Ⅲ
窓は瞬く間に青一色になって、どんどん深みを増していく。
1日を早送りして見ているみたい。もう真っ暗な外を眺めて、そんな感覚になった。
ロケットはまだ昇り続けている。そのかわり、揺れはずいぶんと小さくなった。打ち上げてから……いま、ちょうど2分半。
「――あれ?」
唐突に、ふっ、と揺れが消えた。
ミューがわたしを見る。
「エンジンカットだ。宇宙へようこそ」
「え、もう!? ベルト外していい?」
「カプセルが分離する。それまでそのままで」
そう言うくせに、ミューはすうっと浮かび上がった。ドローンみたいな音を響かせながら、目の前でレンズをちかちかさせた。
しばらくして、ごん、と鈍い響き。
――今の? 分離した音?
――そうだ。もう外しても問題ない。
待ってました、と留め具のボタンを押し込んだ。ハーネスが上へ浮かび上がった。
「来た、宇宙来たーっ!」
立ち上がろうとして、その勢いで壁に突っ込む。並んだクッションで跳ねて、窓の前に流される。あわてて手を伸ばす。
無重力ってこんな感じなんだ! 浮かぶというより、支えがない感じ。
なかなか思い通りに動けないけど、なんとか窓から外を見る。
――暗闇のなか、眼下に空が浮かんでいた。
言葉が出なかった。
それは今まで見てきた何よりも澄んでいて、何よりも大きかった。
堂々と輝いている。眩しいのに、目が離せない。
足元が揺れて、展望角度が変わっていく。わたしはぷかぷか浮きながら、空色の世界に飲み込まれていった。
「はごろも、キャビン展開完了。ブースター、エアブレーキ展開を確認。双方とも予定通りに進行中」
「……毎度の事であっても、上手くいくのは気持ちが良いですね」
立ったまま、しみじみ呟くマネージャー。
やめてくださいよフラグを立てるのは、と誰かが言って、管制官たちは控えめに笑った。
今頃、クルーの皆さんはどんな思いを抱いているんでしょうかね? 恐竜パーカーのスタッフがマネージャーへ問いかけて、
――どんな思いでも、プラスであってほしいものです。
そう答えた。
――もう、宇宙はいいのかい。
星は静かに、少女に語りかける。
瞳を青く染めたまま、少女は答えた。
――うん。これで宇宙はおしまい。宇宙飛行士は諦める。
――どうして? 一度、来ただけじゃないか。
――理系が苦手なんだもの。宇宙飛行士には向いてないの。
――宇宙飛行士じゃなくたって、宇宙に来てもいいんだよ。
――それでもよ。また夢を見てしまわないように。……もう子供じゃないんだから。
真っ黒なガラスに、空良の瞳が映りこむ。
落ち着いた口調とは裏腹に、それはひどく濁って、揺れていた。
――未練があるなら、諦めるのはまだ早いよ。
「……うるさい! わたしは決めたの、叶わない夢は諦める! 現実を見るの! だから――」
夢は、簡単には叶わないから夢なんだよ。
大気の輝きがカプセルを包んだ。
反射を塗りつぶし、澄んだ群青が目の前を覆う。
46億年を生きてきた星が、空良を見ていた。
数えきれないほど見守ってきた、この星に生まれた命のひとつに、諭すように語りかけた。
――君はまだ子供だ。子供が夢を捨ててどうする?
空良は静かに浮かんだまま、それを受け止める。
頭が上手く回らない。青い光は波浪のように、思考を洗い流してしまっていた。
何度か口を開いたけれど、なかなか言葉にはならないで――。
「……そっか。――まだ、子供なのか」
ようやく一言、ぽつりと呟いた。
展開していたキャビンが元へと戻る。地球が沈んで、宇宙を映したガラスに再び、瞳が浮かぶ。
その目はまっすぐ、空良自身を見ていた。
「――降下1分前。シートへ戻り、ベルトを締めてくれ」
上からミューが声を掛ける。
空良はちょっとびっくりしてから、こくりと頷く。
そして軽くガラスを蹴って、慣性のまま、戻っていった。
ノズルを傾け、首無しブースターが戻ってきた。
エアブレーキを目一杯にひろげ、エンジン出力を段々と落とし、発射台の側、地面に描かれた円の中に脚を着ける。
搭載されたコンピューターはシステムチェックを手早く済まし、管制室へ一報を入れた。
着陸成功、異常無し。
一息ついて、人を載せた相方を待つ。
……そして5分ほど、間が空いて——。
「カプセル、タッチダウン……!」
大きな拍手が管制室を包んだ。
土煙を纏いながら堂々と佇むカプセルを見届け、マネージャーは拳を握る。
籠もった息が、すーっと鼻を抜けていった。
「回収班、出動しました」
「了解――これにてミッション終了です。皆さん、お疲れ様でした。各自業務が終わり次第、次のフライトへ向けて休憩を取ってください」
お疲れ様でした、とそこかしこから声が上がった。とはいえ各種チェックがあるため、すぐに席を立つ者はいない。
そんな中、マネージャーが扉を開けた。
「――!?」
管制官たちは驚いた。
いつも生真面目に、最後まで部屋から出ないのに……!
好奇の視線を一身に浴びて、マネージャーは振り返る。
頭をかきながら、ひとこと。
「いやあ……帰ってきたクルーの顔をね、久しく見ていなかったな、と」
窓には大きく、''指示があるまでそのままでお待ちください'' というテロップが流れていた。
トランスポーターが横付けされて、スタッフが順番にハッチを開け、クルーを降ろしてゆく。
空良はシートに背を預けたまま、自分の番を待っていた。
「……あーあ、写真撮るの忘れちゃった」
「問題ない、撮影係も私の仕事だ。動画も静止画も記録済み、数時間後には君のアドレスに送られるはずだ」
「それはありがとうだけどさ。……わたしずっと窓の方に向いてたから、地球とツーショット撮れてない」
「確認する……確かにそうだな。こちらを向いたツーショットは無い」
次に来るときは、出来るだけこちらを向いてくれ。''映える''ツーショットを撮ると約束しよう。
うぃ、と頭を回すミュー。
少し考えて、うん、頼んだ! と答える。
あと、''映える''ってもう死語だよ。空良は笑ってそう付け足した。
「……そうなのか。次回までには直しておこう」
「……良いよそのままで。また来たときにもよろしくね。ミュー、今日はありがとう」
「こちらこそ。――本日はご搭乗ありがとうございました。またのご利用をお待ちしております」
ミューがデフォルトの口調に戻り、空良の番が来た。
ごおん、とハッチが開けられて、乾いた風が吹き込んでくる。ふぅ、と一息いれて、冷たい大気へ進み出た。
順番は空良が最後だったようで、先に降りていたクルーたちは思い思いに感想を言い合ったり、握手をしたり。
「お帰りなさい。初めての宇宙はどうだったかしら」
その中にはもちろん、ラウンジで話したおばあさんもいた。
「――なんというか、すごかったです。……言葉も出ないくらい」
「ふふ、そうでしょう。 ――気持ちの整理はついた?」
「はい!」
「……その様子だと、諦めることを諦めたといったところかしらね」
おばあさんはやんわりと笑った。
「……頑張って。諦めなければ、夢はたいてい叶うものよ」
「ありがとうございます。頑張ります……!」
心からの笑顔が、空良に浮かんだ。
スタッフに混ざり、マネージャーがその様子を眺めていた。
クルーの顔は、どれも花が咲いたように笑っている。この仕事に就いた頃は毎回のように見に行った、少し懐かしい光景。
流れる空気は新鮮で、少しも変わっていなくて、彼は眼鏡の奥で目を細めた。
満足してラップトップを抱え、予定をもう一度確認する。
――そして、視線に気付く。
クルーの1人が目を見開いて、じっと彼を見つめていた。
何か自分に、至らぬところがあったのだろうか? マネージャーは一礼してから歩み寄り、尋ねる。
「……いいえ、違うわ。そのラップトップがちょっと、気になっただけなの。ごめんなさいね」
「そうでしたか。もしや……このステッカーのことでしょうか?」
驚いた顔を見て、マネージャーは笑った。先ほど部下にも聞かれたところでして、いやはやお恥ずかしい。
私の推しなんです。打ち上げの仕事をしているのは、彼女の活動で興味を持ったからで――……お客様! いかがいたしました!?
「……何でもないわ。――大丈夫、何でもないの」
クルーの頬を涙が伝った。当然ながら、マネージャーは死ぬほど慌てた。
片手を広げてそれを止め、クルーは目元を拭う。
そして一言、
「――それは、良かったわ」
「良かった……ですか?」
「ええ。とても」
――笑顔で、そう言った。
(了)
いぐにっしょん! 〜2052年宇宙の旅〜 そらいろきいろ@新作執筆中 @kiki_kiiro
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