16.ぐしゃぐしゃの紙袋

 パタパタと手で仰ぎながら、顔に集まった熱をなんとか冷ます。

 馬車乗り場に着いた頃にはもう最後の乗り合い馬車が出発する直前で、慌てて乗り込んだ。


 今日は御者さんがお休みらしく普段よりも一本少なめで、降りた直後には気をつけてくれと言われていた。アイゼン様の用さえなければ余裕で間に合っていたので気にしていなかったのだが、出た後もゆっくり歩いていたためギリギリになってしまったようだ。


 そう、アイゼン様とのお話があったからーーと思い出してまた顔が赤くなる。

 刺繍糸と毛糸がたんまりと入った紙袋に顔を埋め、ゴトゴトと走る馬車に揺られた。



「姉さん、おかえり~」

 屋敷に着いてすぐ、クアラは満面の笑みで出迎えてくれた。その手には刺している途中の刺繍がある。それにしてはやけに出迎えが早い。

 馬車の時間から到着時間を計算していて待っていてくれたのかもしれない。


「クアラ、これ頼まれていたやつ」

「ありがとう! って何かあったの?」

「何かって何が?」

 馬車を降りてから何度もペタペタと頬を触っては熱が溜まっていないか確認した。

 屋敷に着くまでに平静を保てるくらいにはなったし、今の私には疑われるようなところなどないはずだ。


「紙袋、ぐしゃぐしゃ」

「あ~、それはその……量が多いからじゃない? クアラに頼まれていた刺繍糸の他にもいくつかクアラが好きそうな毛糸玉買ったんだ」

 クアラが抱えた紙袋を漁って「ほらこれとか綺麗でしょ?」と持ち上げれば「まぁ僕が好きな色だけどさ」とどこか不満そうだ。


「……本当に何もなかったの? 嘘吐いてない?」

「全然、何にも、これっぽっちもなかったよ」

「やっぱり何かあったんじゃないか」


 紙袋の皺ってそこまで気になるものだろうか。

 いっそ馬車の中で寝ちゃって、とか言い訳した方がそれらしかったかな? でも今から理由を付け足したらそれこそ何かありました! って宣言しているようなものだし……ここはやはり何もなかったで押し通すしかない。


「何もないよ。気にしすぎだって」

 これで大丈夫! と思ったのも束の間、クアラは大きく息を吐いた。


「嘘だね。だって見れば分かるもの」

「……私、そんなにわかりやすい?」

「他の人なら気付かないかもしれないけど、僕と姉さんは母さんのお腹の中に居る時からの付き合いだよ? 気付くって」

「クアラには敵わないな……」


 伊達に付き合いは長くないということか。

 クアラに何かあったら私が一番に気付くのと同じ。双子同士の隠し事なんて意味ないのだろう。


「アイゼン様に会ったの」

 諦めて口に出せば、スッと心が軽くなった。元々私一人で抱えられるようなものではなかったのかもしれない。


 キャサリン関係ともなればずっとクアラに隠しておくことも出来なかっただろうし、こうしてクアラに探り当てられた方が気が楽だった、と思いたい。


「え、アイゼン様に!? それで何言われたの? まさか決闘でも申し込まれたんじゃ……」

「違う違う! そうじゃなくって、その……もう一度あの日のキャサリンに会わせて欲しいって」

「あの日のって?」

「アイゼン様の屋敷にお邪魔した時のキャサリンに興味を持ったらしくて、もう一度話したいんだって」


 改めて口に出すとこれほど恥ずかしいものはない。


 なにせ目の前にいる相手は国を代表するほどの絶世の美女である。そんなクアラが社交界では絶対に見せないほど顔を綻ばせて「姉さんじゃない!」とキャッキャと浮かれている。

 父さんにせがんで大陸中で人気のデザイナーにドレスを作ってもらった時と同じくらいのはしゃぎようだ。


 一度は引っ込んだ熱は再び顔に集まり、この場から逃げ出したい衝動に駆られる。


 だがクアラはドレスを着ていても男の子。紙袋を抱えている手とは逆の手で私の手を掴む力は強い。


 逃げ出さないようにだろう。


 いつのまにこんなに握力が強くなったのだろうと成長を喜ぶ一方で、恋愛小説を勧める時と同じ圧を感じるのが怖い。


 武器屋の前でアイゼン様を見つけた時の比ではない。


「そこをピンポイントで指定してくるなんて、アイゼン様も見る目あるよね! それでそれでっ、姉さんは会う約束してきたの?」

「えっと、姉と相談してきますって言って帰ってきた」

「姉ってあの日のキャサリンは姉さんじゃない! 相談相手なんて他にいないよ! でも話してくれたのは嬉しいな。会ってきなよ~。前回は条件提示してきたり最悪だったみたいだけど、それだって姉さんのクアラが欲しかったからだし。僕はお似合いだと思うけどな~。それに嫌だったら帰ってくればいいだけだしさ」

「こちらの事情だけで振り回す訳にもいかないし、そんな簡単に決められるものじゃないでしょう……。もう一度会ってその気にさせて無理ですなんて不誠実でしょ」

「今日は何言われたか分からないけどさ、姉さんも嫌じゃなかったんでしょ。なら会ってきなよ。それに会わずに自己完結して終わらせる方が一番不誠実だと思うよ」

「それは……」

「迷っている時点で答えなんて決まっているんだよ。会わなかったら絶対後悔する」


 私が恐れているのは、君じゃないと言われることかもしれない。


 求められたとその気になっておきながら落とされるのが一番怖い。


 剣術なら受け身を取ればいいけれど、恋愛の経験値が低い私じゃ上手く躱しきれないから。


 会って後悔するくらいだったら、これ以上は踏み込まずにいたい。


 逃亡だって戦略のうちだ。


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