3 家
家に着いたのは午後十時前だった。車を停め、早足で玄関に向かい、ガラガラと引き戸を開けた。藤井さんはちょうど洗濯し終えたタオルを和室から洗面所に持っていくところだった。
「すみません、遅くなりました。洗濯物まで、毎回申し訳ありません」
「いえ、いいんですよ。家には娘たちがいますし、どうせ暇ですもの。少しでもお寺のお役に立ちたいんですよ」
はっはっは、と明るい笑い声をあげながら、藤井さんは慣れた手つきで次々とハンドタオルだのバスタオルだのを片付けていく。もうかなりのお
「ええと、ご飯はいつものところにあります。時間があったのでちょっと量を多くしておきましたけど、いっぱい食べる
「毎度毎度すみません」
「いいえ。やあねえ、そんな申し訳なさそうにしないでくださいよ。このお寺と光照さんがあってこその私たちなんですから。いつでも頼ってください、飛んでいきますから。あっはっは」
和やかに話しながら、私たちはダイニングキッチンに移動した。テーブルにはご飯と味噌汁、鮭の塩焼き、スモークチキンのサラダ、きんぴらごぼうに納豆が一パック。
「すぐに召し上がりますか。今温めましょうか」
「ああ、後で自分で温めます。先にやらないといけないことがあるので」
「そうですか」
藤井さんの声が急に沈んだ。
「なにもそんなに無理しなくても、いいのにねぇ……」
私は手にしていたカバンを椅子に置いた。
「学校の先生方って、みなさんこのくらいの時間にご帰宅なさっているんですか」
「まあ、人によりますね。ご家庭のある先生方は比較的早く帰られますし、仕事量の多い方は遅くなってしまうこともしばしばあります。でもこれは僕が持っている一つの先入観のようなもので、実際は勤続年数や学校内での役職に関係なく、その日の業務量が左右する感じではありますね」
「そうなんですね。やりがいと仕事に見合ったお給料があればまだましなんでしょうけど、」
彼女はまくっていた袖を戻した。
「そんなものは、昔々のお話になってしまったんでしょうねえ」
彼女の家は先祖代々うちの寺の檀家で、私も幼いころからずっとお世話になってきた。両親が亡くなったとき、一日中家を空けるのは不用心だからと、彼女が留守番を引き受けてくれた。今では母親代わりの人で、よく悩み事を聞いてもらったり、世間話の相手になってもらったりしている。いつだったか、毎日の激務に耐えかねていたころ、ぽろっと弱音を吐いたことがあった。藤井さんはなぜか、いつまでもそのことを覚えているのだ。
「愚痴ばかりこぼしていても仕方ありませんよ。僕は子どもたちの笑顔が見られたら、それで十分ですから」
藤井さんは驚いた顔をしたが、すぐににっこり笑って、
「……光照さんはえらいわね。さすがだわ。でも、それで体調を崩されたらいけませんからね、休むことも肝心ですよ」
「ええ」
明日もお世話になることを伝え、玄関先まで彼女を見送った。戸が閉まる音は静かだったが、彼女の姿がガラス越しに見えなくなると、途端に寂しくなった。着替えに食事、持ち帰ってきた仕事や風呂で気を紛らわせようとしたが、心の中の白い霧が消えることはなかった。書斎のレコードをかけてみても、だめだった。
あっという間に日付が変わった。同時に、雨がぽつりぽつりと降り出した。数分もしないうち、窓を閉めていても庭の木々から雫の音が聞こえるようになった。
私は書斎で教育誌の原稿を書いていた。
(——目がつらいな)
とりあえず脱稿したので、一休みしようと立ち上がった。そのときだった。
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