23 おとうと
私に弟のことを語らせようものなら、聞き手は私の精神が多少おかしくなることを覚悟せねばならない。これでもだいぶ収まってきた方なのだが、下手に当時のことを思い出すと、私の胸はひどく締めつけられる。
光明のことは誕生の瞬間から覚えている(よほど印象が強かったのだろう)。へその緒を切られ泣き叫ぶ姿は子どもながらに痛々しく見えたが、しわくちゃな顔と絶えず漂ってくる赤ちゃん特有の匂い——母乳の香りだと思う——が珍しく、最初は弟というよりも「言葉が話せない小さな友達」と捉えていた。光明を指す言葉が「おとうと」であると知ったのは、両親や祖父母、ご近所さんに教えられてのことだった。
幼稚園から帰ってくると真っ先に和室の布団へ駆け寄って、「めいちゃん、めいちゃん。ただいまあ」と声をかけるのが日課だった。寝ていることが多かったので忍び足で近寄り、耳元にささやいていた。お守についていた母にはよく「お耳の近くで声を出したらいけません。起きたらどうするの」と叱られたが、私は懲りなかった。
二歳ごろになると自我が強くなり始めて、おもちゃの取り合いや親に対する反抗がしばしば起きるようになった。血気盛んな光明は気に入らないことがあるとすぐに私を叩いてきたが、仕返しをしてはいけないと父から教わっていたので、私はひたすら防御に徹していた。けんかして、二人とも泣いて、仲直りの約束。次の日にまたけんかして、泣いて、仲直りして……。この繰り返しだった。おとなしい私しか経験のなかった両親は光明の傍若無人さにとても驚いたという。
そんな光明だったが、私が初めての発作に苦しみだすと、状況を理解したのか、嘘のように利口になった。お気に入りのおもちゃを枕元まで持ってきてくれたり、頻繁に私の病気の原因を尋ねたり、テレビでやっていた童謡を歌ったり。わがままばかりで困ったやつ、と思っていた弟がこんなに優しかったんだと、ある種の感動を覚えた記憶がある。一方、私の病状は重くなるばかりで、喘息とアトピーの症状が同時に出たとき、ついに両親は私を入院させようと決断した。衰弱しきった私の体を治療するには、自宅療養では限界があると判断したからだ。父は数日分の着替えやおもちゃ、絵本やおやつなどを大きなボストンバッグに詰め、へろへろになった私を連れて町の中心部にある総合病院に向かった。そのとき光明は、母の手を握りながら玄関先でぽかんとしていたらしい。
私の入院期間は想定の何倍にも長くなった。その間に光明は幼稚園に入園し、お見舞いに来てくれる頻度も少なくなった。私は心細かった。父や母、祖父母が常に横にいてくれるのはありがたかったが、それによって咳が収まるわけでもなく、しんどいのがましになるわけでもなかった。ただ光明が来てくれたときだけは、ほんの少し体が楽になった気がしていた。個室で同年代の友達もいなかった私には、光明の存在は偉大だった。
光明は病室に入ると決まって私の寝床に潜り込んできた。大人が止めても「いやいや」と言ってきかなかった。私は相槌を打つぐらいしかできなかったが、それに引っ掛かることもなく光明は一方的に話し続けてくれた。家であった面白い出来事、悲しかったこと、幼稚園の友達の話、工作の時間に作った作品のこと、遠足で訪れた動物園のこと……。一つ一つの話の輪郭はぼんやりしているが、小さな話題でもこうやって思い出せるのはどうしてなのだろう。
八歳を迎える年の二月、私はようやく退院することができた。快気祝いは盛大に行われた。出前の寿司を食べたり、ずっと欲しかったおもちゃや本がサプライズでプレゼントされたりして、子ども心ながらに「病気になって悪くなかったかも」と思った。光明も喜んでくれた。私が小学校に通い始めると二人で過ごす時間は短くなっていったが、それでも入院前のように仲睦まじく遊んだりけんかしたりしていた。
だが、そんな幸せな時間は束の間だった。今度は光明が謎の病気に襲われた。原因不明と診断されたが、様子を見る限り私が五歳のときに経験したあの発作と同じようで、発症したのも私と同じく五歳になる年の六月だった。光明も呪われていたのだ。しかし両親は過度には騒がず、事態に落ち着いて対処していた。体の弱い私が生き残れたのだから、つきっきりで看病していれば自然と治るものだと考えていたらしい。私もそう思っていた。
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