40 記憶の彼方に

(なんでいきなり「サキ」の話をしたんだろう。歴史屋の話も)


 晩ご飯の片付けを済ませ、一息ついていると、ふとそんな疑問が浮かんだ。松田先生が「ことばの森に寄り道しよう」で扱う作品を話の種にすることはよくある。自分が面白いと思ったものは周囲にも共有して、その魅力を知ってほしいと思っているらしい。それは先生らしい素敵な考えだ。しかし、今日のあれは私にだけ言ってきたような——周りに人がいたのはいたけれど、巻き込んでまで話をしようとする空気ではなかった。いつもなら他の人にも声をかけて文学談義に花を咲かせるのに。


(私だけに、……か)


 あの恋を諦めたときと同じ気づきをしていることに、私ははっとした。どきりとしたが、すぐに落ち着いた脈が私の体を冷ました。ないない。先生はあのころの私の気持ちに気づいていたから、そしてまだそれを覚えているから、「サキ」にちなんであんな悪戯を仕掛けたのだ。そうだ、そうに違いない。となると、「何か大事なものを置いてきてしまったかもしれませんね」とは一体どんな意味を持っているのだろう? なぜ初めて会った日のことを今更話題にしたのだろう? まだ冬は先のことなのに。


 私はしばらく考えこんでいた——わけではなかった。ほどなくして結論は出た。それを説明するに十分説得力のある先生の性質を、私は知っていた。


(それもこれも全部、「サキ」に絡んだお戯れなんだろうな)


 先生は時々、自分が読んでいる物語の中に知り合いと同じ名前の人を見つけると、それをわざわざその人に報告することがある。もっとも、私や真鍋先生といった気の知れた人相手にしかやらないのだが、例えば、真鍋先生と同じ名前の「タケル」が山岳小説に出てきたとき、


「富士山登ったことある? 『頂上から望むご来光は、以前見たものとはほとんど変わりないように思えたが、雲間から新年の到来を告げる黄金色の太陽は、何か荘厳な気を纏っているように見えた。』って。そんなに違うの」


「さぁ……頂上で年越ししたことないし。ていうかなんで?」


「この小説に『タケル』っていうアマチュア登山家が出てくるんだよ。今のがタケルの台詞。知り合いの名前が出てくるとどうしてもその人のイメージが頭の端っこにへばりついちゃって」


「そんな文章を書く人間だったら、俺とは真反対の生真面目登山家じゃないの」


「いや、むしろお前タイプ。興味があることにはとことんだから、こんな文章になってる。山に行くために稼いでるマインドだから、仕事に関してはずいぶんめんどくさがり」


「へぇ。面白そうじゃんか」


——というようなやり取りがあった。タイトルは……『山とタケル』だったかな。アクセントの位置を間違えると英雄になるから気をつけないとね、と先生に言われた覚えがある。


 今回の「サキ」いじりも、そのようなお遊びの同一線上、もしくは延長線上にあることだと考えれば、すっきりした。サキはユーモアの名手だ。「サキ」いじりをするとき、サキオリジナルのユーモアとウィットに富んだ言い回しを、先生は真似する。ウィット——いや、それこそ悪戯めいた台詞だ。事実、前回の「サキ」いじりも妙な言葉で私をまごつかせた。今日のあれも、『サキの忘れ物』だから、大人になるまでに何かを忘れてきたのだろうと言って、あのときの私の感情をコケにしているのだ。今だからできるお遊びだろうか。傷は癒えただろうから、もはや気にする必要もないと考えているのだろうか。


(そういうとこ良くないですよ)


 不快ではない。いじってもらえるのは愛されている証拠だと思う。ただ、このように理屈をつけてみても、どうも釈然としない部分があるのはなぜだろう。




「どしたの、そんな難しい顔して」


 仕事が一段落したのか、拓也が話しかけてきた。


「ううん。考え事」


「そう」


 拓也は冷蔵庫から麦茶を取り出し、残っていた分を全てコップに移して飲み干した。


「お茶、切れたよ」


「切れた? 棚の中にパック入ってるから、やかんでお湯沸かして入れといて」


「えぇ」


拓也は手伝いを嫌がる少年のような声を出した。私は呆れた。


「えぇじゃないでしょお。飲み干した人が新しく作るの。こないだ決めたでしょ」


「はいはい」


拓也は渋々やかんの準備をし始めた。


(仕事が大変なのはこっちもわかるよ。同じ教師だから。でも決めたことくらい当たり前にしてよね)


そう思いながら、この言葉が場合によってはブーメランになることに気づいて、少し恥ずかしくなった。これは拓也には内緒だ。


「そういえばさ、お盆の帰省なんだけど」


「うん」


「どうする? お腹に赤ちゃんができたことだし、先に紗希のご実家に改めて妊娠を報告しに行くか、それとも遠いけど俺の実家へ行くか。年末年始だとお腹も大きくなってるだろうから、お盆は俺ん家へ来るか。どうする」


 実のところ、ここから拓也の実家へはかなりの距離があるので、お盆でも正月でもお邪魔したくはなかった。しかし、赤ちゃんができたので、そのご報告という形でご挨拶しなければという思いもあった。


「うーん、じゃあ、お盆はそっちの家。年末年始は私の家。余裕があればだけど。エコーの写真撮ってもらったから、それ持ってく」


「オッケー」




 寝る前にふと、また先生の言葉が思い出された。


「何か大事なものを置いてきてしまったかもしれませんね。大人になるまでに」


 私は、本当に何かを忘れてきたのだろうか。こちらにその覚えはない。すべてがいい思い出。けれど私はその中に、松田先生にとって大切な何かを置き去りにしてきてしまったのだろうか。

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