41 オフの日は

 スマホのアラームがけたたましく鳴っている。まぶたを上げずにタオルケットの下でもぞもぞして、早く起きろという模範的な己に少し抗ってみる。だが、歳を取るとそううまくはいかず、私はすっかり覚醒した意識の中に放り込まれた。


 いつもの通りに上体をむくりと起こし、カーテンを開けて電子音を止める。寝ぼけ眼には効き過ぎるくらいの目眩ましだ。外はとっくに明るく、入ってくる日差しは既に肌を刺すようで、しばらく浴びているとあっという間に黒焦げになってしまいそうだ。時刻は午前六時半。今日は久しぶりの休日だ。しかも丸一日。


 目が慣れたので、私は改めて窓の外を見た。空は怖いほどに深い青が突き抜けていて、庭の植物たちはさっさと水をくれと言わんばかりにしおれている。


(ごめんな)


めんどくさがりな主人は忙しいのを言い訳にして、なかなか世話をしない。おかげで、職場の上司からもらった観葉植物を枯らしてしまったこともある。とてもではないが、しばらく顔向けできなかった。


 木の柵の向こう側に見えるのは、先祖たちの骨がある墓地だ。そうだ、もうすぐお盆だから、また草引きをしなければ。午前中にやってしまおうか。午後からだと先月の二の舞になりかねない。


 私はパジャマのままで一階へ降り、洗面所の鏡の前に立った。


(……すすけたな)


白髪が増え、皺が深くなり、頬も少々こけた、己の顔。こんな時季だからか、ちょっと色黒になって、テカリも増している。普段まじまじと見ることはないが、よくよく観察してみると、なんとも間の抜けた面で、情けないのを通り越して自分で笑えてくる。ふふっ、とひとりでに口角が上がる。鏡の自分も「なんて顔してんだ」というように、応えて笑う。冷たい水で洗ってさっぱりしても、まだ残念な見てくれの私がいた。


 こんなことを考える余裕があるというのが、オフの日のいいところだ。


 朝食と朝のおつとめをそこそこに済ませたところで、私は先月のような重装備に着替え、昼前ながらもとうに炎天下となっている屋外に繰り出した。


 当たり前だが、暑い。秋のようにカラッとしているならまだしも、湿度高めのムシムシした気候は、汗がなかなか蒸発しなくて困る。スポーツウェアなのに服がぴっちり肌に張り付いて、いちいち背中をパタパタさせないとやっていられない。草刈りをしている間も、何度か立ち上がっては固まった腰を伸ばして、着衣の中のうだるような空気を入れ替えていた。


 無心になりながらも、時折脳内をよぎるのは、午後からのことだった。来週の土日に寺の用事があるので、それに向けた法話を作っておく必要があるのだが、これがまた非常に面倒で、ずっと先延ばしにしていたのだ。法話を煩わしく思う住職なんて、とてもご門徒に話せたものではないのだが、とにかく自分はこれが嫌で、「これさえなくなってくれたら三分の一くらいは楽になれるのに」と、ネタを考えるたびに思っている。ああ、今回は聖典のどこから持ってこようかな。日常的なことを織り交ぜつつ話さなければならないので、教えが現代にも通じるものでないと解りづらい。既に聖典は話したことのあるテーマでいっぱい、付箋を貼っていないページの方が少ないくらいだ(大げさかもしれないが)。同じことを短いスパンで繰り返すのはつまらないし良くないので、ずっと前に話題にしたことを久しぶりに出してみようか。みようというか、以前からそうしているのだけれど。


 太陽が容赦なく背中を照らし続けて二時間半、そろそろいい頃合いだ。私は東屋に入り、汗を拭いて少し休憩してから帰路についた。日焼け止めを塗ったはずの皮膚が真っ赤になってしまった。長袖のインナーくらい着てくれば良かったかな。


 家に戻り、軽くシャワーを浴びてふと時計を見ると、もう午後一時前だった。


(昼、どうしよう)


昨日の残りは今朝食べた。肉体労働をしたばかりなので、あまり凝ったものを作る気力はない。


(蕎麦が余ってたかな。蕎麦とツナサラダと唐揚げくらいでいいか)


 私は近くのコンビニでカット野菜を調達し、蕎麦を湯がいて冷凍唐揚げをレンジで温め、ツナ缶を開けて手抜きサラダを完成させた。改めて食卓に並べてみると、学生時代の食事を思い出すほどにアンバランスな組合せだ。小洒落たものを作ろうと思えば作れたのだが、今の私にはこれが精一杯だったし、なんならこれでちょうど良かった。


「いただきます」


 刻み海苔をふりかけた蕎麦を一口、つゆにつけずに食べてみた。


(やっぱり美味いな)


これはご門徒さんからお中元に頂いた蕎麦で、どうやら高級なものらしく、普通に売られているものとは香りも歯ごたえも違う。邪道かもしれないが、山葵わさびを溶かしたつゆにさっとくぐらせて、ありがたくいただいた。

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