21 松田光照と釋浄教

 私には二つの名前がある。一つは一人間としての名「松田光照」、もう一つは仏弟子としての名「しゃく浄教じょうきょう」だ。愚かな私には合わないんじゃないかと思えるこの名前は、得度の際に本山のご門主からいただいたもので、他宗派では戒名ということが多いようだが、私たちのところでは法名ほうみょうという。厳しい戒律の一つも守ることはできない我々を救ってくださる阿弥陀様のはたらき、つまり「法」を日常の中で聞き、受け止め、その内に生きていく。それが私たちの在り方であるからだ。


 今日は七月五日。勤め先の高校は文化祭二日目だが、私は朝からご近所のお宅にお邪魔していた。とあるご門徒のおばあさんが昨日亡くなったのだが、同居している家族だけでもろもろを済ませたいとのことで、お通夜とお葬式を四日の晩から続けて行うことになったからだ。その間私は松田光照ではなく釋浄教だった。個人的な感覚として、職場にいるときやプライベートな時間は松田光照、おつとめや法話をするときは釋浄教として生きている。こうした人格の使い分けのようなことはあまり望ましくないのだが、一度癖がついてしまうとそれを直すのは難しい。もはやこれが当たり前になっているらしかった。


 午前中にお葬式が終わり、昼過ぎに自宅に帰ってきた。留守番を頼んでいた藤井さんは玄関先にいて、ちょうどご自分の家に戻られるところだった。


「あっ、藤井さん。どうもすみません。ただいま帰りました」


「ああ、光照さん。おかえりなさい。ちょうどよかった、お昼ご飯はいつものところにありますから」


「ありがとうございます」


「いいえ。あっ、お道具をお運びするんですね。お手伝いしましょうか」


「すみません。お願いしてもいいですか」


「ええもちろん」


全て一人で持ち運べるものではあったが、他にもいろいろ持って入らなければならなかったので、彼女の言葉に甘えさせてもらうことにした。


「梅雨明けはもうすぐですかねえ。お部屋の中とはいえ、暑かったでしょう」


「ええ」


先程までエアコンがついていたらしい仏間には、まだ冷気が残っていた。片づけをしている間に肌に絡んでくるような蒸し暑さから解放され、私の体はほんの少しだが軽やかに動くようになった。藤井さんは仏壇に道具をそっと戻すと、胸の前で合掌して「ありがとうございます」と呟いた。お供えしていたご飯が新しいものになっている。古い方は私の昼餉ひるげとなっているだろう。


「できることだけやっておきましたけど、もし何か足りなければすみません」


「いえいえ、とんでもないです。ありがとうございます」


「こちらこそありがとうございます。明日からはまたいつも通り、こちらに伺えばよろしいですか」


「はい。いつもの時間に。毎度すみません。よろしくお願いします」


ふと時計を見ると、もう十四時になろうとしていた。私は法衣から私服に着替え、ダイニングで藤井さんが用意してくれたおかずと一緒にご飯をかき込んだ。いつものことながら、部屋には私の咀嚼音とエアコンの音だけが響いていた。

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