第4話
そんな大失態を犯したことを私は昨日のことのように思っている。実際は二週間ほど前のことだけど、あれから日の進みが妙に早く感じているのだ。
ディートリッヒ様を見送って、ダイニングルームへと戻るとベルモットさんがクルリと身体を反転させる。どうやらこの場所でアッシュ家の使用人になるための講義が行われるようだ。
望んだことではないが、引き受けてしまったからにはしっかりとやり遂げる気でいる。
『常に責任感を持って行動すべし』
これはメイド長のありがたい一言であり、私はそれこそが数年間、城で勤めて学んだ中で一番重要なことだと確信している。
元より叶う確率など塵芥と同じかそれよりも小さなほどの確率だったのだ。
ならば少しでもディートリッヒ様の力に、いや彼が今までと同じように暮らせるようにサポート出来ればいいな!
そう思うと自然と身体に力がみなぎって、目ではまっすぐにベルモットさんを見つめる。
けれど、どんな仕事もどんとこい! と構えた私に向かって発せられたのは思いもよらない言葉だった。
「アイヴィーさん。あなたのことはディートリッヒ様から一通りのことは出来ると聞いております。その上、シンドラー王子の紹介です。あなたには非常に期待しています。……してはいるのですが、この屋敷ではあなたにしてもらうことはあまりありません」
「はい?」
目上の人物にそう聞き返すことは無礼である、ということはさすがに新人のメイドでさえも知っていることである。もちろん私もそう習っている。だが、聞き返さずには居られなかったのだ。
「あの、私は前任のメイドさんの代わりということでここに来たのですが……」
「はい、そうです。なので前任者がやっていたのと同じことをしてもらう予定です」
「それでは……」
「ですがその前任のメイドは元々ディートリッヒ様の乳母だった者で、私と共にディートリッヒ様の教育と身の回りのお世話が主な仕事でした。けれどディートリッヒ様は成長なさるごとに自分のことは自分でなさるようになり、正直なところ私の仕事もほとんどなくなってしまったのです」
じゃあ私いらなくないか? というのが咄嗟に浮かんだ私の反応である。
だが雇ったからには、代わりのメイドを探していたからには何かしらの理由があるのだろう。……それが何かは私には全く予想も付かないわけだけど。
とにかく雇ってもらったからには、今月末にお給料をもらうからには働かないという選択肢はない。
「では私のお仕事を教えていただいてもよろしいですか?」
「はい。アイヴィーさんにしていただきたいのは、主にディートリッヒ様の見送りとお迎え、それに花瓶に挿す花を選んでいただくことですかね」
「それだけ、ですか?」
それはいったいどこの貴族の奥方様の話だろうか?
いや、お花選びは大事な仕事の一つだけど。でもそれ専門にするメイドなど国で一番数多くのメイドを抱えている城にすらいない。そしておそらく国中を探してもそんな役割のメイドなどいやしないだろう。いるとすればその人は庭師の仕事も兼ねているはずで、専業ではないはずだ。
これはむしろそれ以外、お前に任せられることはないと暗に私の力量を試されているのではなかろうかと思ってしまう。だがどうやらそうではないらしい。
「朝は自分で起きてこられますし、服もご自分でお選びになられます。料理をお出しするのはコックがおりますし、庭のメンテナンスは定期的に庭師がやってきます。来客の対応と手紙の選別は私の仕事です」
適材適所に割り振った答えだというわけだ。
それならば洗濯と買い物は残っているはずだ!
そう思って声を上げてみたものの、ベルモットさんは悲しそうな表情でフルフルと首を横に振る。
「坊ちゃんは騎士学校に通われてからというもの、洗濯はすべてご自身で行われるようになり、身の回りのものもご自身でそろえられるようになってしまわれたのです」
ベルモットさんは悔しそうに唇をかみしめて、レンズの向こう側の瞳には涙がにじんでいる。
『坊ちゃん』と呼ぶということは、ベルモットさんも腰を痛めて故郷に帰ってしまったメイドさんと同じくらいの時間をディートリッヒ様と共にしているのだろう。主人の成長は嬉しいが、自分の仕事がなくなるのは寂しい……と。
この様子だと残ったわずかな仕事を私に譲ってくれるなんてことは全くないだろう。ということは私はあのわずかな仕事だけをこれからこなして暮らしていかなければならないというわけだ。
城に居た頃はハイエナ令嬢の仕事まで押し付けられて嫌な気持ちだったというのに、次の職場では仕事が少ないことに悩むとはなんとも不思議な話である。
正直、毎日が暇な予感しかしていない。
これってお城のメイドと兼業じゃダメなのかしら?
お城の近くで暮らしていた時よりも出勤時間は遅くなる上に帰宅時間は早くなるけど。
早速心がユラユラと揺らぎだした私は、その後ベルモットさんによってお屋敷にある花瓶とディートリッヒ様の好きなお花についてみっちりと講義を受けたのだった。
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