第5話 それでは愛とは何か【1】
今日は勝負の日だ。
私はもうこのベッドから起き上がって、用意しないといけない。
夫の写真が写るデジタルフォトが「愛しているよ」と声をかけてくれる。
アラーム付なのだ。夫の声を合成して作り、アラームにした。
その声にエネルギーをもらう。
動け、動け、動け。
何十回も自分に命令して、ようやく起き上がる。
なぜ私はこうなったのか。
あの日からだ。
あの忌まわしい男が、夫を殺してからだ。
許さない、絶対に。
身支度用のAI BOXの前にきて、モニターの中で今日の服装や化粧を決める。
細かく選ぶエネルギーなんてないからテンプレート一覧を出した時に、ふと気づく。
前回の裁判の時に、テンプレートから「公式の場」というのを選んでいったら、モニター傍受していた人が「元気そうに見える。精神的に落ち込んでないならよかった。」というコメントがついたのだ。そのコメントをした人は「反薬派」だったため、静かにコメントは消されたが、私の目に入ってしまった。
ふざけるな。愛する夫を殺されて、元気なわけがないだろう。私は日々を送る事さえ困難になっているのに。薬を飲んでないとそんな当たり前のことさえ、わからなくなるのか。だから、反薬派は嫌いだ。
今や世界の大半は薬を飲む「ピースフルピープル」だ。今や、その薬で内気な人でも外交的に、嘘つきを正直に、荒くれ者を聖人に、どんな性格にでも薬の調合次第でなれるのだ。
性質改善薬。Peace-06というその薬。
最初、知的障碍を治す画期的な薬としてでてきた。そうしたら、知的障碍者は0になった。
次に、罪人の更生プログラムで取り入れられた。そうしたら、再犯率が0になった。
そして、精神科、心療内科に。そうしたら、社会復帰率は100%になった。
いまや、ほとんどの人が薬を飲んでおり、親は子供の名前を考えるより先に、子供にどんな性格になる薬を飲ませるかを話し合うようになった。
そのおかげで世界は紛争や戦争が一切ない奇跡の「ピースフルワールド」と呼ばれ3年にもなるのに、どうして薬を飲まない人間の殺人が残っているんだ。どうしてそんな人のことを考えられない人間に優しい夫を殺されなきゃならないんだ。
だから反対だったんだ。反薬派の人間と共同で会社を作るなんて。夫が共同で会社を作ると言ってきた時、私は喜んで賛成した。今、この国はベーシックインカムがあり、最低限の生活が働かなくてもできるようになっている。ちょっとした冒険は、人生を楽しむいいスパイスだ。共同で立ち上げるというその相手の飲んでいる薬を聞いた。大体飲んでいる薬の番号でどういう人かはわかるのだ。夫は気まずそうに「03を飲んでいる人に似ているよ。」と答えた。03ということは「優しい」ということだろうが、薬を飲んでいない人の性格なんてあてにならない。それに外聞も悪い。反対したが、06の冷静を飲む夫の強い希望だったので01の勇敢を飲む私は結局承諾した。その結果、夫はその「優しい」共同経営者に殺されたのだ。
なぜ、薬を飲むことを全国民の義務にしないのだろうか。国は、薬の義務化ではなく、居住地を区切る法律を制定したのだ。今や犯罪を犯すのは薬を飲まない人間だけだ。だから薬を飲まない人間が住むところを区切ることになったのだ。そこは事実上の治外法権になる。島国であるこの国は、その場所を作ることが容易だった。10年前に決まったその法律で、もうある程度立ち退きは済んでいる。明日、予定通り反薬派の人間の居住開始が決まっている。そう、明日、明日が施行日なのだ。
今日、上告が棄却されなければ、反薬派である殺人者と同じく反薬派の妻は居住地へ移動することとなる。こんなおかしい話ないだろう。なぜ、罪を犯した人間が更生プログラムを受けることもなくのうのうと妻と生活できるのか。薬の高騰化とか原料の不足とかそんなこと知ったことか。今までの法律で裁かれてくれ。更生薬を飲んで、生まれ変われ。激しく、悔いろ。この残虐を起こしたことを。
フォトフレームは次々と笑顔の夫を映し出していく。そして、二人で撮った写真を。ああ、なぜ、最近の写真を撮ってなかったのだろう。こんな私を冷静に受け止めてくれる、夫、だったのに。最後はケンカばかりだった。会社なんか作ったから。こんなことに。反薬派となんかつるんだから。なんか少し混乱している。なぜだろう。
「家を出る時間ですよ。」
夫の声が再生される。ああ、早くでなきゃ。最近は全然食欲もない。AI BOXのモニターを探してみる。メイクなし、というのがあった。そうか、そんなのもあるのか。服は喪服を選ぶ。そうだ。メイクなんかしないで、このまま行こう。このボロボロな顔のままで行こう。居住区規制前日の、この判決に全国民の視線が集まっている。その中、このままの顔で行く。目に焼き付けるがいい。殺人がいかに、不毛で、残忍なのかを。
上告は棄却された。私は歓喜の雄たけびを上げた。
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