窓は瞬く間に青一色になって、どんどん深みを増していく。

 1日を早送りして見ているみたい。もう真っ暗な外を眺めて、そんな感覚になった。


 ロケットはまだ昇り続けている。そのかわり、揺れはずいぶんと小さくなった。打ち上げてから……いま、ちょうど2分半。


「――あれ?」

 

 唐突に、ふっ、と揺れが消えた。

 ミューがわたしを見る。


「エンジンカットだ。宇宙へようこそ」


「え、もう!? ベルト外していい?」


「カプセルが分離する。それまでそのままで」


 そう言うくせに、ミューはすうっと浮かび上がった。ドローンみたいな音を響かせながら、目の前でレンズをちかちかさせた。

 しばらくして、ごん、と鈍い響き。

 

 ――今の? 分離した音?


 ――そうだ。もう外しても問題ない。


 待ってました、と留め具のボタンを押し込んだ。ハーネスが上へ浮かび上がった。


「来た、宇宙来たーっ!」


 立ち上がろうとして、その勢いで壁に突っ込む。並んだクッションで跳ねて、窓の前に流される。あわてて手を伸ばす。


 無重力ってこんな感じなんだ! 浮かぶというより、支えがない感じ。

 なかなか思い通りに動けないけど、なんとか窓から外を見る。


 ――暗闇のなか、眼下に空が浮かんでいた。


 言葉が出なかった。

 それは今まで見てきた何よりも澄んでいて、何よりも大きかった。

 堂々と輝いている。眩しいのに、目が離せない。

 足元が揺れて、展望角度が変わっていく。わたしはぷかぷか浮きながら、空色の世界に飲み込まれていった。





 

「はごろも、キャビン展開完了。ブースター、エアブレーキ展開を確認。双方とも予定通りに進行中」


「……毎度の事であっても、上手くいくのは気持ちが良いですね」


 立ったまま、しみじみ呟くマネージャー。

 やめてくださいよフラグを立てるのは、と誰かが言って、管制官たちは控えめに笑った。

 今頃、クルーの皆さんはどんな思いを抱いているんでしょうかね? 恐竜パーカーのスタッフがマネージャーへ問いかけて、

 

 ――どんな思いでも、プラスであってほしいものです。


 そう答えた。





 

 ――もう、宇宙はいいのかい。


 星は静かに、少女に語りかける。

 瞳を青く染めたまま、少女は答えた。


 ――うん。これで宇宙はおしまい。宇宙飛行士は諦める。


 ――どうして? 一度、来ただけじゃないか。


 ――理系が苦手なんだもの。宇宙飛行士には向いてないの。


 ――宇宙飛行士じゃなくたって、宇宙に来てもいいんだよ。


 ――それでもよ。また夢を見てしまわないように。……もう子供じゃないんだから。


 真っ黒なガラスに、空良の瞳が映りこむ。

 落ち着いた口調とは裏腹に、それはひどく濁って、揺れていた。

 

 ――未練があるなら、諦めるのはまだ早いよ。


「……うるさい! わたしは決めたの、叶わない夢は諦める! 現実を見るの! だから――」


 夢は、簡単には叶わないから夢なんだよ。


 大気の輝きがカプセルを包んだ。

 反射を塗りつぶし、澄んだ群青が目の前を覆う。

 46億年を生きてきた星が、空良を見ていた。

 数えきれないほど見守ってきた、この星に生まれた命のひとつに、諭すように語りかけた。

 

 ――君はまだ子供だ。子供が夢を捨ててどうする?


 空良は静かに浮かんだまま、それを受け止める。

 頭が上手く回らない。青い光は波浪のように、思考を洗い流してしまっていた。

 何度か口を開いたけれど、なかなか言葉にはならないで――。


 「……そっか。――まだ、子供なのか」


 ようやく一言、ぽつりと呟いた。

 展開していたキャビンが元へと戻る。地球が沈んで、宇宙を映したガラスに再び、瞳が浮かぶ。


 その目はまっすぐ、空良自身を見ていた。


「――降下1分前。シートへ戻り、ベルトを締めてくれ」


 上からミューが声を掛ける。

 空良はちょっとびっくりしてから、こくりと頷く。

 そして軽くガラスを蹴って、慣性のまま、戻っていった。





 

 ノズルを傾け、首無しブースターが戻ってきた。

 エアブレーキを目一杯にひろげ、エンジン出力を段々と落とし、発射台の側、地面に描かれた円の中に脚を着ける。

 搭載されたコンピューターはシステムチェックを手早く済まし、管制室へ一報を入れた。

 着陸成功、異常無し。

 一息ついて、人を載せた相方を待つ。


 ……そして5分ほど、間が空いて——。

 

「カプセル、タッチダウン……!」


 大きな拍手が管制室を包んだ。

 土煙を纏いながら堂々と佇むカプセルを見届け、マネージャーは拳を握る。

 籠もった息が、すーっと鼻を抜けていった。


「回収班、出動しました」


「了解――これにてミッション終了です。皆さん、お疲れ様でした。各自業務が終わり次第、次のフライトへ向けて休憩を取ってください」


 お疲れ様でした、とそこかしこから声が上がった。とはいえ各種チェックがあるため、すぐに席を立つ者はいない。

 そんな中、マネージャーが扉を開けた。


「――!?」

 

 管制官たちは驚いた。

 いつも生真面目に、最後まで部屋から出ないのに……!

 好奇の視線を一身に浴びて、マネージャーは振り返る。

 頭をかきながら、ひとこと。

 

「いやあ……帰ってきたクルーの顔をね、久しく見ていなかったな、と」





 窓には大きく、''指示があるまでそのままでお待ちください'' というテロップが流れていた。

 トランスポーターが横付けされて、スタッフが順番にハッチを開け、クルーを降ろしてゆく。

 空良はシートに背を預けたまま、自分の番を待っていた。


「……あーあ、写真撮るの忘れちゃった」


「問題ない、撮影係も私の仕事だ。動画も静止画も記録済み、数時間後には君のアドレスに送られるはずだ」


「それはありがとうだけどさ。……わたしずっと窓の方に向いてたから、地球とツーショット撮れてない」


「確認する……確かにそうだな。こちらを向いたツーショットは無い」


 次に来るときは、出来るだけこちらを向いてくれ。''映える''ツーショットを撮ると約束しよう。

 うぃ、と頭を回すミュー。

 少し考えて、うん、頼んだ! と答える。

 あと、''映える''ってもう死語だよ。空良は笑ってそう付け足した。


「……そうなのか。次回までには直しておこう」


「……良いよそのままで。また来たときにもよろしくね。ミュー、今日はありがとう」


「こちらこそ。――本日はご搭乗ありがとうございました。またのご利用をお待ちしております」


 ミューがデフォルトの口調に戻り、空良の番が来た。

 ごおん、とハッチが開けられて、乾いた風が吹き込んでくる。ふぅ、と一息いれて、冷たい大気へ進み出た。


 順番は空良が最後だったようで、先に降りていたクルーたちは思い思いに感想を言い合ったり、握手をしたり。


「お帰りなさい。初めての宇宙はどうだったかしら」


 その中にはもちろん、ラウンジで話したおばあさんもいた。


「――なんというか、すごかったです。……言葉も出ないくらい」


「ふふ、そうでしょう。 ――気持ちの整理はついた?」

  

「はい!」


「……その様子だと、といったところかしらね」


 おばあさんはやんわりと笑った。


「……頑張って。諦めなければ、夢はたいてい叶うものよ」


「ありがとうございます。頑張ります……!」


 心からの笑顔が、空良に浮かんだ。



 スタッフに混ざり、マネージャーがその様子を眺めていた。

 クルーの顔は、どれも花が咲いたように笑っている。この仕事に就いた頃は毎回のように見に行った、少し懐かしい光景。

 流れる空気は新鮮で、少しも変わっていなくて、彼は眼鏡の奥で目を細めた。

 満足してラップトップを抱え、予定をもう一度確認する。

 

 ――そして、視線に気付く。


 クルーの1人が目を見開いて、じっと彼を見つめていた。

 何か自分に、至らぬところがあったのだろうか? マネージャーは一礼してから歩み寄り、尋ねる。


「……いいえ、違うわ。そのラップトップがちょっと、気になっただけなの。ごめんなさいね」


「そうでしたか。もしや……このステッカーのことでしょうか?」


 驚いた顔を見て、マネージャーは笑った。先ほど部下にも聞かれたところでして、いやはやお恥ずかしい。

 私の推しなんです。打ち上げの仕事をしているのは、彼女の活動で興味を持ったからで――……お客様! いかがいたしました!?


「……何でもないわ。――大丈夫、何でもないの」


 クルーの頬を涙が伝った。当然ながら、マネージャーは死ぬほど慌てた。

 片手を広げてそれを止め、クルーは目元を拭う。

 そして一言、


「――それは、良かったわ」


「良かった……ですか?」


「ええ。とても」


 ――笑顔で、そう言った。


 


(了)

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いぐにっしょん! 〜2052年宇宙の旅〜 そらいろきいろ@新作執筆中 @kiki_kiiro

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