32 国語教師としての願い

 それでもやはり試験の点数や成績は彼らにとって重要な指標となっている。模試の結果を聞いていると、評論や古典はそれなりに点が取れたが、小説はなぜこの答えになるのか解説を見ても解らない、という声がよくある。「登場人物の気持ちがわからないから解けない」と半ば諦めているような子もいる。そのたびに私は「嘘だよお、そんなのは。じゃあ、仮に今ここで僕が泣いてたとしましょう、そのときあなたは、僕の気持ちが一体どういうふうになっていると思いますか。具体的な出来事は分からないにせよ、悲しいことがあったのかな、くらいは予想できるでしょう」とかなんとか言ってみる。「先生の例えはまだわかりやすいからいいんですよ。直接的な行動には表れていないようなことを察するってことが難しいんです」と言い返されることもしばしば——というか、何かしら反論される場合、こういう返答がほとんどだ。そういうとき生徒は、物語を単なる説明としてしか見ていない。つまり世界に入り込めていない。そのあたりにいる傍観者となっている。いや、傍観者どころか活字をひたすら追っているだけになっている。評論と同じように、頭で理解しようとしている。小説を読むときに脳みそはあまり使わない方がいい。その代わり、登場人物のすぐ隣に自分の心を寄せておいて、彼らと共に驚き、悲しみ、喜び、時には怒るということをする方が、感じたことを言語化するのに難があっても、読解という点においては、「勉強をしている」と思い込むよりもはるかに良い成果を出せるのではないだろうか。気持ちというのは、頭よりも先に心で感じていることが多い。さらに、高校生は数学や英語など、国語以外にも頑張らなければならない教科がたくさんある。小説を扱うときくらい肩の力を抜いて、純粋に物語を楽しんでほしい、と私は思っている。



 このことをその三日後の補講でしゃべると、心なしか生徒たちの顔が明るくなった気がした。こうなってほしいという願望がそう見えるようにさせたのかもしれないが、悩める彼らの心に届いたのならば、教師としてこれほどうれしいことはない。夏休みは苦手科目を潰そうと努力している子もいるだろう。私は彼らに、一向に成果が出ないからといって簡単に諦めないことと、この休みは悔いなく過ごせたら一番だが、多少の後悔があっても苦手なことが好きになっていたらいいということも伝えた。高校受験とは異なった人生の重みや緊張が彼らにはのしかかっている。それを解きほぐしつつ、彼らが目指す方向への推進力をわずかでも大きくしていくのが私たち教員の使命だ。


「困ったことがあったらいつでも言ってくださいね。遠慮せずに、どんどん相談しに来てください」


 その日教材にしたのはとある難関国立大学の後期試験の論述とセンター試験の文学的文章で、前者は大学入試にしては珍しく非常に学術的な文章だった。国語が苦手な生徒には「なんでこんな難しい文章持ってきたんですか」と怒られそうだが、センターレベルならこんな文章はまず出してこないだろうし、今回は速読よりも精読と要点の記述に重きを置いたトレーニングをしたかったのだ。少しハードかもしれないが、頑張ってついて来てもらいたい。その後の小説がきっと楽に感じられるだろうし、ね。


「じゃあ、本題に入りましょうか。ええと、今回は論理的文章、後期試験の評論ですね、こっちからいきたいと思います。みなさんにはもう要約を書いてきてもらったと思うんですけども、もしまだの人がいたら今のうちに書いてもらって。で、もう書き終わってるよという人はもう一回本文を読み返してみてください。それで『あっ、ここ書き足した方がいいんじゃないか』というところが見つかれば書き足してもらって、逆に『なくてもいいかな』というところがあれば削ってもらって。まずはね、そういう自分でのブラッシュアップの時間にしてもらいたいと思います」


 生徒たちは細かい字がびっしり書かれたコピー紙に目を通し始めた。静かに燃えるような真剣な眼差しが、私の背筋をぴんと伸ばす。中には今にも寝そうな子もいたが、叱りはしない。何せ今日の補講は午後からのこと、眠たくなるその気持ちは痛いほど解る。だが本番ではそういうわけにもいかないのだよ、諸君。こういうときはグループワークでもして、目を覚まさせるか。

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