22 灼熱の草刈り

 小休憩をはさんだ後は墓地の掃除だった。お盆で忙しくなる前に済ませておかないと、檀家さんたちだけでなく、浄土にいらっしゃるご先祖様にも迷惑がかかる。蚊に刺されまくるのを避けたかったので、真夏日ではあるが昼間のうちに片づけておこうと決めた。


 家を出た瞬間、むおんとした空気が汗腺を強烈に刺激した。歩いてすぐのところなのだが、私は一度部屋に戻り、十分な熱中症対策をした上で再び戸を開けた。スポーツウェアに冷感タオル、つばの広い麦藁帽、保冷バッグには五百ミリリットルのスポーツドリンクと麦茶が一本ずつ。念のため、空腹で倒れそうになったときのための食糧も入れておいた。


(これだけあればいいだろう)


田んぼや畑にいれば農夫と間違われそうな格好だった。


 うちの墓地は寺のすぐ裏にある。夏場なので植物の成長が早いとはいえ、庭が近いせいか、予想していたよりも広範囲に雑草が生えていた。先月刈ったばかりのところも、もう十センチほど伸びていた。


(これは長丁場になりそうだな)


この様子だとお盆の直前にもう一度来なければならないだろう。そのころには今よりもっと暑くなっているはずだから、そのときの負担を減らすためにも、今日はできるだけ頑張らなければならない。私は軍手をはめ、鎌を手にして、日陰になっているところから作業を始めた。


 だが、それから十分も経たないうち、早くも私は後悔した。しっかりとした休みが今日ぐらいしかないのだからもうやってしまおうと思い立ったのだが、なにも墓周りの手入れなどこんな晴れた日にすることでもなかった。曇りの日の夕方にでもやれば良かったのだ。しかし、今月も忙しい。成績つけが終われば夏休みだが、教員は生徒ほど暇にはならない。夏の学校説明会、教員研修会、教材研究、二学期の準備、来年度のカリキュラムや時間割の作成。家庭がある人は家族サービス。私はもろもろの仕事の他に、釋浄教としてのおつとめもある。恐らく、教師×住職の組み合わせは世間が想像する以上に多忙だ。


 すぐそばの木立でアブラゼミが元気に鳴いている。流れ出る私の汗も止まることを知らない。草がゴミ袋の三分の一ほどたまったところで、私はお地蔵様のいる東屋に入らせてもらった。壁がないので暑いのには変わりなかったが、日を遮るものが何もないところに比べるとやはり幾分か快適だった。私は保冷バッグからペットボトルを取り出し、コマーシャルでいつもさわやかに喉の音を鳴らしているアイドルのようにごくごく飲んだ。皮膚のテカリ具合といい表情といい、この飲みっぷりを応募すればそういうCMに採用されるかもしれない。


(……次の国語科通信のネタにするか。くだらないけど)


 しばらくタオルで汗を拭いたり保冷剤を頬に当てたりしてぼーっとしていたが、ふと今日中にやらなければならないことを思い出した。そうだ、朝には覚えていたのに、いろいろと用事があって忘れていた。私は慌てて続きに戻り、無心で鎌を振るった。




 結局掃除を終えたのは午後六時過ぎだった。途中で激しい夕立に見舞われて、やむなく家に逃げ帰ったからだ。私はパンパンになったゴミ袋を勝手口に置き、湿った服を着替え、森永のミルクキャラメル一箱と数輪の花の小さなブーケを手にして、再び自宅の裏に回った。


 熱されていた地面が急激に冷えて、体感気温が二℃ほど下がったように感じられた。東の空にはほんのり赤みのかかった夏らしい雲が残っていたが、西には立派な夕焼けが見えていた。金や黄赤の光に雨露が照らされて、本来陰気なところに思えるはずのこの場所は、つかの間の幽玄に満ちていた。私は一帯の端にある墓の前に膝をつき、合掌して、持ってきたものをお供えした。最近墨入れをしていなかったので文字がぼやけて見える。


 生きていれば、今年で四十三歳。お前は大人になったらどんな人間になっていただろう。私にそっくりなおじさんになっただろうか。それとも、兄弟と言われて驚くような、真逆の性格になっていたのだろうか。そのまま育っていたら、たぶん後者になっていただろうな。でもその前にお前は亡くなったから、全ての予想は哀しい幻想にしかすぎなくなってしまった。


(元気? お父さんもお母さんも元気そう? なら良かった。そっちでもうまくやってる? 友達はできた? おお、そんなにできたんだ。寂しくなさそうだね。え? お兄ちゃんがいないと悲しい? うーん、もうちょっと待って。じきにそっちに行くことになるから。それまでしばらく我慢してて。ね。文句は言わないほうがいいよ、めいちゃん。そっちにはお父さんもお母さんもいるんでしょ。お兄ちゃんの方がよっぽど寂しいんだから)


「南無阿弥陀佛」と書かれている墓石の前で、私は幼い弟に話しかけていた。

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