20 残業の存在は認めてほしい

「今日はありがと。楽しかった! 変な愚痴ばっかりでごめんね。ツラくなかった?」


「ううん、全然。聞いてるのが楽しかったから大丈夫。こちらこそありがとう」


 私は帰りの電車の中で、彼女からもらった結婚祝いを抱きかかえながら、漠然と明日のことを考えていた。テストが午前中にあって、午後からは採点と成績つけ……か。いや、素点入力のチェックを先にやらないとだな。部活には高橋先生が行ってくれるだろうし。そのへんも今確認しとこうかな。


 私は女子テニス部主顧問である高橋先生とのチャットを開いた。


『お疲れ様です。明日午後からの部活動ですが、先生はいつごろ顔出しされますか?』


高橋先生は暇であれば爆速で返信が来るのだが、試験期間中だし、物理のテストは終わったばかりなので、採点で忙しいかもしれない。まあ今日中に返事が来ればいいし、なくても明日職員室で訊けばいいや、と考えていると、スマホが震えた。通知を見ると、高橋先生からのメッセージだった。


(速っ)


少々驚いてしまった。


『お疲れ様です メニューは始まる前に渡して、試合前の実践練が始まるころに私を呼ぶよう伝えています 岸本先生は試験が終わるのが明日だと思うので、ゆっくりされてください 連絡ありがとうございます』


 よしっ、採点に集中できる。ありがとうございます。私は心の中でガッツポーズした。




 部活動の顧問はもちろん楽しいし、やりがいもある。けれど、それに割かれる時間が長すぎて、プライベートなことまで潰さないといけなくなっているのは、どうかと思う。やりがい搾取という言葉も最近聞くようになった。部活動の指導や引率に充てている時間を教材研究や授業研究に充てることができたら……とぼやく先生方もいるけれど、私はそれよりもまず私的な時間を確保したい。それこそ旅行とかしたい。趣味に時間を使いたい。それも教師としての学びの場といえるのではないだろうか。


 「教師たるもの、常に生徒のことを考えて」とか、「公務員たるもの、公僕であれ」とか、そういう高尚な理念で動ける人は動いたらいい。だが大半の人のモチベーションはどちらかといえば健全なワーク・ライフ・バランスとお金……給料だ。もちろん生徒の成長を生身で感じられる喜びは言葉にできないほど嬉しい。しかしその成長を支える教師の質がどうやって保証されるのか、どうやって向上されていくのか、そういうことはまだ十分議論されていないのではないか。


 めちゃくちゃ簡単にこちらの要望を挙げると、「基本給底上げしろ!」と「教職調整額増やせ!」もしくは「四パーセント撤廃して現代基準で時間外手当計算しろ!」と「仕事量少しでもいいから減らせ!」。そもそも残業がない前提で話が進んでるのがおかしい。まず「残業の存在を認めろ!」かな。四パーセントの基準も一九六六年? いつの話? って感じだし、授業準備とか教育に関すること以外の雑務もまあまああるし。教員志望が減るのも当たり前よね、という話だ。


(だからといって何かを変えられるかというと……)




 私は車窓の外を見た。遠くの空は黒い雲が低く垂れ込めているが、こちらはちょうど今雨が上がったようで、雲の隙間から薄日が差し、あちこちにできた水たまりに白いふわふわとした模様を映していた。もうすぐ学園祭だ。

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