12 歴史屋書房
歴史屋書房は郊外にある、こぢんまりとした「いかにも古本屋」というなりのお店で、背の低いおじいさんが一人で店番をしている。初めて訪れたのは高校一年の夏休み、近くにあった有名な美術館からの帰りだった。強烈な日差しを避けようと、たまたま行きとは違う並木道を歩いていると、分厚い本で埋め尽くされた窓が目に留まった。視界の右側に突如現れたその光景に、私はつい見入ってしまった。向こう側が見えないほどの書物の山。活字の森とはまさにこういう空間のことをいうのだろうと、瞬時に思った。私は半ば導かれるかのごとく、入り口の引き戸を開けた。
エアコンの冷気が私を包み、不快な汗がさっと引いた。建物が古いのか、床がみしみし鳴った。すると、それを合図にしたように、奥からおじいさんがひょっこり顔を出した。
「……ああ! いらっしゃい」
若い客が珍しかったのだろう。眼鏡の向こう側にある細い目が大きく見開かれて、しばらく私を捉え続けていた。私は少し緊張して、会釈しながら目線を本棚に移した。
本当に、いろいろな読み物があった。見かけ以上に店は奥行きがあり、所狭しと並べられた棚の中で、次の主人の手を今か今かと待ち続けている健気な本たちがひしめき合っていた。そのさまが、典型的な文学少女だった私の心をくすぐったのは言うまでもない。森鴎外や夏目漱石、芥川龍之介、太宰治などといった近代の文豪に、高校生には少しマニアックな田山花袋や二葉亭四迷、児童文学で著名な宮沢賢治や新見南吉、さらには外国文学——エドガー・アラン・ポーやアガサ・クリスティー、モーリス・ルブラン、アーサー・コナン・ドイルからアンデルセンにイソップ、グリム兄弟にシェイクスピアまで——有名どころはすべてここだけで揃えられそうだったし、当然知らない作家の名前もあった。私は目についたものを片っ端から手に取り、最初の数ページを読んでは棚に戻すということを繰り返した。しばらくして、おじいさんに冷やかしと思われていないかどうか気になって、ちらりとおじいさんのほうを見た。おじいさんはレジの隣で扇風機を回しながらうつむいていた。何かを眺めているようだった。
それから小一時間ほど、私たちは言葉を交わさなかった。私は物語の世界に没頭していたし、おじいさんもなるべくこちらの邪魔をしないようにしていたのか、レジそばから一切動かなかった。
ふと店内の時計を見た。昔ながらの壁掛け振り子時計は五時三十分を指していた。ここから家までは二時間くらい。そろそろ帰らないとまずい。私はちょうど読んでいたものをおじいさんのところへ持っていった。
「ああ、ありがとう。ええと、四百円ね」
「はい」
しゃがれた声が店の雰囲気と相まって妙に心地よい。
「ブックカバーはないんだ、袋だけで許してね」
「いえ、ありがとうございます」
ちょうど本一冊が入るくらいの茶色い紙袋を受け取り、そのまま外に出ようとすると、おじいさんが私の肩をトントンと叩いた。びくっと振り返ると、おじいさんが微笑んでいた。
「ごめん、驚かせちゃったかな」
「いえ、大丈夫です」
「ああ。……またいつか、来てくれるかな」
一呼吸おいて発されたその言葉に、私は胸のときめきを感じた。私を待ってくれている人のいる場所なんて、家や学校以外では初めてだったからだ。
「……はいっ。冬休みか春休みには、必ず来ます」
「ありがとう」
二人で微笑み合う、小さな幸せが生まれた瞬間だった。
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