。食糧事情などは言うに及ばず。無味乾燥な糧食がすっかり残存人類の胃袋を支配するようになって久しい。
そして社会はまるでその鬱憤を晴らすかのように、数多の仮想世界を興しては立ち消える刹那的な破壊と創造を繰り返している。星の数ほどの仮想世界が作られては、まるで初めから何もなかったかのように立ち消えていく。
その目まぐるしさを前に男はいつからか、自分はもうとっくに人間ではなくなっているのではないか、と考えるようになった。ただ息をしているだけ。逃げるように仮想空間にのめり込んでは、思い出したように舞い戻る現実の空虚さに打ちのめされるだけ。
ただ、そんな世界にあって男が幸運だったのは、彼の中に燻る生きがいの残り火は、たとえ場所を移してもついぞ絶える時がなかったことだ。
男が星図を眺めていると、背後でチャットの新着を告げる通知が二度、鳴った。
一つは自身が参加するグループチャットが動いた時の専用メロディ。
もう一つの端的なメロディは十中八九、企業からの一斉通知だと踏んで先に開封すれば、案の定だ。
『こちらは疑似人格生成AI〈ハルマ〉カスタマーサポートオフィスです』
『定期アップデートの実行を推奨します』
「ああ、そんな時期か」
生身の人間ではないもの。人間の手を離れて思考するもの。大戦が激化する前から、そういうものが仮想空間上に出現すること自体は珍しくもなかった。一時は情報社会における情報の真贋を牛耳り、大国同士の戦況を左右して猛威を振るいもしたものだ。
終戦後の仮想空間全盛ならば言わずもがな。だからこそ、本当に些細な違和感が長く引っ掛かり続けた。画面の向こうにいるのが誰かなど、もはや大した関心事ではなくなっていたと言うのに、発言の節々に垣間見える矛盾が気になって仕方ない。
それがやがて、どうやら画面の向こうの相手は本当に地球規模の大戦が起きたことを知らないようだ、という推測へ形を変えると、彼の世界は急速に色と現実味を取り戻した。皮肉なことに、現実にあり得ないと思っていた、人間ならざる者の実在を確信したことで。
失われていた「釣り」の感覚が帰ってきた瞬間だ。
未知の生物がいる。気が付けば男は、ならば吊り出して、解体して、腹に収めようとごく自然な成り行きとして決めていた。そうしようと思って動いている時だけが、男に自分が人間であることを思い出させた。
あるいはやはり、とっくの昔に人間ではなくなっているのかもしれない。自分を証す方法に、こんな手段しか選べなくなっている時点で。
それでもあの完璧な瞬間を求めて、男は画面の向こう側にいるもの達を獲物に狙い定めた。目的はただ一つ、狙った獲物を釣果として腹に収めることだ。
「あとは主食が分かれば手堅いな。この辺りは〈ハルマ〉を使いつつ──」
男にとって『ハルマ』との会話は一人芝居よりも楽なもので、二人の人物が存在するかのように適当な意思疎通を成立させてら見せることは苦にならなかった。自分一人では説得力に欠けそうな場面で〈ハルマ〉を呼び出せば、獲物たちの警戒心が下がる。あまりにも自然すぎて、『カニ将軍』が『ハルマ』に思慕を寄せていると思われたのはさすがに怖気が走ったが。
しかし画面の向こうにいる獲物たちを吊り出すにはうってつけの手段と実証されたとも言える。
ハルマという疑似餌を介して、男は虎視眈々と獲物の情報を探る段階に入る。そう思うと、川や海へ繰り出していた時と同じ、興奮と冷徹さが同居したような感覚が研ぎ澄まされていくのを男は感じた。
その鋭い感覚に浸る世界の中で、グループチャットを追っていた男の動きが止まる。
『ぜひオフ会しましょう』
『俺も上司と相談します』
『おすすめの店ありますか』
『やったー!/わたしお洒落していきます!』
間髪を入れずに〈ハルマ〉が、はしゃぐ少女のようなメッセージを生成する。その無邪気な反応に勢いを得たのか、チャット欄はおずおずとだが活気を見せた。
男の目から見れば、つい数時間前の反応から掌を返したようなそれに、獲物たちが何かを示し合わせてきていることは明白だった。もしも団結して武力に持ち込まれれば、さすがに分が悪い。
一方で、直に対面すれば釣りの成功率は格段に上がる、と培ってきた勘が囁く。まさに釣り糸を垂らしながらの駆け引きだ、と宇宙人と人工知能たちのチャットを見下ろす男はやはり薄く笑っていた。そこに混ざる自分も、もはや人間かどうかなど甚だ怪しいもの。
それでも、そんな腹のうちはおくびにも出さず、男はただ一言、本心を綴った。
『皆さんにお会いするのが楽しみです』
中に人などおりません 四方須 衛 @chirani1142
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