いぐにっしょん! 〜2052年宇宙の旅〜
そらいろきいろ@新作執筆中
Ⅰ
オレンジの光が部屋に差し込み、毛布からはみ出した顔をつんと照らした。
カールしたまつ毛が震える。その下の瞼は閉じられたまま何度かうねり、やがて満足したかのように静かになった。
――数分経って、唐突にぱちりと開く。
「――朝だ」
その声に応えるかのように、傍に放ってあったスマホがアラームを鳴らした。
画面の表示は7時ちょうど。日付は2054年3月25日。
世の学生は春休み真っ只中である。指を伸ばしてアラームを止めた、スマホの持ち主もその中のひとり。
起きよ、と誰ともなしに言って、背中を起こす。ブロンドに染められた髪が肩にかかって、鬱陶しそうに払われる。
高そうな羽毛布団は、暖かな誘惑を断ち切るように蹴っとばされた。
瞳をぱちくりさせ、少女は窓越しに外を見る。
透き通った空の下、アスファルトが長く伸びている。車両が行き交うその向こう、遠くにロケットが見えた。
ホテルからは少し離れた発射台に、真っ直ぐ寄り添うアスパラのような機体。
艶消しホワイトの塗装が陽光を弾き、その上のステンシルを際立たせる。日本国旗やスポンサーロゴの下、でかでかと記されているのは「HAGOROMO」の文字。このロケット、ひいては宇宙旅行サービス自体の名前だった。
ステンシルの上へ目を向ければ、白い円筒の上に蕾のような有人カプセルが載っていることが分かる。色はベージュで、無彩色の塗装が多い宇宙船の中では珍しいカラーリング。
4つに分かれたキャビンには台形の大きな窓が1つずつあって、つるりと青空を映している。窓の奥にはソファのような搭乗席が、これも1つずつ。
そんなカプセルを、縦に置いたコンテナのような発射台から伸びるアームが支えていた。発射台からは太いケーブルも1本、ロケットにくっついて電力を供給している。
寒空の下、時折ぎいっと軋みながら、ロケットは出発を待っていた。
「糸川
少女――空良は少し緊張しながら、どうも、と頷く。
北海道スペースポート旅客ターミナルの一角、
天井から吊り下がった大型モニターによれば、今日のフライト予定は3つ。
最初の便はすでに打ち上げ、帰還が済んでいる。旅行帰りと思しき人々が興奮冷めやらぬといった表情で、お土産を選んでいた。
対照的に、落ち着いた表情でくつろいでいるのは次のフライトの人たちだろうか。一度の搭乗人数は4名だが、ここにいる人数はそれよりも多い。次のフライトだけでなく、最終フライト予定の人も混ざっているようだ。
入り口できょろきょろしているのも恥ずかしかったので、空良は取り敢えず歩き出す。
そして、たまたま目についたコーヒーマシンへ向かった。
「――2号機、自己診断終了。ステータス異常無し」
旅客ターミナルの側にある、コンクリートの管制棟。
北海道スペースポートから離発着する宇宙船は、ほとんどがここからコントロールされている。
報告が飛んだはごろもの管制室も、その中の一角にあった。
「――いいですね、今日も欠航なしで行けそうだ」
きっちりと背広を着こなしたミッションマネージャーは満足げに頷いて、――もちろん油断せず、テレメトリから目を離さないように――と管制官たちに釘を刺す。
管制室の壁には、大きく高精彩なモニターが埋め込まれていた。3分割された映像の上に、それぞれ1、2、3と番号が割り振られている。全てに1基ずつロケットが映っているが、1番だけは首なし機体。
映像の下には''window closed''と表示があって、小さく''カプセル回収中''と文字が出ていた。
「――では、燃料注入を始めてください」
「了解。2号機、燃料注入を開始」
モニターの向こうで、僅かにロケットが揺れた。発射台基部のパイプから、ぴりりと冷たい液体燃料がタンクへ流れ込んでいく。
2番の映像の下、ステータスが燃料注入中に変わる。
マネージャーはラップトップ片手に、それをしばらく眺めていた。
「――お、異常なしですか! 良かった良かった」
席を離れていたスタッフが戻ってきて、マネージャーへ声を掛ける。
彼が着ているパーカーは、映画のマークがプリントされた派手なもの。背広のマネージャーとはなんだか不釣り合い。
「ええ、良かったです。――ところで、君のそのパーカーですがね、ここで着るには趣味が悪くないですか? その映画、イレギュラーばかり起こるでしょう」
「大丈夫です! 映画は恐竜の話です、宇宙は出てきません!」
「……まあ、しっかり働いてくれるなら文句は無いですがね」
Tレックスの頭蓋骨を横目で見つつ、マネージャーはため息をついた。
「……そう言えば僕も聞きたかったんですけど、マネージャーがそこに貼ってるキャラクターってなんなんですか? アニメ?」
ラップトップを指差すスタッフ。
これですか、とマネージャーがひっくり返すと、そこには横顔イラストのステッカーがあった。古い画風で、色落ちも目立つ。
その表面を大事に撫でながら、この仕事につくきっかけになった方です、と答えた。
「''方です''って、面白いですね。まるで現実にいるかのような……」
「――実際いますからね。僕らの世代はVtuber全盛期だったんですよ。分かりますか、Vtuber?」
なるほどVtuberですか! 聞いたことはあります――と、スタッフは顎に手を当てた。
あまり詳しくはないんですけど、当時流行っていた人なんですか?
マネージャーはゆっくりと首を振る。
いいえ、マイナーな方でしたよ。その分、伝えたいメッセージや姿勢は最後まで一貫していて、それがとても良かった。
懐かしそうに頷いてから、無駄話はこれくらいにしておきましょう、とスタッフの背中を軽く叩いた。
「――お嬢さん、お一人かしら?」
唐突に声を掛けられて、空良は目を丸くした。
見る限り、お嬢さんと呼ばれそうな人は自分以外にいなかったがとりあえず、わたしですか? と聞いてみる。
そうよ、あなたよ。微笑む声の主は、穏やかそうな眼鏡のおばあさん。
ごめんなさいね、ちょっと気になっちゃって。一人で宇宙に行く人なんて、あなたぐらいの年齢の子にはあまりいないじゃない?
空良は愛想笑いを浮かべつつ、宇宙が好きなものでと返事をする。
「あら、それはいいわね。若い子が宇宙好きだと嬉しいわ」
ありがとうございます。でもどうして? 今度は空良が聞いた。
若いときは、宇宙の情報を発信する仕事をしていたのよ。あ、企業とかではなくて、個人的な活動だったのだけどね。みんなに宇宙のことを知ってもらって、宇宙を身近に感じてもらおう、って頑張っていたわ。ほら、今みたいに宇宙旅行も安くなくて、夢物語だった時代だったから。
落ち着いた雰囲気とは真逆の早口。空良は少し面白くなった。
そうですね、わたしみたいな学生でも行けるくらいですし。小さい頃は、まさかこんな世の中になるなんて思いもしませんでした。
そうよね、とおばあさんも頷く。
「……でもね、嬉しいはずなのに少しだけ寂しいの」
「寂しい……ですか? 宇宙が身近になってほしかったんじゃ……?」
「もちろんそうよ。こういう世の中になったのはとても良いことだし、私の夢見た未来なの」
だけど来るのが早すぎて、追いつけないほどの未来だわ――と静かに言った。
昔はロケット1基打ち上げるだけでもニュースになっていたのに、今では話題にすらならないほどですもの。
こんなにもあっという間に、宇宙が身近になる時代が来るのだったら――。
「……私が活動しなかったとしても、あまり変わらなかったんじゃないか、って思ってしまうのよ」
少し間が空いて。
ただの我が儘ね、ごめんなさい、と小さく笑った。
いやねえ、歳を取ると暗くなっちゃって。あなた、なんだか話しやすくて油断しちゃったわ。
「いえ……でも、おばあさんの活動で宇宙に興味を持ったり、知らなかったことを知れた人が絶対いるはずじゃないですか。それだけでも意味がありますよ」
――それに、羨ましいです。好きなことを貫けて。
小さく漏れた言葉は、誰にも届かず空気へ溶ける。
そうよね、ありがとう。
おばあさんは眼鏡を少し整える。それから話題を変え、宇宙に行くのは初めてかしら、と空良に聞いた。
「ええ。これが初めてです」
「いいわねえ。感動するはずよ、ふわふわ浮きながら見る地球……! 私の最初の時は、帰還してもしばらく喋れなかったわ」
「うわ、楽しみだなあ……! 最初の時ってことは、何回も行ってるんですか?」
「そうよー、若い頃の貯金があるのよ。どうしても宇宙に行きたくてね、まさかこんな早く使うことになるとは思わなかったけれど。死ぬ間際に一度行ければ……って思っていたからねぇ」
いいなぁ、と呟いた空良に、これからもっと安くなるのだから、きっと何度も行けるわよ――とおばあさん。
空良は一度瞬きをして、小さく笑った。
それから、首を振って。
「――いや、これが最初で最後なんです」
きっぱりと言った。
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