7 恐怖と苦悶と
「後代のために、自分が記せることは何事も記しておきたい」
妖の子として生まれた光清は、継母の子として生を受けたきょうだいたちと仲睦まじく暮らした。村の者も気味悪がることはなく、寺の後見人として立派に育った。見た目こそ普通の人間とは異なっていたが、自身はそれを苦に思うことはなかったようだ。
「目が青く肌の白い異形のこの身を、みな親切懇意に接してくれるので、有難いことこの上ない」
しかし、跡継ぎとなる長男が生まれると、かつて父が思い悩んだように、光清も将来について苦悶する。血を絶やせば村が滅びるというので、一族断絶ということは何としてでも避けたいのだが、そうすると呪いを受けた子孫が必ず苦しむことになる。悪い未来になるのを分かっていながら何もすることができないのは非常な苦痛だ、と光清はいう。
同じようなことを、松田家は父の代まで繰り返してきた。顕光、光清、
事実、私は呪われた体である。五歳のときに初めて発作を経験したが、そのときは一週間以上高熱にうなされた。呻きながらかかりつけの医者が匙を投げたと知って、幼心ながらに「自分はもう死ぬのか」と思った記憶がある。そのときはまだ呪いについて何も知らなかった。ただ、両親は私の犬歯がぐんぐん伸びるのを見て、呪いの影響が出ていると確信したという。生まれつき病弱な体質であった上にそのようなことが度々起こるものだから、私はすっかり疲弊して、一度にいくつもの病気をしたことがある。貧血に喘息、アトピー性皮膚炎……。アトピーと喘息は治ったが、貧血は未だに残っている気がする。
小学校には長い入院のせいで二年生から通うことになった。犬歯が長いのがコンプレックスだったので一年中マスクを着けていたが、それが原因でいじめられ、中学生のときには何度かカツアゲに遭った。それでも一応寺の長男だったので自分なりの尊厳は保つことができたし、いじめっ子たちも私が寺の跡継ぎだと知ると態度を一変させて謝罪してきた。罰が当たるとでも思ったのだろうか。
私は小学校のときからとても内向的だった。休み時間は教室の隅で一人本を読んでいたし、それは中学校卒業まで変わらなかった。しかし高校生になると周りは比較的自分に合った人が多くなったのでそれなりに友達はできた。アレルギーだからマスクを着けているのだと言うと素直に「わかった」と返してくれるし、真鍋のようなエネルギッシュな友人も作れて、充実した学校生活だった。大学のゼミや文芸サークルのメンバーとは、今でも連絡を取り合う仲だ。
しかし、そのような間柄でも、自分の正体については一切明かしたことがない。こんなことを告白したところで誰が信じてくれるものかという猜疑心があるのはもちろん、それが明るみになった折には、どんな仕打ちに遭うのか分からないことが何よりの恐怖だった。永遠に後ろ指をさされ、世間からの冷たい眼差しや好奇心に晒されながら生きていくことはとても辛く、苦しいものになるだろう。もしかして、彼女が言っていたことはこれなのだろうか。彼女もまた、人間に見られる妖であるから、ひどい仕打ちをされてきたのではないだろうか。
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