44 憧れの教員

 もうすぐ夏休みが終わる。ふと、今年の夏は一体何をしただろうかと振り返ってみると、教務主任になる前よりもプライベートなことが明らかに減っていた。以前はそれこそ気晴らし程度に近所の低い山に登ったり(ガチガチの登山はできないが幼いころから頻繁に登らされていたせいかその山だけは大丈夫なのだ)、古本屋巡りをしたり、地方の寺社仏閣を訪れたり、大学の友人たちと飲んだり、元教え子たちの同窓会に出席したりと、懐かしの人や場所とのつながりが多く保たれていたが、今年度は様々な会議や学会、教育大会、学校説明会、研修会など、仕事、仕事の毎日だった。教務主任でなくとも、夏にはお盆があるので住職としてのおつとめはたくさんあるわけだが、今年はやはり主任としての業務が大きな割合を占めていたのは言うまでもない。「夏休み」とは名ばかりで、私は肉体的にも精神的にもに休むことができなかった。そんなときでも、普段はなんとか心の平穏を維持しようと努力しているのだが、休暇に入ってからなぜか発作が増え、それからはそれが人前で起こらないかどうか、いちいち周りの目に怯えるようになってしまった。これまでそんなことが一切なかったかというとそうでもないのだが、このごろ急に意識するようになった。なぜかは分からない。発作の頻度が変化したのが影響しているのかもしれないが、本当のことはわからない。ただ、びくびくしながら仕事をしていると、気づく人は気づくようで、真鍋はよく「どうした。何かあるんだったら言えよ」と声をかけてくれる。ありがたいのは山々だが、真鍋、ほんとうのことはお前にも言えないのだ。


 今日は夏休み最後の一日。午前中は面談が入っていたはずだ。もうそろそろ来るころだと思うのだが——


「失礼します。三年二組の飯塚です。松田先生、いらっしゃいますか」


「はい。ちょっと待っててくださいね」


私は以前の面談に使った資料をまとめたファイルを取り出し、飯塚さんのもとへ向かった。


「じゃあ行きましょうか。応接室が空いてるはずなので、そこでお話しましょう」


「はい」


 飯塚さんが悩んでいたのは、出願するべき大学についてだった。彼女は教員志望で、具体的には中高の国語科を目指しているとのことだった。教員免許を取れる大学は実家から通える範囲に多くあるのだが、教育学部にするべきか、文学部で教職課程も履修できるところにするべきか、この休み中にオープンキャンパスに参加したものの、未だに決められないので私の意見を聞きたい、というのだ。


「僕の勝手な偏見というか、そういうのも入ってきてしまうんですけれども、一つの考え方として、教育学部は『教育学を専門とする学部』、文学部はどちらかというとそうではないという、見方もできると思います。さらに言うと、教育学部という大きなくくりの中でも教員養成系の学部と教育学を主に学ぶ学部とに分かれていて、教員養成系の学部の方が『教員になる』ということに対する先生方や先輩たちの知識の量であったり質であったり、また姿勢であったり、そういうのは充実している感じがあります。もうカリキュラムの中に組み込まれてますからね」


 私は教え子の経験を例に挙げながら、なるべく彼女自身の考えを引き出すようにしていたのだが、彼女はまだぼんやりしているのか、曖昧な笑みを浮かべていた。


「なんとなく……イメージは湧くんです。大学生活とか、実習のこととか。でも、なんだろう、一番身近にいる先生からは、ご自身のことについて、あまり聞いたことがないなって思って。特にお仕事について。今の『現場』を知っているのは先生方じゃないですか。だけど、あんまりご自分から進んで語ろうとはしないじゃないですか。こちらが尋ねたら返してくださるのかもしれないですけど、でもちょっと聞きづらいこともあるんですよね」


俯きながら語る彼女は、一向に私と目を合わせようとしない。


「実は私、憧れの先生がいて、その先生がいつも楽しそうにお仕事されてる姿を見て、教師を目指そうと思ったんです。教師の仕事は、もっと魅力的なものだと思うんです。でも、ブラックなところばかりが強調されて、先生たちもそれを否定しないから、実際はどうなのかなって思って」

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それでも生きる ひのかげ @hinokage_writer

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