引きこもり男と妄想彼女
Unknown
1話 深夜3時の希死念慮とウイスキー
俺の名前は佐藤優雅。
20才の時に仕事をやめて引きこもりになってから、早くも3年が過ぎた。生産的なことを何もしないから頭は悪くなる一方で、脳細胞はガンガン死滅している。他人との交流もない。もちろん友達や恋人は一人もいない。毎日ドラッグや酒に溺れて現実逃避してるだけの生活だ。
外出するのは、酒とタバコを買いにコンビニに行く時と、合法ドラッグを買いに薬局に行く時と、精神病院に行く時だけだ。俺は親のスネをかじって生きてるゴミクズだ。
俺はそんな23才である。
深夜3時、俺の部屋にはノートパソコンしか光源が無い。
俺は暗い部屋で匿名掲示板を眺めつつ、ぼーっとウイスキーを飲みながら、独り言を呟いた。
「あいり、俺はもうだめだ。人生終わってるよ」
すると、俺の横から女の子の声が聞こえてきた。
「大丈夫だよ。優雅はまだなんとかなる。私がなんとかしてあげるから」
俺の耳元で、あいりの声がする。
【あいり】というのは、長きに渡る引きこもり生活の中で俺が生み出したタルパだ。妄想に妄想を重ねて、あいりという架空の彼女を作り出すことに成功した。
あいりは常に俺の味方でいてくれて、決して俺のことを見捨てない。そして常に俺に優しい。
俺はウイスキーをラッパ飲みして、フラフラに酩酊しながら、回らない呂律でこう言った。
「いや、もうだめだよ。俺は終わってるんだよ。もう死んだほうがいいよ。引きこもりは死んだほうがいいよ。もう俺はだめ。終わってる。もうだめ。俺は人間に向いてない。集団や社会に属することに向いてない」
「たしかに優雅は人間に向いてない。でも私がいるから寂しくないでしょ?」
「うん。全然寂しくないよ」
俺は更にウイスキーを飲むペースを早める。体の中が熱い。どんどん頭が空っぽになっていく。ふわふわして、とても気持ちがいい。天国にいるようだ。
酒を飲んで酔っ払っている時だけは、嫌なことを全て忘れられる。嫌なことを忘れて現実逃避するために俺は毎日酒を飲んでいる。
俺は完全にアル中だ。
「ねえ、あいり、タバコ吸ってもいい?」
「やだ。私タバコ嫌い。臭いから」
「いや、タバコより俺の方が臭いだろ。もう2週間くらい風呂入ってないんだから」
「それもそうか。じゃあ吸っていいよ」
あいりの了承を得たので、俺はタバコに火を付けて、タバコを吸い始めた。
酩酊状態に加えて、ヤニクラが起こって、とても気持ちがいい。
俺が死んだ目でタバコを吸っていると、横からあいりが呟いた。
「毎日そんなにいっぱい酒飲んでタバコ吸ってたら、優雅の寿命がどんどん短くなっちゃうよ……」
俺は口から紫煙を吐きながら言う。
「それなら本望だな。俺はさっさと死にたいんだよ。早く死ぬために毎日酒飲みまくって、タバコ吸いまくってる。あえて健康に悪い生活をしてる。早く死ぬためにドラッグをODしまくってる」
「それって自傷行為と同じじゃないの?」
「そうかもね。痛くない自傷。それか、緩やかな自殺って感じ」
俺はそのまま連続でタバコを10本くらい吸った。
それから再び、ウイスキーをラッパ飲みし始めた。ウイスキーはもうそろそろ終わってしまいそうだ。
俺は今、完全に酔っ払っていて、平衡感覚を保つのでやっとだ。とても気持ちいい。今、俺はとても幸せだ。嫌なことが頭の中に無い。
俺は、酔った勢いで、あいりに高らかに宣言した。
「僕、今から自殺します!!!!!」
「え!?」
俺は椅子からゆっくり立ち上がり、ふらふら歩いた。そして、棚から2つの瓶を取り出した。
先日、自殺するためにドラッグストアで購入したものだ。この2つの瓶を買うために4000円もした。俺はその瓶を両手に持って、あいりに見せた。すると、あいりは素っ頓狂な顔をして言った。
「え、なにこの薬」
「●●●●っていう薬。この前ネットで知ったんだけど、これの致死量が200錠なんだって。だから倍の400錠飲んだら確実に死ねると思う。今から俺はこの薬を400錠飲んでやる。これ2つ買うのに4000円もしたんだよ。ニートにとってはかなり痛い出費だった」
俺は、椅子に座って、その2つの瓶をデスクの上に置いた。
1つ目の瓶を開けて、瓶を口元へ近づける。
そして、中に入っている錠剤を一気に口の中に大量に流し込む。それを俺はウイスキーで思いきり胃の中へ送り込んだ。一粒一粒が割と大きかったので、やや吐き気がする。
その様子を横で見ていたあいりが、俺の肩を強く揺すって、ヒステリックに叫んだ。
「やだ、まだ死んじゃだめ!」
「うるせえな。別に死んだっていいだろ。もうこんな人生、死んでるようなもんなんだから」
「死んじゃだめだよ!」
「やだ。もう死なせてくれ。俺なんて生きててもしょうがないだろ。俺は今まで散々、苦しんできた」
俺がそう言うと、あいりは無言になった。
俺は錠剤をウイスキーで体内に流し込みながら、あいりに向かって、冷たく嫌味っぽい口調でこう言った。
「お前より苦しんでる人だって沢山いるんだからお前も頑張れ、なんて言うなよ。幸福度は相対的に測れるものじゃない。その本人が苦しいなら苦しいんだ。俺は俺なりに、今まで充分苦しんだよ。『普通の人間』になる努力も沢山した。でもなれなかった。だから自殺する資格がある」
「……そんなのどうでもいい。私は、優雅に死んでほしくないよ。優雅が死んだら私が一人ぼっちになる。そしたらどうしたらいいのか分からない」
「あいりは見た目もかわいいし、性格も優しいから、すぐに他の彼氏ができるよ。俺より余程まともな彼氏がすぐできる。だから大丈夫。俺が死んだって平気」
「そんなこと言わないで。ねえ、もうその薬飲むのやめて」
あいりは俺の肩を掴んで、何度も揺する。俺はあいりの制止を無視して、錠剤を飲みまくる。そのペースを緩めることなく、どんどん流し込む。
すると、あいりが泣き始めてしまった。俺のすぐ横から、あいりの嗚咽が聞こえてくる。それを聞いた俺は、急に罪悪感が湧いてきてしまった。俺は手を止めた。
「ごめん」
俺が謝ると、あいりは泣きながら言った。
「もうその薬飲むのやめて。死んでほしくない」
「……」
泣きながらそう言われて、俺は、何も言えなくなった。
しかし、胸中では、(せっかく4000円もしたんだから全部飲みたい)と思っていた。4000円もあったら、タバコが8箱も買える。しばらく沈黙が続いた後、俺は、つぶやいた。
「薬、飲んでもいい?」
「だめだって言ってるじゃん。これ以上飲んだら別れるよ!」
「え、じゃあやめる……」
別れるよと脅され、俺はしぶしぶ薬の瓶の蓋を閉めた。そして、再びタバコを吸い始めた。胃の中が異物感で気持ち悪い。
「よかった。本当に400錠飲むかと思った。400錠も飲んだらほんとに死んじゃうよ。仮に死ななかったとしても、胃洗浄になるのは間違いない。知ってる? 胃洗浄って地獄の苦しみなんだよ。私も1回したことある。今の優雅みたいに服毒自殺しようとしてね」
たぶん今俺が飲んだのは、せいぜい100錠くらいだろう。100錠飲んだくらいじゃ何の効果も無いだろう。後から吐き気を催すくらいだ。
俺は今、死んだ目でタバコを吸っている。タバコの先端に目をやる。そのタバコの先端を、俺は無意識のうちに自分の左腕に強く押し付けた。すると、とても強い痛みが走った。いわゆる根性焼きだ。俺は苦痛に顔を歪める。
「ねえ、やだ!」
すかさず、あいりが横から叫ぶ。
俺はその声を無視して、しばらくタバコの火を腕に押し付け続けた。しばらくしてから、ようやく離した。これは俺の癖のようなものである。俺の左腕は根性焼きの痕が沢山ある。
「平気だよ。慣れれば全然痛くないから」
「そういう問題じゃないでしょ。根性焼きの痕って一生消えないんだよ。死ぬまでずっと残るんだよ。夏になってもTシャツ着れないよ」
「引きこもりだから別に良いよ。どうなっても」
「……もう勝手にすれば?」
さっきから俺が問題行動や問題発言を連発してるから、あいりの機嫌が悪くなってしまった。俺は話題を変えることにする。
「そういえば、この前、首吊り用のクレモナロープをホームセンターで買った。問題は場所だよね。家でやって家族に見られるのも気が引けるし、外の人に見つかるのも気が引ける。どこがいいんだろう。やっぱり樹海が1番良いのかな」
「今、全部でロープ何本持ってるの?」
「14本。自殺しようとは思うけど、いつもロープ買うだけで満足しちゃうんだよね。そしたら14本も溜まってた。俺ロープ屋になれるよ」
「優雅って馬鹿だね」
たしかに俺は馬鹿だ。そもそも、馬鹿だから3年間以上もニートをやってるのだ。
と思っていたら、いきなり俺の部屋の扉が開かれた。俺は驚いて、振り返った。
そこには俺の妹の結衣が立っていた。
「お兄ちゃん、さっきからずっと一人で何喋ってんの? 怖いんだけど」
「ああ、いや、別に。酔ってるだけだよ」
「うるさいから静かにして」
そう言って、妹は去っていった。その目には侮蔑の念が込められていた。引きこもりの兄を誇らしく思う妹なんて、この世のどこにも存在しないだろう。
ちなみに俺の妹は女子高生だ。俺の部屋の隣が妹の部屋なので、俺の声がよく聞こえたのだろう。
「妹さんに叱られちゃったね……」
「うん。もうちょっと小さい声で喋ろう」
それからは、しばらくお互いに無言だった。俺はタバコを吸ったりウイスキーを飲みながら匿名掲示板のレスをぼんやり眺めていた。
あいりも横からノートパソコンの画面を眺めている。
俺と同じニートや引きこもりや発達障害者達が集まっている掲示板や、メンヘラ達が集まっている掲示板をしばらく見ていた。自分と同じ境遇の人間が発する言葉を眺めていると、とても落ち着くのだ。俺が毎日のように匿名掲示板を見るのは、その為だ。
5分くらい経った後、あいりが小声で呟いた。
「実際、日本に優雅みたいなニートって何万人くらいいるんだろうね……」
「さあ。わかんない。でも、大抵クラスに1人くらいの割合じゃない? 1クラス40人いたとしたら、そのうちの1人は絶対頭おかしくてどうしようもない奴いるじゃん。そういう奴がニートになるんだと思うよ。そう考えると、100人のうちに最低でも2人か3人はニートだろうな。いや、もっといるかもしれない。ニートになるのって不可抗力だし。パチンコ玉が坂道を転がるようなもんだよ。なる奴はどうしても、なる」
やがて、あいりが笑いながらこう言った。
「日本にニートは沢山いるかもしれないけど、彼女がいるニートは滅多にいないと思うよ。優雅は良かったね〜。私っていう素晴らしい彼女がいて」
「うん。ほんとに良かった。ニート生活を送る上で1番しんどいのって『孤独との戦い』だからね。だから、あいりがいてくれて本当に助かってる。いつもありがとう」
「私も優雅と一緒にいるの楽しいよ。たまにむかつくこともあるけど」
そのうち、ウイスキーの瓶が空っぽになってしまった。アルコール度数39%のウイスキーをストレートで飲み干してしまった。
適当に冷蔵庫に入ってるビールでも飲むか、と思って、俺は覚束無い足取りで部屋を出て、階段を下り、キッチンにある冷蔵庫へと向かった。
冷蔵庫を開けると、何本か冷やしてあるビールがあったので、俺はそのうちの一本を盗んだ。
「あいりもビール飲む?」
「私はいい。お酒が苦手だから」
俺は自分の部屋に戻って、勢いよくビールを飲みながら、ひたすら、ぼーっとしていた。そんなとき頭をよぎるのは、自己嫌悪や憂鬱ばかりだ。今は酔ってるから、大したことないけど、シラフの時はもっと酷いことになる。シラフの俺は、常に自分のことを責めている。
「ねえ、俺って将来どうしたらいいんだろうね」
「正直言うとね、私もよく分からない。どうしたら優雅が幸せな人生を送れるんだろうって、よく考えるんだけど、よくわかんない。この世の全人類が幸せになれる方法がどこかにあるなら、この世にニートなんて1人も存在しないよ」
その後、あいりと小さい声でずっと喋っていたら、そのうち部屋が明るくなってきてしまった。
もう朝か……。
そろそろ寝ないとやばいな。
何故なら、今日は精神科に通院する日だからだ。でも今から寝たら、たぶん寝坊して行けなくなる。だから俺は寝ない。オールする。
俺とあいりは、夜が明けるまで、ずっと2人でくだらないことを喋っていた。
やがて、朝が来た。よくわからない鳥の声がうるさくて、俺は辟易した。ビールの缶はいつの間にか空っぽになっていた。俺はその缶を思いきり握り潰した。まるで社会に潰された俺のようだった。
〜次回に続く〜
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