Ⅱ
小さい頃は、宇宙飛行士になりたかった。
大きなロケットに乗り込んで、ふわふわしながらお仕事をする、選び抜かれた大人たち。パパと一緒に観ていた配信の向こうで、白いヒーローはみんなの夢と期待を一身に背負い、クールに飛んでいった。
宇宙ステーションで浮かびながら、地球を眺めたりする姿。仕事の中身は詳しく知らなかったけれど、かっこよくて憧れた。
小学生までは、将来は宇宙飛行士になるんだと信じて疑わなかった。自由研究は毎年宇宙をテーマにしてたし、クラスの誰よりも宇宙については詳しかったと思う。
理科、算数、英語。宇宙飛行士になるのために大切な教科も、特に苦手はなかった。
こんなに宇宙に詳しくて、勉強もできるなら大丈夫。そんな風にたかをくくっていた。
――そしてそれは全くの間違いだった。
中学校の途中くらいから、いままで宇宙飛行士へとまっすぐ伸びていた道がぐらぐらし始めた。
英語と数学はいつの間にか、ついていくのが精一杯になっていて。
理科は大丈夫だと思っていたら、計算が増えてきてから同じようになった。
模試で出た偏差値は、平凡そのもの。
結局、わたしは目指していた科学技術科の高校を諦め、家から近い普通科高校に進学した。
ゴールで待ってた白いヒーローも、そこへ続くキラキラした道筋も、気づけば見えなくなっていて。
ただ足元に、歩ける地面があるだけだった。
空良は心の中の溢れるような思いをかいつまんで、時々つっかえながらも言葉にした。
話す度に、言葉は胸の中をがんがんと跳ね返ってから出ていった。それが後悔なのか悲しみなのか、はたまた自分への怒りなのか、よくはわからない。
ただ、夢への未練がたっぷりある事は確かだった。
だからこそ。
「現実を見るべきなんです。わたしは、ヒーローになれるほど才能が無い。だから諦めるために、けじめをつけるために宇宙へ行くんです。違う進路に進んでも、夢を諦めても、宇宙が好きなのは変わりませんし。それくらいが丁度いいのかなって」
最後に一度、宇宙旅行をして、それで宇宙はおしまいにするんです。空良はそう言いきって、微笑んだ。
おばあさんは何か言おうとして、だけど思い直して、そうだったの、じゃあ精一杯楽しまなきゃね――と控えめな言葉を返す。
ええもちろん! 弾んだ声に、やっぱりひとつ、と付け足した。
「……せっかくなのだから、地球に誓ってきたらどうかしら。気持ちの整理がつくと思うわ」
発射台を静かに登っていたエレベーターが、ふわりと停止する。
ゆっくりと、扉が開いていく。白い日差しが射し込んだ。風がぴょう、と風切り音を響かせる。
開ききった扉の先に、道が伸びていた。
その先には、ベージュの宇宙船がハッチを開けて待っている。
宇宙への橋を、空良はゆっくり進んでいった。
かん、かんと足音が跳ねた。4名のクルーは橋を渡りきり、少し屈んで、割り当てられたキャビンへ身を滑らせた。
「――本当に、木なんだ……」
パンフレットで見て知ってはいても、実際に見るそれはやっぱり異質だった。
キャビンの壁や床は、ナチュラルな木目調。宇宙船よりサウナの方がしっくりくるような内装である。
そして壁から等間隔に飛び出した、マシュマロのようなクッションが異質さに拍車をかけていた。
燃えないのかな、と不安そうな呟きに――。
「――ようこそ、宇宙船はごろもへ。シートへ着席し、ベルトをお締めください」
事務的な音声が返事をする。
シートの横で、ソケットに収まった小さな頭がレンズを空良へと向けていた。
いま座りますと慌てて言って、そそくさとシートベルトを締めると、小さなロボットはぐるりと頭を回転させた。
「こんにちは。本機は当フライトの客室乗務員を務めます、サポートロボットのミューです。まず始めに、いくつかの注意事項を確認させて頂きます――」
ミューと名乗ったロボットは、つらつらと言葉を紡いでいく。
総飛行時間は10分程度を予定していること。宇宙に着いたら、指示があるまでベルトを外さないこと。帰還時は、指示のあと速やかにシートへ戻り、ベルトを締めること。万が一の減圧時は、シートが生命維持カプセルになるので、シートの外に体を出さないこと、等々。
「そして最後に、本機の性格設定についてです。本機は現在のデフォルトモードの他に、バディモードへの切り替えが可能です。変更しますか?」
「バディって……相棒? 変えたらどうなりますか?」
「SF映画に登場するような話し方になります」
「……他に何か、変わったりは……?」
「口数が数十パーセント増加します」
空良は思わず吹き出した。
面白そう、変更します! そう伝えると。
「――了解。設定をバディモードへ変更した。共に宇宙を楽しもう」
なかなか渋い声が返ってきて、空良はまたもや吹き出す。タメ語になっただけじゃん! じゃあこっちもタメ語でいこう。
ねぇ、打ち上げまでどれくらい? 試しにそう聞いてみると、目の前の大きな窓にタイマーが拡大表示された。
あと20分程で打ち上げだ、とミューが答える。
結構あるんだね、とぼやく空良に、安全のための厳重なチェックをしているのだから当然だ、と頭部モーターを唸らせた。
「そう言えば、君は内装が燃えないか気にしていたな?」
「え? ……ああ、そんなことも言ったっけ?」
「ちょうど良い、その回答も踏まえ、打ち上げまでの待ち時間に本船のレクチャーをしようと思うがどうだろうか。不要なら黙っているが」
「いいね、ぜひお願い!」
「了解した。まずは疑問に対しての答えだが、内装に使用している素材は全てが耐火性だ。すなわち木も布も特殊な加工を施してあるから、例え火が出ても延焼することは無い。そして、何故このような内装なのかということだが、これは乗客がリラックスしながら宇宙旅行を楽しめるようにと考えられたもので――」
「――まさか……20分間ぶっ通しはないよね……?」
カウントダウンの数字は粛々と減っていく。
管制官たちは慌ただしく動き回る……なんて事は無く、落ち着いて手順を進めていた。
「液体酸素系、液体水素系、準備完了」
「人員及び車両、安全圏への待避を確認」
「素晴らしい。予定通りです」
マネージャーは満足そうに頷いた。各種テレメトリは、と声を投げると、異常無しと返事が返る。
「よし、では行きましょう。打ち上げ、''GO''」
「了解。全ハッチの閉鎖を確認。キャビン与圧異常無し。アクセスアームを収納します」
発射台とカプセルを繋ぐ橋がするすると後退。カウントは2分を切ったところ。
「ジンバル、動作確認」
「ジンバル正常」
「エアブレーキ、着陸脚動作確認」
「展開――異常無し。再収納します」
稼働部をぷらぷら動かして、準備運動を終えたロケットは空を見据える。
澄み渡る大気が、両手を広げた。
「ブースター点火」
ごうん、と鳴動。
発射台の下、空気が波紋のように吹き飛ばされる。
機体に付いた氷が、きらきら光って落ちていく。
「――リフトオフ」
固定が外れ、ブースターが大音響とともにカプセルを押し上げた。
地面へ戻ろうとする力を抑えつけ、それを超え、さらに差を広げ、加速を続けた。
機体の先端に傘のような雲が架かって、霧散した。アルミニウムの表面を、揺らいだ空気が流れてゆく。
そして音さえも置き去りにして、ロケットは空へと溶けていった。
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