第6話
完全週休2日、住み込み、三食まかない付――とここまでは城にいた頃とあまり変わらない。それに毎日、お茶とオヤツがプラスされるのはもうこの一カ月と少しで慣れた。使用人同士の交流を大切にする家なのだと納得したのだ。
だがこれはない。あり得ないと思う。
思わずベルモットさんから受け取った封筒片手に小刻みに震えてしまう。
「アイヴィーさん、どうかしましたか?」
そんな私をベルモットさんは心配そうにのぞき込む。
「少なかった、ですか?」
「いいえ、その逆です! なんでこんなに多いんですか!」
「え?」
暇を感じることは少なくなった。
だがやはり城にいた頃に比べれば圧倒的に仕事が減ったのだ。なのにも関わらず私の給与封筒に書かれた金額は、城にいたときよりも少し多いのだ。
公爵家付きのメイドの給料は確かにそこそこもらえるが、それは他と比べればという話である。その比較対象に城付きメイドは含まれていない。
実際、ハイエナ令嬢とのいざこざの結果、城を去らざるをえなかったメイドの一人からの手紙にはお給料のことが少しだけ書かれていた。
仕送りを減らさなければならなくなった……と。
彼女が向かった職場は王都から少し離れた公爵家であった。城で行われたパーティで彼女を見込んで雇ってくれたらしい。当主様もそうだが、ご家族の方々と使用人が優しい人ばかりで働き易さは段違いだと幸せそうに締めくくられてはいた。
それでもやはり収入が少なくなるのは避けられない現状なのだろう。そう思っていたし、何度も似たような話を耳にした。
それなのに、この給与。
臨時手当がでた訳でもないのに……おかしい、おかしすぎるとしか言いようがない。
「ええっと、ですね……。私達はアッシュ家からお給金をいただいておりますが、アイヴィー様はディートリッヒ様が直接お雇いになった方なので直接ディートリッヒ様に聞いてみるしか……」
「……ベルモットさん。それは遠回しにとりあえずもらっておけばいいんじゃないか? って言ってますよね?」
「はい」
こうベルモットさんが断言するのも無理はない。
ここ10日間ほど、ディートリッヒ様の帰りは遅く、帰ってこられない日もあるのだ。そしてそれは後2週間ほど続く予定である。
その理由は2週間後に城で舞踏会が開かれるから。
私がアッシュ家のメイドとなる前、城に所属していた時から予定されていた行事である。名目上は舞踏会ではあるものの、メインは国内外に向けた第一姫様の婚約発表である。
正直、私一番面倒な時期に抜けたなぁ~と思わなくもない。
ディートリッヒ様がこれほど忙しいのなら、真面目な使用人一同、馬車馬の如くフル稼働しないと間に合わないだろう。おそらく普段の夜会とは比にならない規模で行われると見た。
だからといってもう城のメイドではない私には、お城のことなどどうしようもできるはずがない。
出来るのは主人であるディートリッヒ様の疲労を少しでも取り除いて差し上げることである。それには給与が高すぎるなんて訴えは問題外である。手を煩わせる云々の前に私情で彼の時間を奪うわけにはいかない。特に今は目の下にクマを作ってこそいないものの、その疲労は目に見てとれるほど。
不当に安いわけでもあるまいし黙っとけ、というものだ。
せめて忙しくない時期だったら話は違うのだろうが、ディートリッヒ様にそんなことを直談判出来るかと聞かれればNOだ。無理。絶対無理。仕事を増やしてくれと頼むのと訳が違う。
ずーんと項垂れる私にベルモットさんは困ったように眉を下げる。
「アイヴィーさんは何か欲しいものとかはないのですか?」
「特に……ないですね」
これがベルモットさんをさらに困らせてしまうことは分かってはいるのだが、首を何度ひねったところで『欲しいもの』というものが見つからないのだ。
思えばここ数年ほど、たった一つを除けばそんなものはなかったように思える。
欲しいのはいつだってお姉様に着てもらうためのウェディングドレスで、そのためにずっと貯金をしていたのだ。
この6年間で稼いだお金のほとんどがそれに費やされているといっても過言ではない。というかこれといった使いどころもなかった。
服は実家から持ってきた服を仕立て直せばある程度は着ることができた。さすがに丈が足りなくなった時は新しい服を探しにいったけど、あれは『欲しい』というよりも『必要』だったから買っただけ。
本はシンドラー王子とマリー様のオススメもとい押し付けられた本を読むので精いっぱいだし、髪を結ぶリボンは毎年誕生日になるとお姉様が何本か私に似合うものを贈ってくれた。
食事は城のシェフが作った賄いが出されるし、お菓子はシンドラー王子やマリー様、使用人仲間におすそ分けされることが多かった。
――こう思うと、欲しいものがないというわけではなく、何かが欲しいと思う前に誰かにもらっているといった感じだ。
お菓子のおすそわけと言えば、ディートリッヒ様からの差し入れもお菓子が多かったなぁ。
城下町で女性に人気の洋菓子とか、いかにもあのハイエナ令嬢達が好きそうなものばかり。よく考えたらあれってご令嬢に対するご機嫌伺いだったのかもなぁ……。今さら気付いたところで遅いけど。
そう思うとディートリッヒ様が睨んでいたのは、二箱もらうようになってから一箱は仲間用に確保していたことを怒っていたのかもしれない。
だって確保しておかないとご令嬢方が総取りして、貴族じゃない子達の分まで回ってこないんだもの!
彼女達にとって大切なのはそのお菓子よりも誰からもらったか、であることは分かっていた。ディートリッヒ様に思いを寄せていたのは何も私だけではない。そうでなくともご令嬢方にとっては少しでもお近づきになれれば、と思う相手であったことは間違いないのだ。
お菓子一つで会話のネタができる。
貴族社会というのはそういうものなのだ。またそれは恋する乙女にも言えるのだから争奪戦はいつだって消えることはない。
それでも実家に仕送りをしている子達が城下町で人気のお菓子に簡単に手を出せる訳がないし、それを当たり前のように取られるのが気に入らなかったのだ。
それに私が睨まれて、他の子達が笑ってくれるなら安いものだ。
そんな結論に至ってしまう辺り、やはり私は恋する乙女として終わっているのかもしれない。お菓子だって弟妹がいる子にいつもあげちゃっていたし。
……これ以上、深く考えるのはよそう。
なんか思い出して悲しい気分になってくる。主に女性終わっているんじゃないかという面で。
「それなら明日は城下町にお出かけしてみたらどうですか? ウインドウショッピングというのも楽しいものですし、欲しい物が見つかるかもしれませんよ」
「そう、ですね……」
まさかお金の使い道に悩む日が来るとは、王都に足を踏み入れたばかりの数年前の私は想像もしていなかったことだろう。
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